【ひろゆきも注目!ヘラルボニーとは?】福祉の未来が変わるアート【超ファンタスティック未来】
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所感
アートと福祉の話は、そこまで新しいものではない。
僕がこの動画を見て感じたことは、「障害者」の行きにくさを生み出す人の意識を変えていくために、ブログとかTwitterで表明するのではなくて、営業して、世の中に広める行動をしているということ。そ「資本主義」の競争者の一人として認めてもらった。認めてもらえる人が増えた。プロデュースした。知的障害者が認めてもらえる土俵を選び、資本主義の土俵にあげた。
「広める」という意味では、テレビのコマーシャルの影響は大きいだろう。それと同じように、多くの人に見てもらうための仕掛け、営業の能力があれば、なんでもできるようだ。「売る」というマインドが、ある。
もう一点、面白いと思ったこと。
「いいじゃん、それで」と抑圧を解き放たれて、アーティストになった人がいる。
違和感1
大企業に勤めて、営業も経験して、自信、というより見込みがあっただろう。実際に、結果を出している。僕はこのことに違和感を感じる。どうして彼らは結果を出せたのだろう。一つは、「できる」という感覚、経験の積み重ね。一つは、彼らの本性、知的障害者との関わりの中で培われてきた感覚。
学生時代から始める
卒業して始める。
大手の会社に入って経験を積んでから始める。
自分の自信に応じて、「はじめる」タイミングがあるように思う。
もし自信、「はじめよう」と思える動機、心の下地がなかったら?
あるひとは、趣味を始めるかもしれない。ある人は、お金儲け(投資?)を始めるかもしれない。動機があっても、能力がなくて失敗するかもしれない。それでも続けられるものが、本物なのだろうか。
違和感2
知的障害者にも資本主義社会で競争力がある。「コスト」ではない。「利益」を生むという前例を作った。それは意義深い。それでも結局資本主義だから、売れない作家と売れる作家が出てくる。それは知的障害であろうとなかろうと変わらない。
それに、僕はそれで社会が変わる、とは思わない。思えない。
「これはヘラルボニーのプロダクトなんだ!」と言って自慢したい人が増えるだけか。
「あなたは知的障害だけどアートができないの!?」と誤解する人が増えるだけか。
カードの試みのように、知的障害者のためのお金が還元されるという仕組みで「貢献」をする感覚に酔うだけか。
知的障害者の人とそうでない人が関わる機会は、増えないだろう。なんてネガティブな考えなんだろう!?
ただ、考えるきっかけにはなるかもしれない。この動画で話されている物語が、共感を呼ぶかもしれない。しかしビジネスは、この事業は、その変化はとてもとても長期的な視野でしか捉えられないことを知っているだろう。短期的な結果がなくても、良いのだろうか。いや、二人は、短期的に結果を出した。それがビジネスの流儀なのだと僕は思う。
けれども目に見えない小さな変化にだけでも、満足したらいいと思う。結局、製品の売れた数で仮想的に変化を認識しているのだから。ごく少数の、競争に勝ちアーティストになった知的障害者の人の「ホットスポット」を、例えば自称進学校が難関大学合格者に祭り上げるように。
競争という構造はそのままである。
「戦い」が必要だ。
ただその「戦い」をサポートしてくれる団体が、ある。
そしてその団体は、お金を「貰う」営業能力を持っている。
スクショ
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