注意欠陥・多動性・自閉症・学習障害(AD・HD・ASD・LD)は凹凸の一部

子どもの自閉症と日本の療育。「先天的」の意味。ASD。

専門家のいない日本の療育現場

コミュニケーションがとれないの代名詞になっている自閉症。 日本でどれだけ知られているだろうか。 多かれ少なかれ誰もがこういった傾向を持っている。 自閉症と呼ばれている人たちは、誰もが持っているこの傾向が、全体のバランスからはみ出てしまっているわけだ。 本を読んでいて 「徹底的な関わり合い(intensive interaction)」 「関わり合い指導(interactive teaching)」というコトバに出会った。 『自閉症の子どもたち』(p. 206) 探してみるとyoutubeにもでていた。 私はその音楽性、演劇性、人間性に目を向ける。オトナが何をしているのかもわかる。 このブログをみてくれているあなたにもわかるだろう。 サイコドラマ、共感、遊び、どんなコトバをつかっても、説明ができても、これを実践して、試みて、関わり合いをもてる専門家は日本のどこにいる? と私なら思ってしまう。 「患者がでている!プライバシーは大丈夫なのか??」と驚いた人がいるかもしれない。 日本で自閉症の学術研究が遅れている、治療法の確立が遅れているのは、こうした閉鎖性が影響しているかもしれないと、つねづね思ってしまう。 今、療育というものが広まっている。しかし療育の専門家はほとんどいない。(と僕はおもうのだがどうだろうか。教育機関がないのだから) 発達支援が叫ばれる中、発達支援を本当に「学んだ」人がどれだけいるか。 「経験者」がやさしく接するだけになっていないだろうか。 「絵を使ってコミュニケーション」「ほめる」といった情報しか、療育の現場には伝わっていないのではないか。 日本で自閉症、発達障害をもつ人との関わり合いを知る人は少ない。 インターネットで「日本語」を使って検索しても、本当のことを話してくれる人は少ない。 話すだけでなく、実際にそれができる人はもっと少ないだろう 海外にいけば、自閉症児のためだけにつくられた学校もあるくらいだ。(日本にもあるだろうか?)

自閉症の乳幼児がアイコンタクトを避ける理由のひとつは、不安になるからだと考えられている。 他人と目を合わせると、自閉症児の扁桃体は激しく反応する――強度の恐怖を感じているしるしだ。 そのため、自閉症児は相手の目を見るかわりに口もとを見るようになる。しかし、口の動きはその人 の内心をほとんど何も伝えない。こうした対応によって、自閉症児は不安を軽減することができるも のの、マインドサイトどころか、他者と向きあって初歩的な同調性を学習するのに必要な手がかりさ え見逃してしまう。(『SQ 生きかたの知能指数』ダニエル ゴールマン p.218)

自閉症と言われる症状を抱えた人は、扁桃体が過度に働いて、強く恐怖を感じるんだろう。 人の形をしたものが、怖いのかもしれない。 だから、人でないものに、興味を注ぐのかもしれない。 それをひとつの能力として、認められる社会は、どんな社会だろう。 ーーー ーーーー TEDでは、いろいろな人達が世界にはいることを日本人にも伝えてくれている。 日本語で聴けます いつでも道は開かれている。誰にでも開かれた道があると私はおもっている。 芸術だ。私が知っている人で、芸術の力をすべての人に開こうとしているのが川手鷹彦氏。 私はひとりひとりが自分の意識を持って、ユニークな方法で力をだし、社会にそそいでいくことだけが、ひとりひとりを幸せにするのだと信じている。 「英語勉強してどうなるの?」という人がいる。 あなたはある意味で、正しい。日本の中にある情報で満足するのであれば、英語など、習う必要がないのだと私はおもっている。 モット知りたい、興味がある、好奇心、創造力。本当はこっちのほうが、大切なのだ。 その他 option method Gentle teaching

コミュニケーションがとれない?先天的もしくは胎児期が原因となるオキシトシン欠乏症

多くの人にとって、ODDは子ども時代の経験の結果ではなく、持って生まれた遺伝子によって起 こる。オキシトシンの欠乏がかかわると考えられる障害でもっともよく見られるのが、自閉症だ。ある研究で、自閉症児は血液中のオキシトシンの基準値が低いことがわかった。髄液中の基準値も同様 で、これは視床下部でオキシトシンを生み出すニューロンがきちんと機能していないということだろ う。別の研究では、オキシトシン受容体に変異が見つかっている。この変異のせいで受容体がオキシ トシンと正しく結合できないのかもしれない。今のところ、何が自閉症の「原因」かを示す決定的な証拠はないが、プレーリーハタネズミでの研究によると、オキシトシン受容体の働きが妨げられたときに、この動物は正常な社会的愛着を形成できないことがわかっているので、この推測はかなり有力だ。 胎児期のテストステロン・レベルの高さも、自閉症児のHOMEシステムの停止にかかわっている ことがわかっている専門家の中には、自閉症のことを「超男性脳症候群」と呼ぶ者さえいる。アメ リカでは毎年、1000人に6人が自閉症児として生まれてくるが、実際、男性の割合は女性の4倍 に達する。 「確実なのは、自閉症は、コミュニケーション技能や、他人の感情を読む(言い換えれば、共感す る)能力や、社会的に結びつく能力(と欲求の両方あるいはどちらか)に影響を及ぼすということだ。 反復的で決まりきった行動パターンも自閉症と結びついており、幼いころに密接な接触の機会を奪わ れたサルに見られた、前後に体を揺するような動作もそれに含まれる。普通、そうした動作が自閉症 診断につながり、診断はほとんどの場合、3歳ぐらいまでに下される。 とはいえ、障害の幅はとても広いため、「自閉症スペクトラム障害」という名前で呼ばれることが 多く、そのうち症状がもっとも軽いのがアスペルガー症候群だ。アスペルガーの人は社会集団内で十 分うまくやっていくことができ、しかも専門技術を要する分野でしばしば非常に高いレベルで職分を 果たしている。アスペルガーの有名人として、アイザック・ニュートン、トマス・ジェファソン、ア ルバート・アインシュタインを挙げる専門家もいる。ビル・ゲイツは緊張した会議のときは体を前後 に揺することで有名で、やはりアスペルガーではないかといわれている。人と交わるよりもコードを 書くことを好む何千もの高機能アスペルガーの人の貢献がなければ、コンピューター産業は現在のよ うな隆盛を極めることはなかっただろうという推測さえある(さらに、コンピューター産業で働くアスペルガーどうしの結婚が、シリコンヴァレーをはじめとするハイテク中心地で自閉症の急増をもたらしているという推測もあるーあくまで推測でしかないが)。(『経済は「競争」では繁栄しない』ポール・J・ザック p.171)

ADHD。注意欠陥・多動性障害?子どもはみんな多動ですが。

落ち着きがないとかなんとかうんぬんとかわんぱくとか。

それは、障害とか、遅れているとかじゃなくて、生き方です。

病名ではありません。生き方です。「もうこの世界、生きにくいから、無理。ちょっと勘弁してよ」と脳や体が、心が反応してしまっているのです。陰性がひきこもりだとしたら、その陽性の反応です。

我慢ができないとか、集中力がないのはなぜか?大人の生活に子供が合わせようとして、でも子供はそれに合わせられる能力がなかったから「退屈な場所で退屈で何かしようとすると怒られる」場合、何かに集中する経験がなくてそうなる。「あれをやれ」「これをやれ」といわれるがおもしろくもなんともなくて興味をなくしてそっぽをむくのは自然な反応だ。徹底的に遊ぶ経験がない、集中してあそべない生き方、言われたことだけをやらなければいけない生き方をしてきたということだ。

我慢ができないというのは扁桃体とか脳幹の言いなりになって欲望を前頭葉でコントロールできていないことであり、大人にもよくある症状で、パチンコギャンブル、はたまたDVなど、いたるところにある、ある、生き方だ。よくある生き方だ。

多動とか、注意欠陥という言葉自体、大人がかってに「こういう子は学校にいると困るから」という理由で作り上げた「病気の名前」であって、学校の「評価」と同じ機能を持っていると思えばいい。

多動?注意欠陥?え?自閉症?じゃぁ、学校を辞めてもっといい暮らしを、豊かな暮らしをしようとおもえる、いい機会かもしれない。(日本の障害児教育が、研究が、どれだけ遅れていることか。最近は発達支援センターをつっくることで株式会社がそうとうの利益を得ることになり、一般家庭からお金を吸い上げる方法として子供が使われてきた。そういった仕組みですよ。小学校でプログラミング、英語必須になって喜ぶのは企業。IT業界。教育委員会は、そっちの人たちを支援しているとおもったらいい。学校の中はひっちゃかめっちゃかで、まともに教育などできないとわかっていて、なぜすすめるか、私にはわからない)

日本は障害者が生きるには辛い場所だ、アメリカにいこう!と移住した人の話

遊ぶと多動でなくなる。

注意欠陥、多動ということばがあり、何が原因かわかっていなかったり、遺伝だろうとかなんとか言われているが、その診断を的確にすることは到底できないだろう(みんなのDNAを分析してくれるほど国にお金はない)。だから原因を突き止めてもあまり役に立たない。

で、『子どもの遊びは魔法の授業』p.343にはこう書いてある。

パンクセップ教授と教え子のニッキ・ゴードンは、遊びを剥奪すると、脳の成長に遅れをきたすことを発見した。すでに前頭葉に損傷のあるラットに遊ぶことを許すと、損傷した脳がひとりでに修復した。前頭葉の損傷は、ADD(注意欠陥障害)に苦しんでいる子どもが抱えているものに似ていると考えられる。もし制約のない遊びがラットの緊張を和らげる効果があるなら、人間の子供にも効果があるだろう。現に子どもの研究者たちは、遊びに同様の効果を発見しつつある。無鉄砲な遊びはADDの子どもが自分の衝動を抑制し、学校での集中力を高めることに貢献するかもしれない。ミネソタ州立大学のアンソニー・ペレグリー二教授の研究で、学校の生徒に遊びの休憩を与えると、考えることを含め、勉強への注意力がいちじるしく高まることもすでにわかっている。それなのに、学校は最近ますます遊ぶ機会を削減しているのだ!ペレグリーニ教授が言うように、そうした動きは「誤っており、実際、有害な影響をもたらすかもしれない」

発達障害といわれている子はたいてい、多くの刺激で悩んでいるまた本当にほしいものが得られずに悩んでいる。落ち着ける環境がなくて悩んでいる。それなのに、療育センターと呼ばれる場所では蛍光灯がギンギンについていて子どもたちの神経を刺激していたり、興味関心もでてこない知育玩具をやらせたりする。狭い部屋に何人も人間がいるだけで頭がパニックになる子もいる。もう刺激はたくさんだ!興味あることだけやらせてくれ!ほっとけ!あそびたいんだ!という子どもの声が聞こえないだろうか。それは「私の成長を止めないでくれる?」という声だ。(療育センターにいけば、保育園よりも人数が減るし、保育所にはない人間関係を作れるから、それはそれでよいのだが)

大人でも、昼寝をするといい、働き積めない方がより創造的な仕事ができるというのは本当のことだ。子育てをしながら、大人もリッチな暮らしを見つめ直してみたら、ハッピーになれるのではないか。

多動、と言われている子のうち、手先が動かせない子、粗大運動と微細運動、協同運動ができていない子は、エネルギーをうまく使えずに多動になっているかもしれない。それを出すためにも、集中して、世界に関わって行く何かをひとつ、みつけるといいかもしれない。

遺伝的にバランスをとりにくい?男の子【右脳と左脳と性ホルモンとADHD】

ADHD(注意欠陥・多動性障害)は多動性、不注意、衝動性などを特徴とする神経発達障害のひとつで、小学校の教室でじっとしていることのできない男の子に典型的な 病気とされた。この病気には集中力を高める「リタリン(メチルフェニデート)」という中枢神経刺激薬が効果的といわれ大量に処方されたが、その組成はアンフェタミン、 すなわち覚醒剤とほとんど同じだ。子どもに覚醒剤を投与すれば、授業に集中しているように見えるだろう。しかし、これが果たして「治療」なのか。(『言ってはいけない 残酷すぎる真実 』橘 玲 p.151)

男性と女性の脳組織に顕著な性差があることは、脳卒中と言語機能の関係から明らか になった。脳の左半球に卒中を起こした男性は、言語性IQが平均で20%低下するが、右半球に 卒中を起こした場合は言語性IQの低下はほとんど見られない。それに対し、脳の左半 球に卒中を起こした女性は言語性IQが平均で9%低下し、右半球に卒中を起こした場 合でも11%低下する。 男性の脳は機能が細分化されていて、言語を使う際に右脳をほとんど利用しないが、 女性の脳では機能が広範囲に分布しており、言語のために脳の両方の半球を使っている のだ。 こうした脳の機能的なちがいは、興味や関心、知能や感情などさまざまな面に影響を及ぼす。 欧米においても、自然科学の分野で博士号を取得する女性の比率は10%を下回り、物 理学と工学(エンジニアリング)では5%に届かない。これは従来、アカデミズムにお ける性差別の明白な証拠とされていたのだが、それでは生物学において女性研究者の比 率が25%ちかくを占める理由が說明できない。フェミニストの批判が正しいのなら、著 名な物理学者であるアインシュタインもファインマンも性差別主義者になってしまう。 この疑問に対してカナダの心理学者ドリーン・キムラ(「キムラ」姓だが日系ではな い)は、自然科学における男女の偏りは、女性の脳が物理学よりも生物学に適している のが理由だとこたえる。胎児の段階から男性ではテストステロン、女性ではエストロゲなどの性ホルモンが脳の形成に影響を及ぼし、その結果、男性は空間把握や数学的推 の能力が発達し、女性は言語の流暢性を高めた。女性研究者は自分自身の合理的な判 断によって、優位性のある分野に進むのだ。 イギリスの心理学者サイモン・バロン = コーエンは、男性の脳の特徴は「システム 化」で、女性の脳は「共感」に秀でていると述べた。プログラマの大半が男性で、看護 師や介護士に女性が多いのは、脳の生理的な仕組みによって「好きなこと」がちがうかだろう。 進化心理学は、「女は女らしい仕事をすればいい」とか、「女性は家事・育児をするように進化した」と主張するわけではない。私たちの社会に必要とされているのは、男女 の性差をイデオロギーで否定するのではなく、両者のちがいを認めたうえで、男も女も 幸福な人生を送れるような制度を目指すことだろう。 (『言ってはいけない 残酷すぎる真実 』橘 玲 p.154)

動いているブランコに突進するのは、経験不足なだけか、スローか、無理か。(認知の限界)

オトノネ関係者で放課後ディの人がいる。 ダウン症の子、小学生。 危ないはずのブランコに、自ら突進する。 これは、ブランコで痛い目にあう経験値が足りていないからか。 それとも、痛い目にあったことが、利用できないしくみになっているのか。 ーーーーーーーー 野外教育業界で、こんな言葉がある。 怪我をしない子は、初めてのことでも、一切怪我をしない。 怪我をする子は、何度でも怪我をする。 危機察知ができるのは、経験の集積を抽象化して、法則化して、「あ、これは、気をつけないとな」とおもって、 慎重に行動を起こしたりすること。雰囲気を敏感に、肌で感じること。 危ないな、と「予測」して、「慎重に」振舞うこと。 様子を見て「観察」したり、道具の威力がわかるまで「実験」する。 こうした反応も、危険、危ない、失敗という経験から作られるだろう。 だが、「予測」や「慎重さ」や「観察」「実験」ができない子がいる。 それは、もう、どうしようもないものなのか。 それとも、ゆっくり発達して行って、いつかは「あ、動いているブランコに突進したら危ないんだ」といわかるだろうか。 道路に飛び出したら死ぬことが、わかるだろうか。(一才の子にはよくあることだが) 実際に事故に遭わなくても、危険を回避するチカラがある。 大きくて、動いているものは、危険! という単純なことなのだが・・・・ ある意味でこれはファンタジーするチカラの応用だろう。 例えば、虫が好きで、虫を触っていて、噛まれるとわかって、つかむ場所を考えたりすることでも、この能力は、経験は、蓄積される。 それで「学習」ができるか。 なぜかオトノネにいた、噛まれると痛そうなヤツ。そういえば、自転車をこいでる時、何かがぶつかってきたような・・・この虫は、ヤヴァイだろ。ぜってー噛むって!!!笑 ーーーーー 僕は、学習できるんじゃないかとおもっている。 ずいぶん大人になったダウン症の人が、人間関係をつくる「戦略」をもっているという話を聞いたことがある。 ただそのためには、時間と、経験の蓄積が、必要になるんだとおもう。 似たような状況でなければ、反応できないかもしれない。 「その子の」学びの環境を整えること。 個別化すること。 放課後デイのスタッフの少なさでは、利用者の数では、ほとんど「管理」になるのが現状。 だ。という話だった。 これは、学校でも、塾でも同じ。 その場所が、学びに適しているか。ただ、安心のために利用するか。 お父さん、お母さん次第。 ーーーーーーーー 失敗をしたり、「あ、これは、危ないものだな」と思えるものに関わる、そういうちょっと危ない状況を観察したり感じる経験が、やたら少なくなったようにおもう。 いろんな人の法則、物の法則は、学校のお勉強では学べない。 例えば。 知らない人に声をかけられたら、逃げる。という指導が学校ではされているかもしれない。 人間を見て、判断をつける。「あ、この人は、危ないな」とか「あ、この状況は、何か、違うな」と思えるだけの、多様な出来事、経験が少なかったら、本当に、囲われた世界でしか、画一的な世界でしか生きられなくなるかもしれない。 ーーーーーーーーー 冒険、挑戦が許されるあそびの世界が、少なくないか? 子供が挑戦するのを、見守る大人が、少なくないか? おもいっきり擦り傷を作って家に帰る子が、いるだろうか。 いるに違いないが! ーーーーーーーー

子どもにとって、その子に関わる大人にとって、一番「障害」になるものは何か。 「話が通じない親である」で、意見は一致した。 高岡は特別支援学校も、普通の学校も、財政難のためにマンモス化している。 子どもにお金をかけないこの街に、どんな未来がまっているだろう。 お父さん、お母さんも、子どもも、疲れている。 それでも、子どもたちは、笑っているから、僕はほんとうに彼らを尊敬している。 ーーーーー 適切な行動の未学習か、 不適切な行動の誤学習によって 「問題の行動」が引き起こる。 「教えるべきこと」は何だろうか。 「これはダメあれもダメ」ではなく、「これがいい、あれがいい」を、適切な行動を学んでいこう。 学校の言語環境は、すこぶる悪い。「教えてはいけないこと」が、教え込まれている。

遅れは取り戻せるのか?発達の可逆性について。

うーん。 そうだよ。 遺伝か環境か。 遅れた発達は「取り返せるものなのか」どうか。 あのとき抑圧していたものは、解放され、自由になり、成長を始めるか。 子どもの時に、芽をだせなかったチカラを、大人になったときに感じることはよくある。 逆に子どもの時に芽を出していたチカラが大人になったときにも役に立つこともある。 デキナイこと、デキていないことに芽を向けてばかりで、できること、今持っているチカラをお世話するおとがおろそかになっては、何か本末転倒だろうか。 今、できること。 今。 今、その子の中にあるチカラは何か。 その子が持っている神秘的な力の計り知れない満ち満ちた未知に大人が向き合うとは? 人生の中で、別のイベントが発生したときに、その能力は、埋もれていたチカラは、「伸びなかった」チカラは、開花するかもしれない。 僕もそういうところがあるし、僕の友達にもそういう子がいる。 何がいつでてくるか。 其のチカラが誰かと結びつくことで、発揮される、意味を持つようになるかもしれない。 僕が子どもと出会って何かの意味をみつけたように。 ーーー 発達には個人差がある。 環境も、遺伝も関係する。 それを全て検査し、診断し、処方を与えられるわけではない。 事前に防いだり、とってつけたりすることもできないだろう。 で、大きくなって、いろんな大人と出会っていくと、なんだかんだ、デキナイことよりも、デキることを大切にした人が、笑っているような気がしている。  

言葉が遅れている?遅れか、障害か。そこでグンデルを使ってみる。スマホが強かった。

3歳になるが、言葉がでてこない。 ということでHPをみて相談に来てくれた。 児童発達支援の事業所を回りながらいろいろな話を聞いているとのこと。 その子と、お母さんと、お父さんと3人で来てもらった。 様子をみていると。。。 確かに、遅れている。 でもお母さんの話では、お兄ちゃんも同じように言葉が遅かったが、保育園に通い始めてから言葉がでてきたということ。 ではこの子は?保育園に最近行き始めたばかり。療育センターに通うことにもなっているが、利用できるのはまだ先で、今からでも始められるところはないかということだった。 ただの遅れなのか、それとも障害(生まれ持ったもの)なのか。 それをお父さんお母さんは気にしているところでもあった。 養護学校ではなく、普通の学校に入れるのか。。。。 ーー ーー 普通の学校に入るために、普通になるためにその子に何かをするのではなく、その子の発達のために何ができるのかを僕は考える。 クシュラの物語を思い出した。(お父さんお母さん、必読です!個別化とは何か『クシュラの奇跡ー140冊の絵本との日々』 クシュラの場合は絵本だった。 その子の場合は、何だろうか? それを探そうとして、いくつかあそびをやった。 あれも、これも、うーん。すぐに興味が消える。 あそびが続かない。集中して何かに取り組まない。 初めてのオトノネで混乱しているからだろうか。。。。 そこでグンデルに登場してもらった。 パングルを使って音をだした。 その子も出した。 いろんな音をだす。 その子もその子なりに音をだす。 結構な時間、続いた! お母さんに背を向けて、お母さんを離れて集中してグンデルを挟んで僕と向き合っていた。 これかも。。。 おしまいには、その子は自分でパングルを置いて、意思表示をした。 (嫌なことは嫌と首を振って言える子だ) 「これをすれば必ず」というものは教育の世界にも療育の世界にもない。(保育の世界は少し例外らしいのだが。。) オトノネはその子の世界を開く扉を探していく方法をとる。 その扉を叩き続ける。 一人で集中してできることは何か。 しかもそこに人とのコミュニケーションが存在することはなにか。 もし障害だとしても、ただの遅れだとしても、人と非言語であってもコミュニケーションをとる経験はこれからその子の役に立つ。 何がきっかけになるかはわからない。 もってうまれた気質もある。 それを「直そう」として心が歪むこともあるだろう。 あそびに没頭できない。 言葉が出てこない。 人間の不思議を解明しようとしていろんな研究者が研究をしているところで、現場はその研究の成果をなかなか取り入れられていないのではないかと思える今日この頃。まずはワーキングメモリの研究成果を調べてみよう。 自閉症・AD/HD、精神薄弱、いろんな言い方がされてしまうがその診断も、あいまいな乳幼児に対してできることは、祈るように、その子の世界の扉を叩き続けることなのではないかと、今の所僕はおもっている。 勉強を続けたい。 ーーーー 話の流れで、その子はスマホを手にするとホーム画面からyoutubeを自分で開いて、曲を選んで再生することができるという。 実際にやってもらった。 できている。。。 しかも取り上げられるまでずっと飽きずに見ているという。 ある意味でスマホにはその子の世界が開けている。 スマホの世界には開けている。 それにしても3歳児って、スマホ使えるんだ。。。。 ゲームならわかるけど。。。 youtube がどこにあって、どうしたら何が起きてという記号の意味を知っている。 どうやって学んだのか今度聞いてみよう。(出生児体重を聞くのも忘れた) スマホがその子の世界を開くきっかけになるか。 うまくスマホの世界を使って、現実の世界で生きるチカラを育てられるだろうか。 これはかなり先進的な研究になるのではないかとおもうが、誰かやってくれるでしょうか? ぜひやってください。 ーーーーー 保育園に行って、今までずっと一緒だったお母さんから離れることで、「やべぇ、喋んないと」とおもって言葉をだすかもしれない。 何がきっかけになるのかはわからない。 人間の神秘的な部分を大切に、僕ができることをしていこうとおもう。

言葉の遅れ??

2歳0ヶ月で少ない子は100語、多い子は400語以上になる。 で、多くの子どもたちは小学生の間に「追いつく」という。 一部の子どもは、追いつけない・・・これがお母さんの心配かとおもう。 追いつけない、「他の子よりも言葉が苦手な」子はすぐに「言語遅滞」とか「自閉傾向」とか診断される。発達障害、と言われているものだが。なんの障害になるかといったら、「学校生活が障害になる」とおもったらいい。発達障害の障害とは、学校のことだとおもえば、気持ちが楽になるだろうか。 学校に行かなければ、障害はなくなる。 子どもを学校の基準に合わせるのではなくて、子どもを学校に向かせるのではなくて、正面から子どもをみてほしい。気持ちを楽にして、学校では味わえないいろんな経験を、学校の外で積んでいくことが、もしかしたらその子にはいい「学び」になるのかもしれない。

保育も教育も療育もすべて子(個)別性が大事。心が大事。

「そういえば、発達障害をもっている子のための保育案ってあるのかな?いわゆる健常児ならいついつころにはこれこれができるようになるからといって保育案(指導案)が作られるんだけど」という疑問を持ち、とあるFBグループ上で質問をしてみた。 そうしたら、ああ、なるほど、と思えるコメントをたくさんもらえた! SNSをやっていて、SNSのよさを感じれた。うれしく、ありがたくおもえた。 で。 ーーーー 療育とは何か、発達障害と診断された子に対して大人はどういう気持ちで、心で関わったらいいか。 その心構えを書いている文書を紹介してもらったのでここでも紹介したいです。 発達が気になる子が過ごす地域の支援者様へ(倉敷市社会福祉部障がい福祉課) この中で、やはりこの一文が響く

発達に特性がある児童が「療育」を利用するだけですべての課題が改善するわけではありません。(略)倉敷市は市内の事業所に対して、「本人の特性や物事の学び方を、家族や地域の支援者が理解し、成人期において、地域で自分らしく自立した暮しができるようになる」ことを療育の目的.....として支援するよう求めていますので、(以下略)

これは療育の目的というより、教育、保育の目的、人間の目的ではないのか。 別の子の経験が他の子に役立つわけでもなく、いつなにをするかも時期もまちまち。 「定型」を超えてその子が今求めているものに、発達しようとしているものに(自閉症、ADHDの子ももちろん発達する)目を向けてみる。 コメントをくれた方へのおとのねさんのコメント返しは次のようでした。

ありがとうございます。長い間、私の声に耳を傾けてくださったことに心から感謝しています。倉敷市の文書を読み、これは僕の考えている保育や教育、療育すべてにいえる指針のように思えました。オーダーメイド、ひとりひとりに焦点を当てたものと考えれば、児童の福祉にとどまらない、大人にとっても大切なことだと思いました。発達支援の勉強を深めながら、教育の畑で関わりきれなかった子どもたちと関わりあう知恵を、集めていきたいと、ああ、溢れるくらい感動しました。僕は勉強します。勉強します。たくさんの勇気をいただきました。ありがとうございました!

自分らしく自立する。 大人になっても、人は育ち続けている。 お互いの分子間力で、価電子を介した結合で、近づき、関わり合いながら。 ーー ーー 個別指導塾はかず多くあるが、結局やること喋ることは同じなことが多い気がしませんか? オトノネは、完全子別です。あ、名刺が世間体気にして「個別」になってたけど、「子別」になおそうとおもった。 保育の現場では、0から1才は「個人案」がある。けどそれ以降も、先生たちの間では「個人案」が作られ続ける。 療育は現場では「個人案」がつくられる。(建前だけの案をつくる事業所もあるが) 教育の現場では「授業案」が作られる。職員室では生徒の悪口と愚痴が飛び交う。(いい先生もいるよ!もちろん!) そう、学校教育の校舎と校庭のモデルは監獄と軍隊(史実だから、許してね!)。 しくみは工場のベルトコンベアで最後には無理やり卒業させられる(酷い言い方かもだけど、許してね!)。 産業革命以降の大量生産性、均一な品質管理に悲鳴をあげている0から18才のためのオトノネです。 けどそれが日本のスタンダード。 その中で「あなた」はどう生きるか。僕は、どうやって生きようか。。。 心が大事。 教育基本法にあるごちゃごちゃした教育の目的よりか、倉敷市の療育の目的を指針にしたほうがよいかもしれない。 そして学校の現場は、やはり、法律違反(スクール・ヴァイオレーション)をしているけれど、人間だから仕方がない。 自分の身は自分でまもろう。自分の命は、自分で燃やそう。大丈夫。燃やし続けていれば、きっと、君の光をみつけてくれる仲間と出会えるから。DVの加害者を罰する法はない。逃げるしかない。身を守るしかない。

第一章 教育の目的及び理念 (教育の目的) 第一条 教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。 (教育の目標) 第二条 教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。 一 幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。 二 個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。 三 正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。 四 生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。 五 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。

ちなみに学校教育法はこちら

第二十一条 義務教育として行われる普通教育は、教育基本法(平成十八年法律第百二十号)第五条第二項に規定する目的を実現するため、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。 一 学校内外における社会的活動を促進し、自主、自律及び協同の精神、規範意識、公正な判断力並びに公共の精神に基づき主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。

学校の先生は、果たして自主、自立及び協同の精神をもっているのかしらん(現場の先生も、大変なんです。許してあげてください)。

第六章 高等学校 第五十条 高等学校は、中学校における教育の基礎の上に、心身の発達及び進路に応じて、高度な普通教育及び専門教育を施すことを目的とする。 第五十一条 高等学校における教育は、前条に規定する目的を実現するため、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。 一 義務教育として行われる普通教育の成果を更に発展拡充させて、豊かな人間性、創造性及び健やかな身体を養い、国家及び社会の形成者として必要な資質を養うこと。 二 社会において果たさなければならない使命の自覚に基づき、個性に応じて将来の進路を決定させ、一般的な教養を高め、専門的な知識、技術及び技能を習得させること。 三 個性の確立に努めるとともに、社会について、広く深い理解と健全な批判力を養い、社会の発展に寄与する態度を養うこと。

国立大学、東大に進路を限定しようとする先生たちに、個性って何か聞いてみよう。高校で個性を確立することに努めるってどういうことか、聞いてみよう。(大丈夫です。日本は法治国家だから、答えてくれるはず!)

学校が子どもの障害になっている場合。障害物レースのルールは?

お父さんお母さんや学校の先生が、その子に「させている」「歩ませたい道」が子どもにとって「障害」になるかもしれない。 いわゆる障害児(不定型発達児)が「いわゆる健常児(最近は定型発達児と言うようになったらしい。いいことだと思う。)にとってのふつう」を目指そうとしても目指せない「障害」があるように。 課題の海で溺れてボロボロになりながら、沈んでいく子もいる。 けどそれは誰にとっても起こりうることだ。 明日死ぬかもわからない時代があったのだ。 そう思えば、漆黒のブラックな会社、学校の出来事もとても自然なことだと思うことができる。 障害を乗り越えて立派な人間になると考えるなら、乗り越えられるように手助けしてくれる人がいればその子は幸せだろう。 超えることのできない障害物が目の前に現れた時、レースをヤメて、とりあえず障害物の横から回り込んで前に進んでもいい。 前に進めぬほどの障害物なら、しばらくそこで、休んでもいい。逃げてもいい。 障害物が、ただそこにいるだけでなく、子どもの自然を壊す脅威になることもあるから。 障害物レースのルールは、ない。 教育基本法によれば、ルールは、お母さんが作れるらしい。 ただ、障害物を壊そうとしても壊れないだろう。 ただ、障害物に語りかけることはできる。もしかしたら、動いてどいてくれるかもしれない。(障害物を岩だとおもってみよう。動いてくれそうか?心を込めて、本気で、唱えてみよう。アブラカタブラ!) 前に進んで見た後で、後ろを振り返ってみると、そこにはなんの障害物もなかったのだと、目を疑うかもしれない。

脳はゆっくり変わっても、心は大きく、突然、変わる。

#8 ジェロマガジン ~キム・ピークに学ぶ~ 自閉症と言われる人も、人との関わり合いの中で、自立していく。 人の中で喜びを感じ、「役割」を演じ、心を開いていく。 天の才、しあわせの種 もし彼が、生涯、施設の中に閉じ込められていたら。 学校の中に閉じ込められていたら。 誰も、彼を、見つけてくれなかっただろう。 ————-
鳥は、脳が発達するわけではないのだが。 心の使い方で、いろんなことが、できるようになる。 心が大事。 動物にも、心がある。 植物にも、心がある。 とおもうのは、僕だけだろうか。  

学習障害LDか、スローラーンなだけか。

小学校では3割、中学校では5割、高校では7割が学習障害?

学習障害児に対する指導について(報告) 文科省の資料だが。 古いなぁ。。。平成11年か。。 で、リンクのページの下の方に書いてある「学習障害の判断・実態把握基準(試案)」をみると

1  校内委員会における実態把握基準と留意事項 (1)  実態把握のための基準 A. 特異な学習困難があること 1 国語又は算数(数学)(以下「国語等」という。)の基礎的能力に著しい遅れがある。 ・現在及び過去の学習の記録等から、国語等の評価の観点の中に、著しい遅れを示すものが1以上あることを確認する。この場合、著しい遅れとは、児童生徒の学年に応じ1~2学年以上の遅れがあることを言う。 小学校2,3年 1学年以上の遅れ 小4年以上又は中学 2学年以上の遅れ なお、国語等について標準的な学力検査の結果があれば、それにより確認する。 ・聞く、話す、読む、書く、計算する又は推論する能力のいずれかに著しい遅れがあることを、学業成績、日頃の授業態度、提出作品、ノートの記述、保護者から聞いた生活の状況等、その判断の根拠となった資料等により確認する。 2 全般的な知的発達に遅れがない。 ・知能検査等で全般的な知的発達の遅れがないこと、あるいは現在及び過去の学習の記録から、国語、算数(数学)、理科、社会、生活(小1及び小2)、外国語(中学)の教科の評価の観点で、学年相当の普通程度の能力を示すものが1以上あることを確認する。

ーーーーー 気が付いたこと 1:うん、まず、高校生の「学習障害」は考えられていない。 2:このページは「特別支援教育」の項目に含まれている。(ページの上に「トップ > 教育 > 特別支援教育 > 特別支援教育について > 資料(データ、通知、答申、報告書等) > 学習障害児に対する指導について(報告)」と書いてある) 3:中学生で二学年以上の遅れを持っている人は、半数いると思われる。(富山県の偏差値50とは、そういう意味だと僕は思っている)だから、半数は学習障害? 4:え?「二学年以上の遅れ」っていうことは、これは相対評価(テストの点数)ではなく絶対評価(指導要領の内容)ですね?いや、具体的に学校はどう評価しているのでしょうか。。。 2について。 学習障害の子は、特別支援学校に行けということでしょうか。 4について。 実際、「遅れている」「小学校サバイバル中」の子は療育センターで診断を受けるように言われたそうだ。 学校は評価のしくみを変えたり自分でちゃんと子どもをみる余力がのこっていない。 学習障害というものと、スローラーナーの違いが僕にはまだわからない。 ひとりひとり苦手得意な認知形態があるだけで、それで何が障害になるかわからない。 診断名について、考えてみました。 診断名とは何か。Human Disaster

遺伝か環境か、テクノロジーか。ディスレクシアならどう学ぶか。他の人と一緒ではないはず。

ディスレクシア 読み書き障害は完全に先天的だという。 文字が浮き上がったり消えたり、ゆがんだりする。 文字を書くにしても、線に沿ってかけなかったり、鏡文字になったりする。 タブレットによって、「できないこと」を補って暮らせるようになった。 努力した分だけ、報われる、こうして開かれて行った心がある。 テクノロジーをつかうのは支援になるだろう。 で、それで?子供が、何を学ぶか。 スマホを与える。 それで? 子供は、何を学ぶか。 子供は何が、学べなくなるのか。 年齢を重ねると、認知能力とともに、子ども自身が「作戦」をたてたり、実行しながら適応することができる。 個人レベルで、改善がないわけがない。 ただそれが、相対評価、WISCなどで測るとなると「争い」になるので、改善しないようにみえているだけである。 お友達が発達障害だったら?子どもに教えておきたい、発達障害のとらえ方と接し方

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