【世界が認めた観光地】瀬戸内から起こす食&環境イノベーション【超ファンタスティック未来】
大人の事情が知りたい方はこちらから。
所感
高校生が輝いている瀬戸内。なるほど。いい標語だと思った。
社会は、団体は、企業は、少なくとも高校生を、「パートナー」として見ることができる。「大人」と遜色ない、人材、クリエイター、人として見ることができる。
日本財団という団体は、「いいことやってる」団体のように思えた。この番組を見なかったら、知らないまま人生を終えていたかもしれない。
日本財団が進めている事業の中で、海洋のゴミ問題があった。海も陸も、日本も海外も、そして空も一緒になって資源を守る、という取り組みだ。資源を使い、金を増やす、ということをしない。「マッチング」のように、人がゴミを減らすシステムを作る。「どうしてゴミが海に行くのか」を調べた調査は面白かった。「ゴミ集積所が川の近くにある」「夜に働く人が増えて、ゴミを出せなくなった」などなど。知ることの大事さを感じた。瀬戸内海は良い「モデル」になるという。「やればできる」モデルになる、というお話が腑に落ちた。
ここでも、「いってるだけじゃ変わらない」という言葉が。
学会で「どうにかしようよ」といって、「どうするの?」で終わっていた。それが、日本財団の基礎研究で進んだ。という。どのように行動をしたらいいか、そのためには、知ることだと。基礎研究だと。そしてそこで得られた事実を、どのように、誰に、提供し、行動するのか。AsMamaの例だと、アプリを作って、望まれる行動へと人を導くようにした。
違和感
ここでも、「普通科」が出てくる。そしてそこもまた中高一貫の私立であり、競争に勝ち抜いた人が入学する場所だった。これは何なのだろう?「人」の条件は、学力なのだろうか。
高校生が何かを開発したという記事を集めたら、面白いかもしれない。
これは南宇和高等学校の活動。地域に一つしかないため、競争が強い人も弱い人も来ているだろう。(事情はよくわからないので憶測)。にしても、例えば、ほとんど教師が主導で、広報のために「生徒がやったこと」にしているケースもある。なので実態は謎である。
こういった考えが頭に浮かぶのも、自分の劣等感によるものだと思える。
その劣等感こそが、大いなる違和感だ。
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