看護学部の模範解答例

石川県立看護大学看護学部の小論文の解答例【筆者を踏まえて反論する】

石川県立大学看護学部の小論文は2題で90分。鬼?

課題文

石川県立看護大(前期日程)
第1問 次の文章を読み、以下の設問に答えなさい。

コミュニケーションという語を広辞苑で引くと「社会生活を営む人間の間に行われる知覚・感 情・思考の伝達」とある。でも、私は以下のようにより限定して定義したいと思っている。すな わち、「相手との理解を深める発信と受信、情報の伝達」である。傍からは和やかに話し合って いるように見えても、相手への理解がお互い深まっていなければ、それはコミュニケーションと は言えないのではないかと思うからだ。
「受信だけ」「発信だけ」では、当然ながらコミュニケーションができたことにはならない。 相手との理解が深まらないような情報の伝達をもって、即コミュニケーションというのは性急す ぎるのだ。
森の中でニホンザルが採食中に発する「クー」というやわらかい声は、他の個体からの「クー」 という応答によって初めてコミュニケーションとなる。「見えないけれどみんないるの?」に対 する「いるから安心しなさい」があって、初めて相手の気持ちを慮る様相を呈することができる のだ。
ほかにも、「クー」と声を上げるだけで可能なコミュニケーションはたくさんある。たとえば、 「そっちに行ってもいいですか」という意味の「クー」を発したとき、相手が反応して発した 「クー」は、「いいよ、どうぞ」である。これだけでささやかなコミュニケーションが成り立った のである。あるいは、声で返事をせず、腹をむき出しにして寝そべっただけでも、「ここに来て 私を毛づくろいしてちょうだい」というメッセージになる。四足動物にとって一番の急所である 腹をむき出しにするということは、相手に弱みを見せるということになるからだ。このように、 (1) 一言も発することなく、コミュニケーションが成り立つこともあるのだ。
一つのデータをあげておこう。霊長類学の創始者として著名な伊谷純一郎さんはニホンザルの 音声を三七種類に分類し、それを「ささやき (muttering)」「呼び声 (calling)」「吠え声 (barking)」 「叫び声 (crying)」の四つのカテゴリーにまとめた。このうち種類数が一番少ない「一対一にお ける、平静状態でのエモーショナル (情緒的) な声」とされた「ささやき」は、個体間に交わさ れる行動パターンとしては逆に最も頻度が多いということであった。(2) ニホンザルでは、個体 間の平静状態の意志疎通の多くが、音声以外の行動でとり行われているということである。
伊谷さんは、この「ささやき」こそが人間に進化する際に言語になって大きく発達したと考え た。彼はこれら全体を霊長類の意志伝達機構として論じた研究者だったが、このカテゴリーこそ がコミュニケーションの中核であると認識していたのである。
たんに言葉をやり取りするだけではなく、相手の顔を見、反応を確かめながらのやり取りによっ て「理解し合う」ことこそ、コミュニケーションのための行動の大部分を占めているということ が、この例からも分かるのではないだろうか。
<中略> 電話は相手の顔を見ながら発信・受信しているわけではない。だからコミュニケーションの手 段としては不完全なものだろう。お年寄りが電話をかけながらお辞儀をしたり、お年寄りでなく とも会話中に手を上げたり指さしたりしている光景を見たことのある人は多かろう。これらの振 る舞いは、もちろん電話の向こうの相手には見えるはずがない。それでも、なんとかコミュニケー ションとして完全なものにしようと心がけ、理解し合うための信号を出そうとして無意識のうち にしているのである。
もっとも、電話はたしかに不完全ではあるが、相手の声を聞きながらやりとりしているので、 相手が喜んでいるのか、悲しんでいるのか、聞きたくないと思っているのか、こういった相手に 関する情報をかなりの程度まで知ることができる。だから、少なくとも相手の反応を確かめなが ら同時的発信・受信をする手段だと言える。不完全ではあってもコミュニケーションとして成立 している場合が多いのである。
こう見てみると、最近誰もが頻繁に利用しているEメールやインターネットでの書き込みなど は、私の少々厳しい定義から考えれば、じつはコミュニケーションのための手段とは言い難いも のだということがお分かりいただけるだろう。これらは相手の反応を確かめながら、つまり受信 しながら発信するかたちでのコミュニケーションではない。一方的な発信の積み重ねにすぎない のである。ましてや匿名によるインターネットへの書き込みを、コミュニケーションというのは 言語道断だと私は思っている。
「それなら、手紙だって似たようなものだ」と思われる方もいらっしゃるだろう。そのとおり である。しかし、手紙の場合は書き終わるまでに時間も手間もかかる。受取人のことを頭に描き ながらていねいに気持ちを込めて書き、何度も読み返してやっと封をし、下駄をつっかけて、た ばこ屋さんの横にあるポストまで投函しに行く。返事が届いて、初めてコミュニケーションが成 立したことになるのである。もちろん、受け取っただけで相手が自分の心をくみ取ってくれてい ると理解でき、返事の来ないうちからコミュニケーションが成立することもあるが。
それに対してEメールやインターネットへの書き込みはあまりにも簡単に書き終えすぎている ようだ。それが、手紙ならば要するはずの吟味のための長いプロセスとともに、相手を思う気持 ちまでも省略しやすくしてしまったのだろう。
速くて便利であることが、かえって「お互いに理解し合おうとする心」という大事なものを失 わせた典型的なケースだと思うが、いかがなものだろうか。

(杉山幸丸、「進化しすぎた日本人」、中央公論新社、2005年、247-251頁より一部編集して引用)

 

問い

問1 下線部(1)のように述べられているが、筆者は「コミュニケーション」をどのように考えているのか。40字以内で書きなさい。

問2 下線部(2)に述べられている「音声以外の行動」の具体例を本文中から1つ抜き出し、10字以内で書きなさい。

問3 コミュニケーションの手段としての「手紙」「Eメールやインターネットへの書き込み」 に対する筆者の見解を述べた上であなたの考えを400字以内で論じなさい。

 

おとのねさんの解答プロセス

石川県立看護大学

読み取り

コミュニケーションとは「相手との理解を深める発進と受信、情報の伝達」である。

筆者の問い:私たちは「お互いに理解し合おうとする心」を失っていないか。

条件
相手への理解がお互い深まっている。理解しあっている。
必ずしも言葉がなくとも成立する(ニホンザルの場合は平静状態の多くが音声以外)
相手の顔を見、反応を確かめながらやり取りして「理解し合う」こと
「ささやき」が中核?
受信しながら発信する=同時的発信・受信

不完全でもコミュニケーションとして成立している例
電話
手紙(受取人のことを頭に描きながらていねいに気持ちを込める。時間をかける)

ダメな例

側から和やかに話し合っているだけ
「受信だけ」「発信だけ」
単に言葉をやり取りする
一方的な発信の積み重ね
匿名

成立していない例
Eメールやインターネットの書き込み(相手を思う気持ちを省略してしまう)

解答例

問1:筆者はコミュニケーションを「相手との理解を深める発進と受信、情報の伝達」だと考えている。

問2:【問いの解釈】

「読み取る」
手紙による情報の伝達は受取人のことを頭に描きながらていねいに気持ちを込めるという点で不完全ではあるがコミュニケーションを成立させるのに対し、Eメールやインターネットの書き込みは相手を思う気持ちを省略してしまうのでコミュニケーションの手段として不適切であると筆者は述べている。(135文字)

《表明:はじめに、違和感の表明》

筆者はコミュニケーションの手段をいくつか分類している。コミュニケーションは発信と受信を同時に行うものであるという筆者の定義には同意できる。だが、私は疑問に思う。(76文字)

《本文》
Eメールやインターネットの書き込みはすべからく「お互いに理解し合おうとする心」のない情報伝達なのだろうか。手紙に書くのと同じように時間をかけて、相手を想像しながら何度も読み返しさせすれば、Eメールであっても筆者のいう「手紙」と類似する手段と考えられるからである。
(158文字)

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《メッセージ》削除
この文章は2005年に書かれたものであり、現在は筆者の知らない様々なコミュニケーションの手段が生まれているようにおもう。発信者が音声や絵文字、写真を送り、受信者が発信者の情報を受信することを助けることができるのだ。(99文字)

「踏まえて」「問う」
筆者の定義を踏まえて考える。→ 筆者の定義を否定すると時間がかかるから無理。

小論文の課題を通じて学んだことをメッセージで書く???
反論するとき、どこまで認めているかを書くべき????(その方が伝わりやすいでしょう)

 

 

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