森嶋通夫『なぜ日本は行き詰まったか』【2050年に向けて】思春期に何を学ぶか。

森嶋通夫『なぜ日本は行き詰まったか』【2050年に向けて】思春期に何を学ぶか。

自分「命」のために、今あなたは何を「学ぶ」べきでしょうか?
どこにあなたの「命」は向かっていますか。
森嶋通夫さんの本です。

なぜ日本は行き詰ったか
『なぜ日本は行き詰ったか』

学校・学歴・人生―私の教育提言
『学校・学歴・人生―私の教育提言』

なぜ日本は没落するか
『なぜ日本は没落するか』

智にはたらけば角が立つ―ある人生の記録『智にはたらけば角が立つ―ある人生の記録』

 

日本は終わっています。(そこから初めて、では何をしたらいいのかを考えたいのです)

何が終わっているかといえば、政治が終わっています。

政治が終わっているだけではなく、ひとりひとりの、個人の力も弱まっています。

大学には研究費が回ってません。

学びの力も弱くなっています。

経済だけ、お金を回そう、バブルの繁栄をもう一度体験したいという古い世代の人たちが日本を作っています。

やるべきことは。

次の世代に向けて、あなたが、私が、学び続けることです。

【2050年まで待つ】バブル経験時代の人が引退するまであと30年間、日本はこのまま。僕らはどうする?

生徒と勉強したこと。

まず、初音ミクの話。
生徒曰く「ニコニコ昔より勢い落ちてますよね」
僕曰く「え?そうなの?」

で、ニコニコの古い動画を見る。

見る。

で、なぜか大西さんの話になった。

まず、大西つねきさんが「痛い目に遭っている」という話をした。
生徒曰く「実際の映像、見て見たいですね。情報が歪められてるかもしれないから」ということでした。
すばらしい。
そこでみてみました。

生徒曰く「問題発言の前の文脈がカットされていてわかりませんね。ずるいですね」
正確に情報を把握しようとする心が見られる。素晴らしい。

で、流れでれいわ新撰組の木村さんのブログが出てきたからみてみた。
https://eiko-kimura.jp/

僕曰く「仲間割れかなー」
生徒曰く「れいわ新撰組の公約って何でしたっけ?」

基本政策 - れいわ新選組
基本政策 目次 1 経済・産業1-1 財政・金融政策1-2 税制1-3 産業・中小企業政策1-4 労働政策 2

おーなるほど。

生徒曰く「小池さんのもみてみますか?」
あれ?何党かな?まぁ、自民党だろうけど

自民党だった。

自由民主党
自由民主党の公式サイト。自民党の政策、最新ニュース、総裁のメッセージ、議員情報を掲載。皆さまからのご意見も募集しています。

のっけから笑った。
「すごい!自民党って、すごいことしてるんだね!」と思わせる写真たち。
「すごい!外国の人と会話してるんだね!」

重点政策 | 自由民主党
自民党が提言する政策の概要、国会での質疑内容、提出法案要旨、政策パンフレットなど、自民党の政策をご紹介します。

僕曰く「どこみてみてみいる?」
生徒曰く「強い経済で所得を増やすがいいんじゃないですか?」

みてみた。

生徒曰く「いやぁ、抽象的ですねー」
僕曰く「あれ、クリックしたら、説明見られるみたいだよ」

クリックした。

2行しか書いてない
しかも抽象度は変わらない。

れいわ新撰組のHPにもどる。
生徒曰く「こっちの方が具体的ですねー」
僕曰く「やっぱり曖昧に綺麗なこと言っていた方が選挙には勝てるっぽいいねーヤダヤダー」

僕が「ロスジェネ」という言葉をれいわのHPで発見する。

調べて見る。

バブル崩壊後の氷河期時代に就職活動をした世代のこと。

僕は提案した。

「国会議員のロスジェネ率調べて見る?」
http://sp.senkyo.mainichi.jp/giin/list.html

711人中

ロスジェネ 38歳から50歳 191人
バブル経験時代 51歳から 503人
それ以外 37歳まで 17人

バブル経験時代の人の寿命まであと30年。
30年間、日本は変わらないかもしれない。

ということを学んだ。

 

受験勉強、糞食らえ

高校時代を、自分のものにする。

大学の規模が拡大し、より多くの人が大学に行くようになったという意味で高学歴化しただ けではない。一人の学生の教育期間が長くなったという意味でも、高学歴化は最近顕著に進行 しているのである。それは浪人したり、卒業するのに時間がかかるだけではない。大学院が大拡充されて大勢の人が大学院に行くようになったからである。二二歳で大学学部を卒業して、 修士二年、博士コース三年を終了すれば二七歳になってしまう。途中で浪人したり、就職口が ないので足踏みしたりすれば、教育時代が完全に終了するのは二〇歳台の前半ということにな る。彼らは学部卒業後は一種の高等浪人である。「好きこのんでこんなことをしているのでは ない」と彼らも言うであろう。 「高学歴化は日本だけの問題ではない。アメリカでの大学院の比重が高いので、それを真似た 西欧諸国でも大学院化が大幅に進行した。しかし教育の実が最もあがるのは一〇歳台後半の若 い時代(高校二、三年と大学一、二年)である。この時代に、彼らに深く考えさせないで知識を詰 め込み、小型エンサイクロピーディストのようにしてしまうのは全く間違った教育法である

このような教育法では、最良の場合桑原武夫のような大ディレッタントが生まれても、湯川秀 樹や朝永振一郎のような本質的な思考家を生み出すことは不可能である。 (森嶋通夫『なぜ日本は没落するか』p.128)

 

私自身の経験でも、一番勉強をしたのは、高校二年生(一八歳)の頃であった。当時私の下宿 に、同級生の寺田順三がいた。彼は私より一歳年長であったが、尋常科(中学部)の一年生より ずっと同学年であったので、同じ歳だといってもよかった。彼は竹林の七賢人のような風貌の 人で、ケンジンというあだ名を付けられていた。そういう顔のせいもあって、私の一生で彼ぐ らい私を絞り上げてくれた人はなかった。彼こそ私のテューター(tutor)であった。学校から下宿までは山道を徒歩で約四〇分かかった。私たちはしばしば一緒に帰ったが、週 に何回か「今日は下宿につくまで、ドイツ語以外は使わないことにしよう」と命令めいて、彼 は私にいった。私はそういう芝居がかったことをするのが好きでなかったうえに、私のドイッ 語は会話などできる代物でなかった。私は発音を修正され、文法上の誤りを指摘され続けた。 しかしそれらはチュートリアルの序の口であった。当時、私は高田保馬の『社会と国家』(岩波書店、一九二二年)を熱心に読んでいた。それは私 が生まれる前年に岩波から出版された非常に読みづらい本であった。欄外の至るところに私の 稚拙な書込がなされているが、いまそれを見ても私が理解していなかったことは明白である。

(略)話がすっかり逸れてしまったが、私がこの節で主張したことは、教育の実が最もあがるのは 一〇歳台の後半であり、それは教室での正規の教育によるよりも、友人との相互の刺激を通じ てだということである。その年頃の青少年教育の目的は、彼らの素質を全開させることであり、 彼ら自身が興味を持つ問題に集中させることである。学校の教室での、あるいは塾での先生の 教え過ぎは決して彼らの為にならないし、ましてや習ったことをどのようにして記憶するかの 技術(要領)の伝達などは、その結果どれだけ試験の点数がよくなっても、それらは教育の邪道 である。

日本がいま必要としているのは記憶力に優れた知識量の多い、いわゆる博学の人ではなく、 自分で問題をつくり、それを解きほぐすための論理を考え出す能力を持った人である。(森嶋通夫『なぜ日本は没落するか』p.129)

 

「リッチネス」を学ぶ

昔イギリスでは、牧師および彼らの息子や娘たちが、社会の発展のためにひじょうに大 きい貢献をしておりました。そして僧院から発達したオクスフォードやケンブリッジ大学 の卒業生も牧師の子どもたちとほぼ同じようなスピリットをもっておりました。最近の実 業家や経済学者は、教育問題を国民生産物を増産するという観点だけからしか考えま が、こんな恥さらしの教育観はありません。すぐれた教育を受けた者は、むしろ私企業に 背を向けて、私企業のやらないような問題や、企業化に先行するような問題分野で、貢献 すべきです。高い教育を受けた者の human capital は public goods として公共目的に使用 されるべきです。現在の日本のように、私企業が Aクラス大学の卒業生を争奪しあえば、 日本には公益公用のために働く人がいなくなって、社会は私利私欲を追求するエリートど もによってすっかり食いあらされてしまいます。 「日本人――とくに現在五〇歳以下のいわゆる新制教育をうけた日本人――は、物質的幸 福を極端に重視するという意味で高度の唯物主義者です。しかし幸福には、物質的幸福のほかに、精神的幸福があり、日本人はそれを無視しますから、物質的には世界中の人が羨 やむほど恵まれているのに、日本人は決して満足しておりません。経済学者の私が、物質 的幸福でなく、精神的幸福について説くのは、奇異のようですが、実際は、精神的幸福を味わう能力のない人は、物質的幸福を享受する能力もなく、それゆえどれほど物質が豊富に なっても彼らは満足しないのです。日本人が意識革命を行なって、真、善、美のバランスをとり、自分たちの精神生活を幅広くするならば、人生観も、したがって大学観も drastic に変わるでしょう。そのようになれば、大学に行かなくても、充分幸福であるような人生 があることを彼らは悟り、その結果、ついに入学試験難が緩和されるにいたるのです。 (森嶋通夫『学校・学歴・人生』p.126)

 

ライフスタイル再考

日本では、担い手のない「会社」が山ほどあります。人では足りていません。

学校でなくとも、子どもが学べる場所はあります。

なによりも、健全な人間関係を学べる人に出会うことが大切だとおもいます。

お子さん自身が、別の誰かに対して健全な人間関係をつくれるためにも、です。

「学歴」信仰がお子さんの「命」を弱め、「心」をすり減らしていませんか?

 

他方においてドーアが強調しているのは、産業革命の時代のイギリスに系統だった一般教育制度が なかったことである。この革命は職人発明家、工場主等々によって達成されたが、それらの人々は読 み書きの基本教育と、ほんの少しの専門的な、科学的や技術的な知識を持っていただけであった。しかしながら、なぜイギリスにおける一般教育が一八世紀後半まで極めて貧困のままで残され、産業革命が主として物つくりに長けた人々により成し遂げられねばならなかったのかということを、説明す る必要があると考える。イギリスにおける長い長子相続制度の伝統により一部は説明されるだろう。 すなわち、両親の土地を相続する者以外の子供たちは極めて若い時代に独立せねばならなかったから である。典型的な子供は、

幼い頃は学校にやられるが、十四歳になれば自分で生計を立てるために生家を離れる…….彼は近 所の田舎町に行き、市のたつ広場で職を得るために]立っている……。十六、七歳になると、彼 は成人として雇われるに十分なまでに成長しており、その時には賃金は二倍になっている……。多くの男性は三十歳くらいになった頃には、小さい自分の農場を持つことができる。(マクファ ーレン、一九七八年、七七ー七八頁)

これが一四、五世紀以後のイギリスの若者たちの典型的なライフ・スタイルであった。同じようにして、「紳士階層(ジェントリー)の長子以外の息子たちは、ロンドンの雇主の下で修業して、金融機 関(シティ)のマネージャーに昇進した」(トレヴァリアン、一九四四年、一○○頁)。長男ですら、財産を相続する前には、数年間生家を離れた。「都市でも田舎でもすべての職人は技術を習得するために、彼に仕事を仕込む責任のある雇主の下で七年間修業せねばならぬという徒弟法(一五六三年)が制 定された」(トレヴァリアン、一九四四年、二〇六頁)。このようにしてイギリスでは何世紀もの間、 徒弟制度(年季奉公)が学校の代替物であった。高等教育がイギリスで特に関心あることでなかったこ の背景には、イギリスの若者の独立の気風、すなわちイギリスの個人主義がある。これがこの国の最も強力な推進力の一つであったが、ドーアはこのような要因の存在を強調していない。精神の問題 について日本とイギリスの間にみられるこの大きい違い―儒教徒の階級意識対イギリスの個人主義 ーは、ウェーバー流の精神主義的分析をすすめるための基礎となるが、ドーアの唯物的な分析を補うためにはこのような考慮が必要である。 (森嶋通夫『なぜ日本は行き詰まったか』p.23)

 

自分にあった生き方って?

非常手段に訴えてでも、学歴病は撲滅しなければなりません。社会には私利私欲ずくで はだれもがやらない仕事しかもその社会にとってひじょうに重要な基礎的(infrastruc tural)な仕事がたくさんあります。それらはかならずしも知的な仕事であるとかぎりませんが、現在の日本のように私利私欲のための生存競争に破れた失意の人だけが、その ような基底的な仕事に従事する場合には、その上に建てられるべき社会や経済はひじょう に脆弱になってしまいます。 このような仕事には、通常の場合、私企業は手を出しません から、国家か地方公共体がそれらを引き受けねばなりません。私の案では、Aクラス大学 の卒業生をそのような部門(たとえば教育)に充当するのです。しかしそうすることは企業 にとってもひじょうな利益になります。(たとえば「デモシカ先生」という言葉が一時流行 しましたが、そのような先生に次の世代の教育をまかせることは、長期的にみれば、企業に とって自殺行為です。(森嶋通夫『学校・学歴・人生』p.130)

結論として、私が成功した秘密は、私が「職業」に忠実であったからだと思います。だ からこそ私は、自分の能力いっぱい、あるいは能力以上のことを成しとげえたのだと思い ます。各職業にはそれぞれ固有の職業倫理があります。私の場合、もっとも幸運であった のは、私の一般的倫理感情と矛盾することがほとんどない職業倫理の職業に、私が就職できたことにあると思います。近代人が「学歴社会病=出世病」を克服する窮極の鍵は、彼らが満足した職業生活を送れるかどうかにあります。自分の倫理感情に適合した職業倫理の職業を選んで、思いきり働けば、たとえ学歴は貧しくとも、おのずから content した人生が送れるのではないでしょうか。トレイドに忠実である人には、ティーム内での地位の 上下はvitally に重要ではありません。ここに出世病克服の鍵があります。 (森嶋通夫『学校・学歴・人生』p.176)

 

どんな文化・どんな人と働くことを喜ぶか

英語に doyen という言葉があります。これはフランス語から来た言葉で、古参者、長老、 大御所という意味ですが、普通、イギリス人の学者には、「彼は doyen だ」などという叙 述はめったにしません。しかしイギリス人は外国人(とくにフランス人や日本人の学者)に たいしては、doyen という言葉を、ほめ言葉としてしばしば使用します。というのは、イ ギリスには大御所待遇という処遇は存在しないからであり、フランスや日本には、大御所としか、ほめようのない先生が大勢いるからです。これがイギリスに来て、一七年働いた 後に、「疑問」への解答として私がえた結論です。  イギリスでは尊敬されるのは仕事であって、年功ではありません。よい仕事ができなく なった、中、大老の教授連は、イギリスでは消えて行くだけです。このことはイギリス人 誰もが知っています。LSE のある教授は、どこからか「年寄りを愛しましょう」とい うポスターをひろってきて、自分の研究室のドアに貼りつけ、悦にいっていましたが、こういう行動自体が、彼が doyen でないこと(またその待遇を受けていないこと)を示してい ます。

イギリスに来たおかげで、私は doyen にならずにすみました。働かなければ、ないがしろにされるだけですから、私は働きました。その結果、私は、前半以上に充実した職業人 生の後半をもつことができました。若い人たちと対等に働くのですから、彼らとの間に対 等の友情が生まれます。そして大御所にならないことが、精神的に若さを保つ秘訣である ことも教えられました。日本的 boss に不適格者の私には、こういう生活はむいており、 ひじょうに楽しいものであることを知ったのです。 (森嶋通夫『学校・学歴・人生』p.169)

 

成功とは???

まず私の成功観から始めます。私は職業生活において思いきり活躍できたかどうか(全 力を発揮できたかどうか)で、人生の成功、不成功を判定します。したがって成功したか しないかは、たぶんに主観的です。しかしこういう定義は「職業」とは何かが明確にされ なければ、依然として不明瞭な定義です。では職業とは何でしょう。 「私は、日本人とイギリス人の職業観は両極端にちがっていると思います。いま、「あな たの職業は何ですか」と聞かれたとしますと、たいがいの日本人は「三菱電機の工員」で すと会社名をつけて答え、イギリス人は会社名をつけずに「電気工」ですと trade の名を 工員のうえにつけて答えます。日本人の場合には、工員は会社、すなわち生産物を製造するティームに所属しているのであり、イギリス人の場合には、電気工員は電気関係の仕事 をするという労働を会社に売っているのです。日本人にとっては、会社は「わがティーム」 ですが、イギリス人にとっては、会社は相手方であり、サービスの買い手すなわちお客さんです。日本人にとっては、東芝の工員と三菱電機の工員は商売仇ですが、イギリス人の 場合には会社がちがっていても、電気工はたがいに同業者(tradesman)です。そうしてこのような同業者の組合が trade union(労働組合)なのです。当然のこととして日本人は、自 分たちのティームである「会社」に忠実ですし、イギリス人は 彼ら の ティーム、「労働組合」に忠実です。

それでは大学の先生の場合はどうでしょう。やはり二種類の職業意識――teaching(あるいは researching)services を売っているという自覚と、特定大学の職員であるという自覚 ――が存在し、日本人の場合には後者の意味での職業意識が強く、イギリスの大学教師を支えているのは、前の意味での職業意識です。だからこそ日本では、「早稲田 は 早稲田出 で」「東大は東大出で」という人事方針が最近まで続き、学生時代からその大学への帰属意識をもっている自校の卒業生で、教職員の陣容を固めているのであり、イギリスではよ り良質の teaching services を提供できる人ならば、世界のどの国の大学の卒業生であろう と先生に採用しているのです。 (森嶋通夫『学校・学歴・人生』p.173)

 

2050年はどんな社会か?

予測は本来、主観的であるから、できるだけ慎重に行なわねばならない。例えば、一九三〇年の金 融大恐慌の最中に誰が一九八二年の繁栄している日本を予想することができたであろうか。一九三〇 年当時の経済状態は絶望的であり、そのような経済状態からの予想はすべて絶望的であったはずであ る。したがって私は以下では経済予測はしない。その代わり私は二〇五〇年にどういう社会が日本に 生じているかをまず考え、つぎにそのような社会がどんな経済や文化を作りうるかを以下において考 える。社会について考察するための出発点として経済を使わず、経済を考察するための出発点として 社会を使うのである。このように分析をすすめるのは、将来の社会を予想することは経済を予想する よりはるかに容易であるからである。というのは二〇五〇年の社会は現在すでに現れはじめているこ とによる。すぐ後に見るように、二〇五〇年の高年層の人たちはすでに現在生まれており、現存人口 の若年層を形成している。それゆえ、現存人口を将来人口の萌芽であるという観点から分析すれば、 現存人口についての分析から、将来人口の量や質についてのある程度的確な知識を引き出すことがで きる。このように未来の社会はすでに現在の社会の中にある。これは社会を形成するための時間のず れが非常に長いことによる。そうして彼らが現在ないし近い将来にどのように育成されるかをより一 層分析することができるならば、遠い将来の社会の質についてのいろいろな信頼しうる情報を長期予 測でなく、現在の人口の質を判断することによって得ることができる。社会の質が悪ければ、現在よ りも栄えた経済を予想することができない。質がよければ経済も悪かろうはずはない。これが以下に おいて私がとる方法論である。 (森嶋通夫『なぜ日本は行き詰まったか』p.324)

 

日本の没落の第一兆候は人口の急減である。(森嶋通夫『なぜ日本は行き詰まったか』p.332)

 

【GHQとバブル】子供の世界と大人の世界の分裂はいつまで続く?

森嶋通夫さんが1999年に書いた本。

1:戦後GHQの指示で教育が「儒教(中国由来)」から「自由(アメリカ由来)」に変わった。

戦前の教育は全体主義、国家主義的であり、戦後の教育は自由主義、個人主義的

2:学校でコドモは「自由(アメリカ由来)」を学んだがオトナは「儒教(中国由来)」のままだった。

3:1990年代は戦後に教育を受けた人が多くなってきたと同時に「バブル」崩壊、混乱、腐敗、没落が始まった。

4:2050年まで没落は続く。

 

僕が生徒と話をしながら、「あと30年はこのままだ」という予測をしたことがある。

【2050年まで待つ】バブル経験時代の人の寿命まであと30年間、日本はこのまま。

この本が1999年に書かれていたから、僕の予想とぴったりだった。

予想の出し方は違ったけれど・・・(ところで森嶋さんが2050年までは確実にこのままだといった根拠はなんだったんだろう?)

 

2050年の意味は「人がいなくなる」ことであって、「人が生まれてくる」のではない。

それからもし、日本人が変わり始めたとして、「生み出す力」をひとりひとりが持っているのかどうか、近代的な精神が生まれてくるかといったら、わからない。すべては教育にかかっている。

人と人の関わり合いにかかっている。

もし順調に変わって行くとしても、落ち着くのは2050年からさらにひと世代後、早くとも2080年

僕が死ぬ頃に、そんな世界がやってきていたら、うきうきしながら死ねるんだろうとおもう。

 

江戸が始まってから終わるまで260年。昭和が始まって260年たつのは2185年。

いやいや、明治260年である2128年には変わっていてほしい

この頃までには変わっているんじゃないかなぁと「楽観」してみる。

 

 

日本が没落していく姿。森嶋通夫『なぜ日本は没落するか』

 

日本国民には次の三グループがある。

a)一九四一年以降に生まれた者で、「戦後」世代と呼 ばれている、

b)一九二四年以前に生まれた者で、彼らは戦争が終わる前に教育を終えており、「戦前」 世代と呼ばれている、

c)一九二五年と一九四〇年の間に生まれた者

で、彼らの教育期間中のある時点 で旧教育から新教育に移らされている。この最後のグループは「過渡期」世代と言えるだろう。戦後 世代の最年長者の年齢と戦前世代の最若年者の年齢は、例えば、一九六〇年には一九歳と三六歳であ り、一九九〇年には四九歳と六六歳である。 したがって一九六〇年代および一九七〇年代には、戦前世代が日本の実業界や政界を支配していた が、一九九〇年代には勢力を失いはじめていたことがわかる。(森嶋通夫『なぜ日本は行き詰まったか』p.334)

 

a)全ての教育を「アメリカ型」で受けてきた人たち

b)全ての教育を「日本型儒教」で受けてきた人たち

c)両方の教育を受けてきた人たち

教育の質が変わった

戦後の第一年は純粋戦後期に属する一年分の人がいた他は、全員がそれまでの戦前教育に一 年分の戦後教育を付加した過渡期の人であった。戦後一七年目に純粋戦後教育を完全に受けた 人が初めて現れた。(大学に進学せず高等学校限りで就職する人は一三年目に純粋戦後派が出 現した。)いま六四歳までを労働人口とすると、純粋戦前派が労働人口から消滅してしまうの は、戦後四九年経った時――いまから四年前――である。そのうえ過渡期の人々が労働人口か ら消え去るのは、今から更に四年経った後である。教育改革は日本国民を洗脳したのであるが、 それは極めて徐々の洗脳であっただけに、完了するのに非常に長い時間を要したのである。

日本のいわゆる高度成長期(一九五〇一七〇年)の労働人口(ただし全員が大学を卒業したと仮 定して二二歳から六四歳までの人) のうち、戦前派、過渡期、戦後派の階層への割り振りは次 のようになっている。一九五〇年には全員が戦前の教育を受けた人である。一九六〇年には三五年分の高年者層が戦前派、七年分の若年者層が過渡期、純粋戦後派はゼロである。高度成長 最後の年には、二五年分の高年者層が戦前派、八年分の中間層が過渡期の教育を受けた人達で、 九年分の若年者層が戦後派の教育を受けた人達である。このように見れば高度成長に貢献した労働人口の大部分は戦前教育を受けた人だといえる

これに反してバブルの絶頂期の一九九〇年は、六○歳から六四歳までの人は戦前に教育を受けている。続いて八年分が過渡期の人で占められ、二九年分の若年者は戦後に教育を受けてい る。このように日本の労働人口が受けている教育の内容は、時間と共に変化してきた。教育改 革は占領軍司令部(GHQ)の命令で一挙に行なわれたから、教育内容は即座に変えられたが、 戦前のイデオロギーは教育を受けた人の頭脳の中に体化された形で、長い期間にわたって効力 を保った。このような形で、旧体制は新体制の世界の中で抵抗しつづけたのである。革新は急 進的であっても、体制には、効果を弱め保守化してしまう緩衡装置が備わっていたのである。(森嶋通夫『なぜ日本は没落するか』p.22)

 

コドモは変わった。オトナは変わらなかった。

デュルケームによれば、教育は次のような役割を演じる。教育――成人ないし社会人教育で なく、青少年に対する教育――は青少年が大人の社会に参入するのを円滑にするという役割を もっている。このことは大人の社会がどういう社会であるかに応じて、青少年の教育のされ方 が決まることを意味する。逆に言えば、青少年の教育のされ方を決めれば、大人の社会もそれ に応じたものでなければならないことを意味する。

それ故、日本のように学校教育が占領軍の命令によって、自由主義、個人主義を根幹とする ように決められると、大人の社会も自由主義、個人主義を基軸とするものに改革されるべきだ ということを意味する。しかし大人の社会に関しては、占領軍はそのような命令を出さなかっ た。また占領が終了して、日本政府が教育の自主権を獲得した後も、政府は学校教育を再改革 することはなかった。

その上、戦後の日本人は大人の社会をできるだけ戦前のままに保つよう努力した。後の章で 見るように、戦後の日本経済は戦争中の体制の平時版と見てよいほど、戦時体制に酷似していた。同時に日本の政治体制も政治勢力も、戦前回帰的であった。さらに重要なことには、この ような組織を動かしていくイーソス(精神、ethos)は、極めて日本土着的であった。

言うまでもなく、この事実は大人の社会(保守的、日本土着的)と、青少年の社会(進歩的、 西欧的)の間に大きい断層があることを意味する。だから学校教育を終えた青年は、大人の社 会の入り口で戸惑い、失望した。 (森嶋通夫『なぜ日本は没落するか』p.22)

戦後大人の社会入りをした純粋戦後派は、まずこの新入社員訓練という踏絵の煉獄に耐えな ければならなかった。子供たちをそういう戦後派に教育し、教育結果に責任を持つべき筈の文 部省は、「社員教育」はやめろとの声を上げなかった。改めるべきは大人社会であるはずだの に、「新入社員教育」は、大人社会への通過儀礼として定着した。

しかし初めのうちは二つの道徳ー日本式の大人道徳と西欧式の子供道徳―の矛盾はそれ ほど大きいものではなかった。子供たちは学校で自由主義、個人主義について学ぶとともに、 家庭では日本式の道徳(儒教道徳といってもよいであろう)を学んでいたから、戦後初期の若者 たちは二刀流に行動することが可能であった。だから新入社員は大人の社会に順応し、日本は 教育改革にもかかわらず、道徳面で極めて保守的でありえたのである。 しかし一九八〇年代末になると、純粋戦後派の家に生まれた子供たちが学校教育を終えて、 大人社会の門戸を叩くようになった。このような新青年は、二刀流を使えなかった。彼らの親 は、二刀流であるとはいえ学校では欧米流の教育を受けていたのだから、そのような家庭で育った八〇年代末期の新青年には、二刀流を使うことは非常に難しかった。「新入社員教育」は 効果を発揮しなくなった。会社生活になじんだ大人たちは新入社員を「新人類」と呼び、あた かも別の惑星からきた人達を見る思いで見た。

こうして漸く、日本の大人社会の下部(若年層)が動きだした。学校教育は大人社会にうまく 接合していなければならないというデュルケームの主張に、日本が真剣に直面すべき時に達し たのである。それは大人社会を固定して、それに適合するように子供教育をするという形でな く、子供教育を固定して――自由主義・個人主義教育は、戦後社会の至上命令である――大人 教育がそれに適合するという形で遂に実現するようになったのである。ここに遂にと書いたの は、大人社会のあらゆる抵抗があったにもかかわらず、遂にという意味である。

しかしこれは二つの社会の理想的な接合の仕方ではなく、致し方ない無理矢理の接合である。 というのは大人の社会の側に、自分たちの社会の道徳や気風を変えようとする気がなかったか らであり、もしそういう気があれば、大人社会をどう変えるべきかの議論が起こり、そのため には学校教育をどう変えればよいかの議論が起こった筈である。文部省に教育改革の意志が全 くなかったとは言わない。しかし彼らの改革の試みは、すべて技術的な側面だけに限られてい たようである。自由主義、個人主義は、学校教育の神聖不可侵な理念であり、他方大人社会は明治天皇の教育勅語そのままの社会であり続けさせたいというディレンマに文部省は陥ってい た。 (森嶋通夫『なぜ日本は没落するか』p.25)

 

戦後の日本の子供教育は大人の社会に適合していなかった。子供から大人への移行 を、子供にとって負担の小さいものにするためには、大人社会を変えるか、子供の教育を変え るかの、少なくとも何れか一つを実行するか、或いは両方を変えて両者を適合させねばならな かった。しかし大人たちは彼らの社会の在り方を変えようとはしなかったし、文部省は子供の教育を変えようとしなかった。そういう問題があることすら、文部省も大人の社会を代表する 人達(実業家や政治家)も知らないかのようであった。教育改革が問題になることがあっても、 そのような基本的な論点には触れず、入学試験をどのように変えるかというような技術的な問 題をいじるだけであった。理念を全く異にした二つの社会の調節の仕事は全て入社直後の「新 入社員教育」に押しつけられていた。

その結果学校教育は、子供に大人の社会の将来の中心メンバーとなるのだという気概を植え つけなかった。戦後教育では子供は個人主義的、成績主義的、普遍主義的(縁故者を優遇した り裏で手を回したりしない)、平等主義的であるように教育されているが、日本の大人の社会 は頑強に集団主義、家柄主義、縁故主義、集団差別主義を固執している。敗戦によって極めて 非日本的な教育を押しつけられた結果、日本人はその教育を元に戻す保守的勇気も、大人の社 会を新教育に見合うようなものに改変する進歩的勇気も持っていなかった。こうして日本人は、 子供時代と大人時代を分裂したままに生きる生活を続けて来たのである。 (森嶋通夫『なぜ日本は没落するか』p.36)

 

戦後、大人の社会には大きな変革が試みられたことはなく、伝統的な――極端な場合には封建時代以来の心情やしきたりは温存されたままで存続した。こういう社会は儒教的構造を持つと 言ってもよいが、儒教倫理の筋が社会にはっきり通っていたわけでもなかった。それは、人々は自分 自身の良心に忠実でもなく、身を処するに厳格でもなく、嘘もまた方便であると考え、利益を得るた めには人におもねって当然と考えるような、倫理的な自覚に欠けた土着的共同社会にすぎない。社会 的地位の高い人の間で通用している倫理観とそうではない人のそれとは同じでないので、国民は日本 社会の指導者と見られている人々が多くの経済犯罪を犯している――現在、そういう事実がつぎつぎ 確認されている――ことがわかり、不安を感じている。このような社会で、それぞれ自己の理念を持 つ諸政党のなかから一党を選挙で選ぶという意味の民主主義が生まれなかったのは当然であり、日本 における民主主義とは、すべての思想的行動を排除するということに堕落してしまった。そして現在では自分の思想さえ選べないという不毛さが社会に漏漫しているのである。(森嶋通夫『なぜ日本は行き詰まったか』p.8)

一九九〇年代初めが重要な理由

サラダボウルとバブルのダブルパンチ

一九六〇年代から一九七〇年代にかけて日本の政財界を支配していた戦前世代が、一九九〇 年代になって力を失った。このことは容易にわかることである。一九八〇年代は、主役が戦前世代から戦中世代へと移っていく時期だった。そして、一九九〇年代半ばには、さらに戦後世代への移行が始まったと言えるかもしれない。GHQの教育改革は、米国流の理想を日本の子 供たちに植えつけるという意図をもって進められた。それは、「家」の大切さや国家への忠誠 を強調する儒教を基礎にした戦前教育とは大きく異なっていた。作家の三島由紀夫が、自衛隊 の将校や兵士に対し忠誠心や愛国心を重んじる戦前倫理の復興の必要を説き、彼らに一笑に付 せられるとその場で自殺したのは一九七〇年である。その行為は唐突で、手法もヒステリック でマンガ的ですらある。しかし、それが戦前世代から戦後世代への実権の移行が始まった初期 の出来事である点には注目すべきである。三島自身は、過渡期の教育を受けた最年長の世代に 属している。

少なくとも一九八〇年代初めまでの日本では、政治家、官僚、財界人が互いにうまく協力を 進めてきたことは承認できる。だが、いわゆる「バブル」がはじけた一九九〇年以来、この三つの専門集団の間の強固な団結は崩れていった。官・財の間の贈収賄、インサイダー取引、不 自然に高価な飲食店での「官官接待」など、数えきれないほどの不祥事が新聞に暴露された。 こうした職務規律の荒廃は、特に「バブル」期に生じたものについては、政治家・官僚・財界 人の活躍する年齢が大きくずれているという事実と関連が深いように思われる。

官僚の場合、その省庁のトップである事務次官が決まると、彼以上の古参者は辞める慣例に なっている。だから官僚の殆ど全員は約五三歳以下と言ってよい。他方、企業の世界では、通 常の社員は五八歳が定年である。幹部クラスになると、たとえば六三歳まで残る者もいる。さ らに、社長・会長・相談役になると、だいたい七〇歳くらいまでは現役に留まれる。 そして、政治家の場合には、企業トップよりもさらに高齢まで現役に居座り続けることも決してめずらしくない。一九九〇年代前半が大切な理由は、これで理解できよう。この時期は非常に複雑な時代である。官界は一貫して戦後教育を受けた人か小学一、二年だけ戦前教育を受 けた過渡期末期の人で占められおり、次いで産業界のトップは過渡期前期の人で占められつつ あり、さらに政界にはまだ時代遅れの考え方をする戦前派が残っていた。(森嶋通夫『なぜ日本は没落するか』p.31)

 

職業倫理の頽廃が顕著化

不良資産バブルの崩壊後、新聞紙上では連日、官僚、銀行員、実業家、医学者等の不正事件 が報じられた。このような職業倫理の頽廃や崩壊は一九七〇年代、しかもそのかなり初期のこ ろから、ロッキード事件が示すように、進行中であったことは周知である。当時このような事 件に連座した人達の中には、自分自身がなしつつある行為が不法の行為であったことをはっき り知っていたにもかかわらず、ただ直属上司の人に、私はそのような仕事には参加しませんと いう勇気がなかったばかりに、犯罪を犯すことになった人も多かったであろう。それ故その当 時は――今でも―答案用紙に書かせて、是か非かの意識調査をすれば、日本人の職業倫理は 健在であるという結果が出ていたであろう。実際、直上の人に気が弱いばかりに拒否できない ――これが日本人の大きい欠点である――で、犯罪を犯してしまった人が大半であったのだ。 なかには、積極的に、しかも極めて巧妙に悪事を企画し、意識的に犯罪を犯した人もいる。こ ういうことが高じて一九八〇年代後半には、日本列島が犯罪者の天国になったと言っても過言 でないほどに、職業倫理は崩壊してしまったのである。

後に見るように日本経済は、政界・官界・財界の三界が鉄の結束を固めることによって、全 経済を誘導していた。しかし日本土着の村落共同体を運営するに適した術しか心得ていなかっ た政治家には、官僚や実業家と共同作業をする力は全くなく、大まかな指針を与えた後は、細部では官僚と実業家に追従していただけである。「鉄の三角形」の頂点の中で一番大きい力を 持っていたのは官界であるが、それが職業倫理を失って迷走しはじめると日本経済自体が間違 った方向に走り出した。しかも彼らには日本は経済面では大成功しつつあるという香りと自信 があった。そして三角形に属しているものはもちろん、日本人のほぼ全員が妄念に引きずられ て、うきうきした状態にあった

やがてバブルは崩壊した。自信は幻想であることが判明した。なかには、すでに本書の最初 の部分で指摘した人達のように、いまだに現実を受け入れず、やがて日本人は戦後の瓦礫の中 から立ち上がったように、二一世紀には日本人はたくましく立ち上がるであろうと考えている 人もまだいる。そう期待したいという気持ちはわからなくはないとしても、そう期待すること は現在の世代の人にあまりにも苛酷な要求をしていることにならないか。 現在の日本は、至るところの部門で精神的に崩壊している。こういう人に「頑張れ」と言っ ても無理である。(森嶋通夫『なぜ日本は没落するか』p.31)

政界・財界・ビジネス社会の混乱

少なくとも一九八〇年代初めまでは、日本は政治家、官僚、財界人が互いに協力してよく働いた国 としてよく知られている。だが、いわゆる「バブル」がはじけた一九九〇年以来、これら三つの専門集団の間の強固な団結は崩れていった。財と官の間の贈収賄、インサイダー取引、不必要に高価な飲 食店での地方官庁による中央官庁の「官官接待」など、数えきれない不祥事が新聞に暴露された。こ うした職務規律の荒廃は、一九九〇年代のバブル期に生じたものについては、政治家・官僚・財界人 の活躍する年齢が互いに大きくずれているという事実と特に関連が深いように思われる。官僚の大部分はだいたい五三歳以下である。財界の場合には、通常の社員は五八歳が定年であるが、彼らのうち 若干の者は幹部役員として六三歳まで残り、さらに社長・会長・相談役などに選ばれると、だいたい七三歳くらいまで会社のために働く。政治家は企業経営者よりもさらに高齢まで現役に居座り続ける ことはめずらしくない。一九九〇年代前半には官僚はすべて戦後教育を受けた人であるが、他方で企業のトップ経営者の多くはまだ戦前世代か過渡期世代の人であり、さらに政界にはまだ時代遅れの考え方をする人たちが残っている。これらの三つのグループが一緒に協調してやっていくことは全く不可能であることがわかる。

日本の政界は今でもまだムラ政治型である。ある決まった政治家系の人たちが政界を占拠している。 総選挙では、候補者の所属する政党の政見は誰に投票するかを決めるのに無関係である。政治家たち は彼らが個々の投票者にどんな利益をもたらすかという観点から評価されるのである。政治家系の人 たちはおのずからそのようなノウハウを備えており、そのお陰で彼らは名声を打ち立てた。彼らの政治論と経済学の知識は極めてとぼしい。

政界に加えて、今までのところ財界もまた大きく変化していない。大部分の学校および大学の卒業 生は財界に職場を見つけている。GHQが大いに努力したにもかかわらず、日本人の大人の精神状態、 社会慣習および権力構造は戦前や戦中にあったものとほとんど変わっていない。教育部門からきた新 入社員は仮採用期間中に再教育、再訓練されたので、彼らは日本人の大人のマナーで行動した。彼ら のマナーや人間関係が職場に不向きだとわかった人はその職を失わねばならなかった。この種の再訓 練策は一九八〇年代前半まではうまく機能していたが、八○年代半ばには、新入社員の多くは社会の 「新人類」として扱われた。

(略)労働力の構造という観点から見れば、日本は一九八〇年代後半に急速に変化しつつあった。一九八 六年までは、財・政界の主力はほぼ過渡期および戦前世代の人々で形成されていた。ところが一九九 0年には、現役の幹部として舞台に残っていた戦前世代の人は少数しかいなかった。すでに指摘した ように、一九九四年以降は、日本の社会は大きく三つの部門に分裂していた。つまり「新制教育を受けた」官僚から成る行政部門伝統的な行動様式でしか動かない政界、そして儒教的エートスを残し ている経営上層部と、戦後教育制度を終始一貫受けた一般社員クラスが「混在する」ビジネス社会が それである。二〇世紀の最後の一〇年に大きくかつ急速な構造変化が起こっていたことは明らかであ る。新制教育は日本人のエートスと社会の性格を完全に変える意図をもって、戦後ただちに導入され た。戦時中に強要されていた旧制教育から国粋主義や超国家主義の要素をすべて除去することは、ア メリカ人にとってばかりか日本人にとっても重要であった。しかし教育改革についての決定がなされ るや否や、大人社会の性格は新しいやり方で教育される世代に適合するように変えられなければなら ない。

事実、日本人は戦後の全期間を通じて、彼らの社会の伝統的特性を保存するためになしうるかぎり のことを行なった。戦後の総選挙や地方選挙に立った人々は、労働運動に関与した候補者を別にする と、はっきりした政見を何も持っていなかった。彼らは選挙区を代表する単なる名士であった。日本 の政治は、主として中央政府や地方政府によって作り出される利益の分け前を選挙区に持ち帰ること が関心事であるような一種のムラ政治であったし、今でもそうである。明治時代に、そして第二次世 界大戦後に、政治構造は西欧化されたが、地方の物的利益はもちろんのこと、土着の習慣やしきたり は今なお政治家の意志決定に際して最も強力な要因である。彼らは一貫して信じている政治理論も哲 学も、またイデオロギーも持っていなかったが、これらの政治家は利益分配ではしぶとく交渉した。 (森嶋通夫『なぜ日本は行き詰まったか』p.336)

 

絶望的な歴史にきちんと絶望できないのか。森嶋通夫『なぜ日本は行き詰まったか』

日本人の精神性が少なくとも江戸から変わっていない。

「ええじゃないか」を踊って絶望していないふりをしてみる

徳川末期に欧米の使節が日本にきて日本人に下した採点は、文化的にも経済的にも程度は高 いが、政治的には無能であるということであった。そして彼らは、朝廷も幕府もともに世襲だ から日本はいつまでも政治的に幼稚なのだと判定した。幕府はつぶれた。朝廷もシンボルだけ の役割しかしなくなった。そして徳川末期に世襲制であったものは、最大限に打破してしまっ た。にもかかわらず、日本は依然として、政治的に無能であることを世界にさらけ出している。 そういう意味で一九九八年末は徳川末期とほとんど変わることはない

しかし人は言うかもしれない。今でも政界は、二世議員が示すように、世襲ではないか。世 襲だから悪いので、世襲でなくすればよくなるのではないか。確かにそうであるが、世襲状態 が続いているのは制度の故ではなくて、そういう状態を打ち破る勢力が、既成政治グループの外に現われてこないからである。それは政治グループのせいではなくて、政治グループ外の人 の政治的無気力のせいであろう。政治が悪いから国民は無気力であり、国民が無気力だから政治は悪いままでおれるのだ。

こういう状態は、今後五〇年近くは確実に続くであろう。そのことから私たちが引き出さね ばならない結論は、残念ながら、日本の没落である。政治が貧困であるということは、、日本 経済が経済外的利益を受けないということである。それでも「ええじゃないか。ええじゃない か」と踊り狂うしか慰めがないとしたら、私たちの子供や孫や曾孫があまりにも可哀想だ。(森嶋通夫『なぜ日本は没落するか』p.146)

 

日本人の基本要素から絶望してみる

ここでヴィルフレッド・パレートの社会学に目を向けよう。彼のレジデュオ(人間の基本要素)の理 論によれば、六つの基本要素がある。

1新しい組合せを見つけだそうとする意欲、

2個人より全体を優先させようとする性向、

3自分の感情を行動で外に向かって表現したがる傾向、

4社交性の傾向、

5自分の身と財産を保全しようとする傾向、および

6セックスすなわち種の保全欲(パレート、一九三六年を参照)。

第一の要素は、代わりにイノベーションをつくり出そうとする性向と呼んでもよい。他方、第二要素は 人々の社会への配慮に関連する。これら二要素の視点から、ウェーバーの資本主義の精神の問題は、 イノベーションに対する人々の衝動を駆り立てる宗教的背景の検討と言い換えてもよい。すなわち、 パレートの用語を使うと、プロテスタントの感情を持つ人々のグループ内で要素2が活性化するとき に、イノベーションにつながる基本要素1が駆り立てられるということになる。他方において、シュ ンペーターの資本主義から社会主義への移行の問題は、どのようにしてイノベーションの要素が力を 失い、全体優先の要素に置き換えられるかを論じている(シュンペーター、一九四三年を参照)。それ はどのようにして要素1の衰退が2を駆り立てるかという問題である。したがってシュンペーターの 問題はウェーバーの問題の裏返しと見てよい。

しかし日本の問題は経済体制の循環というこのパレート的角度から見ることはできない。これは現在の日本は基本要素1および2を十分に持っていないという理由による。問題はこれらの要素がともに欠如しているか、あるいはほとんど欠如している場合に何が起こるかということである。その他の 要素3-6に眼を投じると、日本人は個人としては要素3および4の感情は依然として適度に持って いるだろうが、国際社会の国民としては現状でもそれらの表現は非常に弱いから、日本人は現在の沈滞した歴史の局面から脱出を試みるとき、これらの要素に依存することはできない。このようにして、要素5および6が現代日本人の感情を検討するときの鍵になる要因であるという考えに導かれる。 個人の保全および国あるいは社会の保存は、それぞれ要素5と6で取り扱われる。金銭やその他の資産は前者を達成するための手段であるから、今日の日本人の富に対する強い欲望は彼らの要素5がまだ強いことを示している。他方では、避妊技術の進歩の結果として、民族の維持の任務は性的快楽から完全に切り離されている。今日の日本人は、すでに見たように、前者に関するかぎりでは非常に 弱いが、その一方で、彼らの性欲は強いといわれている。ほとんどの先進国で似たような現象が見ら れるのは事実だが、一九九六年一二月の『ニューズウィーク』が指摘しているように、日本では性的 なモラルがきわめてだらしないと言われている。事実、日本の女子高校生は自分の性的な楽しみのた めに簡単に売春に走るという。これは要素5と6が日本人、特にティーンエイジャーの間で、いかに 強いかを示している。基本要素のこの初期配分では、競争経済を促進するであろう健全な労働倫理を 達成することは非常に難しい。

このような経済で働いている労働者は一会社から別の会社に移ることが自由であるべきだから、労働倫理は雇用主や会社に対する忠誠心を強要するようなものではない。労働者が尊重し、かつ従うべ き忠誠心はもっと抽象的なものである。彼らがなにか抽象的・超越的なものに対する義務感や責任感 を持つためには、現代日本の教育環境は全く標的外れで不毛である。彼らはあまりにも物質主義的に 教育されている。宗教的な環境は一切見られない。家庭でも学校でも論理的・哲学的な事柄について 真剣な議論が行なわれることはない。彼らは物質主義者や功利主義者になるように教育されているか ら、倫理上の価値や理想的な事柄または社会的義務について語ることに対して、たとえ抽象的な訓練 としてさえ、何の興味も持っていない。 コンピューター化、機械化、ロボット化はさまざまな産業によって取り上げられてきた。先に銀行や他の金融会社でそれらを取り入れたことを見てわかったように、労働者や管理職員のオフィスでの 生活は非常に単純化されてしまった。仕事はすべてコンピューターやその他の機械がやってくれるか ら、何の判断をする必要もない。労働者は自分の仕事のリズムを機械の動きに合わせなければならな い。したがって彼らは自分の動作を選択することは許されない。彼らはすべて単純化された業務を繰 り返し行なうだけである。そうして最終的には、労働者どうしが疎外され、言葉も交わさなくなる。 彼ら自身も一種の機械と化してしまうのである

そこで労働者は家に帰ると、テレビの前に座って、多少なりとも行き当たりばったりにボタンを押 してチャンネルを選ぶ。これは主としてすべてのチャンネルが似たり寄ったりの番組を放映している からである。(テレビ局は視聴率が最大になるように番組を決定している。)彼らの夕食後の家庭生活 も多かれ少なかれ似かよっていて、ここでもまた、機械のために、家族員相互間に疎外現象が生じる。 それは彼らどうしの会話がほとんどないからである。各家庭がこのような状況では、経済界がカリス マ性のある企業家をもつ希望など全くない。マルクス主義者の言葉を用いれば、コンピューター化と 機械化の時代に実現された生産様式に対応して、社会の上部構造の一要素として、このような家庭生活があると言うことができるだろう。このタイプの関係を基底において、日本は下からの資本主義のたくましい精神を奮起させる役割を演じることができるエートスを確立せねばならない。公正な競争 に基づく経済を築くために、贈収賄、共謀、脅迫などを除去するように日本経済を根本的に改革することは、日本人にとって―そうしたいという強い願望をすでに失っている日本人にとってーきわめて困難である。(森嶋通夫『なぜ日本は行き詰まったか』p.356)

 

アメリカとやらない。アジアと一緒にやる。

もう日本人だけでは無理なのだ。

ということを認めて、森嶋さんは「中国、日本、南北朝戦および台湾からなる東アジア経済共同体を形成するアイデア」(森嶋通夫『なぜ日本は行き詰まったか』p. 364)を提唱した。

が、しかし。である。

この切り札にもかかわらず、日本の没落の真の原因はまだ残っている。国民は衰退期のローマ人の ように全く自分勝手で、快楽主義で、規律がなく、そして真の指導力に欠けている。彼らがそのよう な状態であるかぎり、日本はローマ人と同じ道をたどるであろうとすでに言われている。新古典派的 競争経済を運営する彼らの能力は今やきわめて貧困である。子供たちに個人主義と自由主義の本質と 真の意味を教えるような、意味ある教育の改革が必要である。

しかしながら、この方法によって資格のある人々を得るには、大体四〇年か五〇年のオーダーの長 い時間がかかる。これが達成される前に、日本は元禄時代以後にあったような非常に長い不況を経験 するであろう。日本はそれに耐えねばならない。しかしこの期間を通じて、日本は現在所属している よりもずっと低いと見られているクラスの国の一つとして広く知られるであろう。しかし日本はつい に民主主義を築き上げることに成功すると期待してもよい。このようにして日本は、国家資本主義を 競争的資本主義に転換するのに必要な、時間がかかり、手間のかかる仕事を成し遂げるのである。最 後に、東アジア共同体の加盟国は身体的にも文化的にも似ているので、共同体関係の仕事にたずさわ る人はその歴史的親密感のある雰囲気のなかでより自由に働くだろうということを付け加えてお かねばならない。彼らはその環境に十分適応するであろう。それゆえ、すでに述べたように、日本人 は共同体の同僚たちとともにビジネスをすることによって、必要な労働倫理を身につけるであろう。 もし日本人がこのような事態に甘んじることができたなら、生活水準は相当に高いが国際的には重要 でない国であることはそれほど不幸なことでないであろう。これが二一世紀半ばの日本についての私 のイメージである。(森嶋通夫『なぜ日本は行き詰まったか』p.366)

コメント

  1. レイ より:

    なぜ世代で区切りたがるのか知りませんが・・・バブル世代というのなら47歳~50歳もバブル世代ですよ?
    所謂「団塊ジュニア」と呼ばれる世代ですが、この年代は高卒が圧倒的に多いです(大学進学率30%)
    47歳48歳は浪人・専門・留年入れれば40%くらい?はバブル崩壊後就職組なんでしょうけど、まあ大多数はバブル世代とみていいでしょう。

    で、個人的には氷河期世代(ロスジェネ)だからと言って「人の痛みを知る」とかでもないと思いますよ。
    僕自身40の氷河期ドンピシャですが、人脈だけは取り柄です。
    ま~いますよ、自己責任論者や強者みたいな人ら。
    当たり前ですけど彼らだって同じ時代を生きたわけです、「大変」と言われた氷河期を。

    けど僕も彼らも(勿論みんなそれなりに努力はしたでしょうけど)「普通に」就職したり結婚してるわけです。
    これは統計でもはっきり出てますよね?人口が多い分埋もれる人も多かっただけで大多数は普通に生きている。
    けど世間からは「冬の時代」だと言われる、そのギャップで彼らは「いや俺ら普通に就職も結婚もしたけど?」「いや低収入やニートって努力しなかっただけじゃん」と言うわけです。

    実際富山でも30代後半の若い議員いますけどまあ酷いですよ、軽い批判も全て「誹謗中傷」で片づけて聞き入れなかったりとか
    大阪でも吉村さんがいいなんて思わないでしょう、あの人余りにもやらかしてますから。
    だから個人的には世代が変わったから政治が良くなるとか全く思わないですね。

    根本的に「政治家」という仕事がもうハードすぎますからね
    コロナもそうですが何やっても叩かれますから、1億2千万人全員幸せになんて出来ないですよ
    だから批判される、その割に対して給料出ない(人気商売でもっといい給料の仕事なんて山ほどある)

    だから世代が悪いのじゃなく、良くも悪くもネジが飛んでる人しか政治家にならない・なっても生き残れない、のだと思います。
    これはもうクレーマーじみてる我々一般庶民のせいでもありますよね、僕が政治家やれって言われても絶対嫌ですもん

    • コメントありがとうございます。世代を超えてこういった話を聞くこととができてうれしくおもいます。

      ロスジェネ、という言葉も時代の何かを表しているだけ、そのような見方もできる、というだけなのかもしれませんね。
      どの時代もよりよく生きられる人、そうでない人がいるのも確かだと思います。

      メディアが「世代」を区切ることでなにかのキャンペーンをしているのかもしれませんね。
      世代意識が誰かにとって都合がいいだけなのかもしれません。
      個人の「自己責任」にするのか、それとも「社会責任」にするか、例えばニート(これもキャンペーン用語でしょうか?)という現象をどう捉えるかが人によって違いますね。

      とてもおもしろい話だとおもいました。
      コメントいただけたことをうれしくおもっています。

      「世代が悪いのじゃなく、良くも悪くもネジが飛んでる人しか政治家にならない・なっても生き残れない、のだと思います。」
      これは世代というより、日本の文化なのでしょうか。
      おもしろいツイートを思い出したのでリンクを貼っておきます。
      https://twitter.com/TomoMachi/status/1328002594640334851

      この記事では、世代が変わったら、価値観は変わるだろうか?と考えてみました。
      バブル、学歴、個人差など語り口がひとつではなく、政治だけに限定しても別の語り口がありそうな気がしました
      面白い本があるので紹介させてください。

      嫉妬学-和田秀樹
      https://www.amazon.co.jp/%E5%AB%89%E5%A6%AC%E5%AD%A6-%E5%92%8C%E7%94%B0-%E7%A7%80%E6%A8%B9/dp/482224332X

      コメントありがとうございました。
      仕事帰りの居酒屋でこう言った話ができると、きっと楽しいですね。

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