大学に行く?学部が決まらない?勉強したくない?高校生の進路の悩み

  1. 大学に行く?学部が決まらない?勉強したくない?高校生の進路の悩み
    1. 「命」を大事にするAO入試で大学進学する
  2. 受験山に登る
  3. 大学入試問題における良問とはなにか。
  4. 良問とは何か(その2)
  5. 《企業からみた大学》同じ中堅なら、地方国立よりも、都会の私立の方がいい?高校は?
  6. 学歴って本当に役に立つの?なんで勉強するの?
  7. 東工大のいいところ
  8. 大学に行く意味。大学受験の意味とスーパーサラリーマン山田さん
  9. センター試験を終えて。どうしよう!ああ、願書ださなきゃ・・・
  10. 大学に行かずに、自立する道もある。
  11. 東大生・ハーバード大学生は「生きるチカラ」はあるが「共に生きるチカラ」がないらしい。
  12. 大学の選び方・一流とは?
  13. 難関大に行く価値
  14. 目標がない?じゃぁ、東大か京大にしよう。
  15. 【イイ大学がイイのはナゼか】上場企業の保護者に聞いた。旧帝大でなかったら、東京の私立へ行った方がいい話。
  16. なぜ勉強しなくちゃいけないか(親から離れる口実つくろう)
  17. 進路は二転三転す
  18. 今日の面談。TED《天職が見つからない人がいるのはどうしてでしょう?》
  19. 目標がない?じゃぁ、東大か京大にしよう。
  20. 【イイ大学がイイのはナゼか】上場企業の保護者に聞いた。旧帝大でなかったら、東京の私立へ行った方がいい話。

大学に行く?学部が決まらない?勉強したくない?高校生の進路の悩み

「命」を大事にするAO入試で大学進学する

誰に評価してもらうのか、自分がどんな姿でいたいのか。   自分を殺して、ラッピングして取り繕う人生は息苦しいものです。 それを自己欺瞞、自己嫌悪ということもできます。 子どもたちを、そんな時代の暴力から守るために、「縁を結ぶ相手は自分で決める」ことを学んで欲しいと思います。

時代が変わりました。 大学は「命」が強く輝いている人を求めています。 もちろん、基礎学力は当たり前。   記事の一覧からお入りください^^ [htmlmap hidedate hidecloud showdescription hidecount exclude_cat=”1,28,20,24,25,213,36,48″]

受験山に登る

大学時代に、教授と仲良くなって山登りをしていた時がある。その時の話。「どこかの登山ツアーの人が、天候が悪くて引き返そうとしたんだけど、ツアー客がどうしても行きたいっていうから行ったら遭難したんだよ」と。「この大学に入りたい」とか「この高校に入りたい」という気持ちで来るのがいいが、受験というものがどういうものか、高校を選ぶ、大学を選ぶということがどういうことか、まず話をするのはいかがだろうか。遭難したら、大変だ。 大変なことばかり目につく世の中だから、落ち着いて、心のまにまに、暮らせることがどれだけ幸せか、私も最近、うすうす感じてきたところでもある。

大学入試問題における良問とはなにか。

良問があるとしよう。その問題が良問になるかならないかは問題を解く人によって変わる。「この問題はいい問題だね」といえる受験生がいるだろうか?センター試験の問題で良問はあるだろうか。良問に出会えるのは、ある程度「偏差値」というものが高い学校だと思う。もしくは看護学校とか、特徴ある問題を出す学校。いい人と出会うことと同じように、良問に出会うためには良問に出会えたときに良問だと気がつける生き方、勉強をしたらいい。そのためには基礎のときからちゃんと、良問に出会える勉強をしなくてはとおもう。東大で「三角関数の定義」を問う問題がでてきて世間を騒がせた。ほとんどの受験生が解けなかった問題だと聞いている。行きたい学校によって、解きたい問題に応じて、勉強の仕方を変えなくてはいけない、なんとも不便な世の中になったとおもう。  

良問とは何か(その2)

昔、良問とは何か云々と書いた気がする。 富山高校の生徒とセンターの勉強をしながら、「あ、これは良問だ」と思えるものにあたった。 回答までのプロセスが「マニュアル化」されていない問題のことだ。 当たり前、知っていることをつなげていかなくてはいけない。 けどその繋げ方は、教わったことがない。 考えて、試してみながら、その場で道を作っていくしかない。 そういう問題のことだ。 新しい問題が出るとすぐに受験業界は、教育業界は「マニュアル化」する。 三角関数の何かの定理を証明するような問題を東大が出す。 公式自体は、受験生なら誰でも知っているはずだ! それを証明しろという問題を東大が出した。 公式つかってるけど、本当に「本当に」わかってるの?本質がわかってるの? と受験生に問いただした。 その「意図」を汲まずに、受験業界は、問題の解き方を「マニュアル化」する。 新しい「解法」をどんどんつくっていく。 そうして受験生たちは、どんどん「暗記する量」が多くなり、パニックになる。 暗記ではないのに・・・ 良問とは、暗記に頼っている受験生には解けない、「君、暗記勉強してるんじゃない?」というメッセージだ。 本質を理解するか、本質を知らずに暗記をするか。 難関大学に受かる生徒とそうでない生徒には、こんな違いがあるんだろう。

《企業からみた大学》同じ中堅なら、地方国立よりも、都会の私立の方がいい?高校は?

お金があるなら… いや、お金には変えられない価値があるかもしれない。 私立大学に3人の子どもを送ったお母さんの話。 「私立大学、学費は高いけど、それなりのいいことをしている」という話。 私立の方がおもしろい、フレッシュだ。生き残ろうとしている分、学生のことを考えている。というお話。 施設が整っている。 資格検定のお世話やら、イベントごとの案内。 なにかしら、やはり「時代に合わせて」変わっているのが私立だ、というお話。 本来の「アカデミック」のチカラが強まっているわけではないかもしれない。 ゼミは、国立に比べたら大人数だという(実際のところはわからないが)。 新しい学部をつくったり、外部の講師がきたり。 自立しなくてはならない。(国から補助で運営されている公立大学とはちがう) だから、私立は、時代にあっている。ということもできる。 ———–

——– 私立、高校のお話。 都会では小学校、中学校、高校といろんな私立学校があり、それぞれの「特色」をもっている。 受験勉強をさせ続ける私立学校もある。(そんな私立に行かせる価値があるのかわからない) これが、巷で有名な開成中学校校長の言葉。 「入試は通過点にすぎない」開成中高校長が語る あ、途中から有料ですね。 無料登録で月3本まで記事が観れるそうです。おすすめします。 とにかく開成中学は受験受験ではないよ。というお話。 こんな記事も見つけた。 人事がぶっちゃける「すごい高校」 高校で採用を決める時代がやってきた はっと思うことがあった。 企業が、会社が、今の組織が求めているもののなかに「地頭」があるらしい。 部活部活で部活ばかりした後に、もしそれで部活をしながら地頭を鍛えていたとしたら、、、、 企業はそれを会社で育ててくれるのだろう。 そういうパターンもあると。 (うーん、すごい時代になってきた) あ、これ、オトノネですね。

B氏:何かに熱中させてやり切らせることはすごい重要です。面接の時には「お前の狂気を見せてくれ」と投げかけてます。対象はなんでもいいんですよ。なぜかレンガがとにかく好きで、30分ずっと語れる、なんて人もいる。そんなことでも、ハマればすごい人材になるんですよ。

こういう人を、認めてくれる人に出会わないと、この「価値」がでてこない。 育てるということは、そういうことではないかとおもう。 よくある学校は「君はこれをやりきるチカラ(目の前に課題、小テストがある)があるか?」という労働者としての「価値」だけしかみていない気がするが。「そうではない!」という先生、ぜひコメントください!(おとのねさんが出会う人が喋る「学校」は、そんな場所です) 種を守るために、種を下ろす地面を、選んで行くチカラが大切かもしれない。 (マックでは「素早く正確にハンバーガーをつくるチカラ」が表彰される。そうして認めてあげることでアルバイトのやる気をださせているという仕組みがある。人が、人をつくる。) 「みている人」が、「みられている人」をつくる。 ーーーーーー  

 高校って、多くの人にとっては初めて自分で選択できる環境だと思うんですよ。私立なのか公立なのか、地元か寮生活か。その自分が選んだ環境で、自分の世界を広げる経験があるといい。大学でもできるでしょうが、やっぱり早いほうがいい。

富山県、石川県の学校で「うちは、こういう教育をしている」という話を「具体的に」企業に話して、「それはすごい!」と感動してもらえる場所があるだろうか。

学歴って本当に役に立つの?なんで勉強するの?

ーーーーーーーーーーーーー ビスタワークス研究所という会社が「高知やばいなー。社員、やばいな、教育しないと」ということで立ち上げた 示道塾なるものが、ある。 あの、教育の人件費に税金を47都道府県で一番使っている、教育熱心な高知県の会社! ビスタワークス研究所に共鳴した人たちがつくった「示道塾」は富山にもある。 一般社団法人 百年示道塾とやま で、ビスタワークス研究所のHPをみてみたら、おもしろい記事をみつけた。 つまるところ今「いい会社」が求めているのは、主体性、コミュニケーション能力、、実行力ということだ。 それをどう、採用面接時に計るのかは気になるが。 「学歴」ではなく「人」をみているのだろう。 非認知能力で、みられている。 ビスタワークスのHPから見習いたいものがある。 こういうレイアウト で、みてほしい画像はこれです。 教育が「目指す」ものは、指示待ち、挑戦しない(受け身な)70%を作り出すことか。 お母さんは、どういう子を育てたいのですか? 「せめて大学までは・・・」いやいや、それは、教育ではないですよね。お金があれば、行ける大学は山ほどあります。 せめて「ふつう」の成績を・・・というお母さん、いますよね。。。 いやいや、会社いったら、「ふつう」は「向上心がない」の代名詞だと僕はおもいますがいかがでしょうか。 企業が、会社が、きちんと自分たちがどういう人材を求めているのか、学校ではなく、保護者に伝えるようになったらいいとおもおうんだけどな。 ちなみに、別に全員に主体性、コミュニケーション能力、、実行力が必要だとはおもいません。 ただただ淡々と、作業を丁寧にこなす人もいるからできることがある。 「さぶ」という小説があるので、読んでみるといいかもしれない。

さぶ ーーーーーーーーーーー

ーーーーーーー 第四回:求める人財はいない 人が輝く日本流経営〜経営品質の視点から〜[文:大原 光秦] 2011年に発表された経団連による統計「産業界の求める人材像と大学教育への期待」 とみてみると、たしかに、、、

このアンケートの対象である富山県、石川県の企業は以下のページより。 富山県経営者協会 石川県経営者協会 第一回:即戦力からポテンシャルへ 全国公立学校教頭会学校運営誌『夢を語ろう』寄稿[文:大原 光秦]

東工大のいいところ

聞いた話。 東工大は、理系の大学なのに、文系の教授も揃っている。 つまるところ、テクノロジーをどう社会実装したらいいかという思想もバランスよく取り入れようとしているということ。 これは、一流大学のすること。 東工大は一流だということ。 君は一流か。それが問題だ。

大学に行く意味。大学受験の意味とスーパーサラリーマン山田さん

「なんで大学に行くんだろう?」 はて。 なぜでしょう。 「なんで高校に行くんだろう?」 ては。 なぜでそう。 「なんで会社で働くんだろう」 どうしてでしょうね。 などなど。 どれも同じ問いのように、僕には聞こえる。 思春期が来る前は、特に何も感じず当たり前に言っていた学校だが、思春期をすぎると「選択肢」としてでてくる様々なライフイベント。 「なぜ◯◯するのか」 その答え方、その問いへの、振る舞いによる返答が、その人自身を表している。 こうした問いを頭の中に思い描いてしまうのは、それがまだ価値観として、意味として、心でつかめていないからだと僕は思う。 ーーーー

ーーーーー 「なんで大学に行くの?」 という問いは、「どうして大学生になるの?」という言葉に言い換えられるだろう。 で? おとのねさんのブログのタイトルは 富山・高岡・金沢で暮らしている保育士・高校英語教諭・塾長・ジャーナリスト・カウンセラー/芸術家のブログ。 だ。 (この記事を書くにあたり、書き換えました) 保育士・高校英語教諭・塾長・ジャーナリスト・カウンセラー / 芸術家 である。 /より上は職業名、と言っていいかもしれない。 /より下は? これは僕自身。 自分は何者か?に対する今の所のぼくの答え。 芸術家、という分母(おかあさん)から生まれた子ども(分子)が、保育士・高校英語教諭・塾長・ジャーナリスト・カウンセラーだと表現してもいい。 ある人にとっては、分子が「女性」であったり、「お母さん」であったり。 ある人にとっては、分子が「男性」であったり、「お父さん」であったり。 つまるところ社会的に便利な「名前」だ。 「名詞」の抽象性 ーーー

ーーーー 大学に行こうとする人にとっては、こういう問いになる。 「大学生」である私の意味はなんだろう? 「大学生」になることは、私の分母にとって、どんな意味があるだろう? 大学に行かずに働こうとする人にとっては、 「会社員」である私の意味はなんだろう? 「会社員」になることは、私の分母にとって、どんな意味があるのだろう? 「生きる意味」はなんなんだろう? という問いと同じくらい、曖昧で、漠然としていて、わからないときは、わからない問いのように、僕には聞こえる。 実際に、「大学生」「会社員」になってから、後から意味付けされる場合がほとんどだ。 人間にとっての意味とは、そんな不思議なものだ。 ーーー

ーーーー 「お母さん」である以前に、あなた。 「お父さん」である以前に、あなた。 「高校生」である以前に、あなた。 もしそんな「あなた」が自分の生き方を名詞で表せるようになったら、それほど、心強いことはないかもしれない。 誰かから与えられた意味ではなく、自分でつくりだした意味を、心の頼りにすることができるのだから。 そんな「あなた」もどんどん変わって行く。 サルトルの実存主義はまさに「未来に向かって、自分を投げ続けることでしか、人間は実存できない(意味を見出せない)」というような言葉で、それを表した。 ーーーー

ーーーー こうした問いを立てるというとてつもない「課題」に立たされるのが、思春期かもしれない。 とっても、とっても、大切な時期だし、一人で乗り越えるには、大変なことだとおもう。 お父さん、お母さん自身が「どうして子どもを大学に行かせたいんだろう?」と悩んでいるかもしれない。 なぜか、心は自然と「大学に行く子ども」を想像してしまうかもしれない。。。 それは、社会的な圧力であって、共同幻想というやつで、社会現象であって、「ああ、世の中では、大学に行くのが、ブームなのね」と思うだけで、少しは心が軽くならないだろうか。 お父さん、お母さんが、子どもが大学に行く意味を見つけようとして、目の前の子どもの心を見失っては、元も子もない!笑 ーーーー

ーーーーー 山田さんの分母は、「スーパーサラリーマン」だそうだ。 昔なら企業戦士、働き続ける会社員を「スーパーサラリーマン」と呼んでいたようだが、山田さんはこういう。 「会社だけで役割を果たしているだけでは、”会社人”であって、”社会人”とはいえない。会社が終わった後で、社会の中で活動する会社員が増えたら、社会はもっとおもしろくなる。そういう人を、スーパーサラリーマン(サラリーマンを超えているサラリーマン)と僕は言っているんです」みたいな。 そうして、山田さんはあるときには「保育園のお手伝いさん」あるときは「お父さん」あるときは「遊び道具製作家」あるときは「おとのねさんとおもしろおかしくやってくれる人」だったりする。 ーー

ーーー ちなみに、芸術家という言葉は、インドネシア語でsenimanスニマンという。 インドネシアでは、いろんな人が、芸術家だ。学校の先生も芸術をするし、創造的な仕事をしている全ての人をsenimanと呼ぶ。もちろん、音楽家や絵描き、物書きも。アーティストという日本の言葉は、どこか「キザ」な響きがする。高級感がでている気がする。僕はそうではない。 僕はsenimanとしての意味を、作り続けている。 ーー

ーーー あなたが大学に行く意味はなんですか? あ、ちなみに僕は「空が青かったっから」大学に行きました。 それは僕にとって、とても大きな意味が、そのとき、あったのです。 大学に向かう情動・感情もいろいろ。 その情動・感情が、その人自身を表している。 ーーーー

ーーー あなたが大学に行く意味はなんですか? 行っても行かなくてもいいから、大学受験勉強するなら、ぜひ、楽しんでみてください。 数学であそぶ 僕は、「大学受験」は、日本の高校生にとっては、儀式だとおもっています。 受験勉強ってなんだろう。思春期との関係。塾の先生の役割。バリ島の儀式。 その儀式を形式的に終わらせるか、実質をもって実らせるか(成長するか)。 ただ、それだけかもしれません。 別に、どっちもでいいけど笑 あなたが大学に行く意味はなんですか? 大学に行くか行かないか、どこに行くかよりも、今、感じている、あなたのもどかしさ、心の「もやもや」があるなら、それに向き合う大切な時間にしてみても、いいんじゃないかな。 その向き合い方が、「今の」あなた自身を表しています。 答えなんてありません。 答えを教えてもらって安心しようとしてもダメです笑 それは宗教です笑 答えに頼らず、あなたの心のまにまに、進んで行ってほしいとおもいます。 答えられなくてもどかしくても、うまくいかなくても、はっきりしなくても、そのままの自分を抱きかかえて、先に、先に、一歩だけでも、先に進んで行く経験は、きっと君のチカラになる。 もちろん、休んでもいい。 休むことも、ひきこもることも、うずくまる時間も、大切にしてほしい。 ーーーー

ーーー この時代に、子どもが大学に行く意味が何か、悩んでいるお父さん、お母さんへ 他人にとっての「価値」を別の人が考えたり、作ろうとすると、徒労に終わらないだろうか。 だって、「価値」はその人、当の本人にとってしか、意味がないように、僕にはおもえるから。 この時代、この場所で生きている子どもたちに伝えられることはなんだろう。 「伝えるべきこと」と「伝えてはいけないこと」の区別を、僕は、よくよく注意しなくちゃなぁと、感じている。 そもそも、大学は歴史的に・・・・とウンチクを並べることも、もちろん、できますが笑 伝えるべきこと「ではない」と僕はおもっています。

センター試験を終えて。どうしよう!ああ、願書ださなきゃ・・・

結果が出ましたね。 さぁ、どうしましょうか。 不安と、希望とが入り混じって、葛藤、葛藤、結局、不安! どうしよう!どうしよう! 受験とは何か、という記事をいろいろ書いているのだが、、、 センター試験にどれだけ本気を出せましたか。 その本気を、残された時間で、どこに使いますか。 行きたい大学は決まっていますね。 行きたい学部があるかもしれません。 不安なあなたと、 希望に燃えるあなたの、 どちらを応援しますか。 結果は誰もわかりません。 信じて、本気で進んだ経験が、 誰かに助けてもらいながら、自分の気持ちを隠さずに、 最後までやりぬく経験が、 どの大学に行ってもあなたの支えになるでしょう。 進んでください。 進んでほしい。 本気になったことだけが、ホントにぼくらのチカラになる。 センターを終えて、確実に、僕らは成長したはずだ。 あと1ヶ月。 バタフライ!

大学に行かずに、自立する道もある。

大学に行って何になるのか。 親の価値観を背負って大学に行く子、 いろいろ働きながらやっぱり大学に行く子、 一方で、高校卒業して働いて家庭を持って幸せに暮らす子もいる。 私は別に大学に行かなくてもいいとおもっている。 創造的・意欲的でありさえすれば。 もっと自立する心を育てたい。 私自身が自立をしている最中、子どもたちと一緒に学べれば一番、いいのだが。 学校の成績が悪い? もう諦めて、自立することを考えたほうがいかもしれない。 自立できない人もいる。 適性がどの時点で決まるのだろうか?私は中学生が終わる頃には、だいたい決まっているように思える。 それほどに、決定的に、高校は、その子の人生の分岐点になる。 もちろん、なんどでもやり直していい道。 幸せのあり方、価値観は成長とともに変わって行くかもしれないから。 変われない人生ほど、不幸な人生はない。 オトノネは、変えようとしている人たちの力に、なりたい。

東大生・ハーバード大学生は「生きるチカラ」はあるが「共に生きるチカラ」がないらしい。

ある大学の学長の話。 実際に東大で教鞭をとったことがある、その経験から。 「東大生には、生きるチカラがある。官僚になって高給をとるチカラがある。けど、共に生きるチカラはない」 僕は、オトノネから東大に行く子がいてもいいとおもっている。 ーーーー 同じことが、アメリカのハーバード大学でも起きているらしい。 (『成功する子・失敗する子-何が「その後の人生」を決めるのか』p.272) その学生の姿は「とくにこれをやりたいという確固たる願いよりも、成功者になれないことへの恐怖に突き動かされている」というもの。 そして「選ぶことが容易で贖うことの困難な道」を準備してくれる会社に行くという。 個人の満足度や社会的貢献度が高いことで有名なわけではない職種ー銀行と経営コンサルタントーを選択するという。 勉強は懸命にしたがむずかしい決断をする必要はなかった、あるいは本物の難題に直面する必要のなかった子どもたちが実社会に出た時には、有能ではあっても自信がない。(p.272) 富裕層には逆境がたりず、 貧困層には安心がたりない。 足し算すればいいじゃないか。 けど大人はなかなか、足し算が上手でないようだ。 学校でズルすることを学んでもいい。中退してもいい。学ぼう。

大学の選び方・一流とは?

とある高校生。

進学校に行ったけど、芸術に興味がある。芸術をやる仲間に出会いたい!というので芸大を目指すか、理系の情報系、技術系の大学に行くかでちょっとだけ悩んでいた。

実際、好きなのは芸術であって、理系の大学は自分自身がゲームが大好きで、大学を選ぶときにふーっと惹かれた、のだろう、と私は憶測している(こんど聞いてみよう)。

芸術家が芸大を目指すのはまぁ当たり前だし、それで多くの芸術家たちが(東京藝術大学の学生たちが)この世から姿を消して行く(消息不明になるらしい)。純粋に芸術で生きていくわけにはいかない時代になったということだ。

これは藤原さんが言っていることでもある。「誰もしたことのない組み合わせで、レアな人材になれ!」という言葉がある。映像や情報と芸術の二つの立ち位置で新しい世界を創造するほうが、おもしろいじゃないか!というお話。

現在、これから、子供たちが生きて行く時代、農業にもITが入って行く時代。教育にもITが入って行く時代。いままで分離されてきた領域が繋がって行く時代。「ひとつのことだけをやる」価値が見直されなくてはいけないかもしれない。

学校に行って学ばなくても、好きなことがそのまま、人に受け入れてもらえれば、必要とされる時代、仕事を作っていける時代、例えば「ギター+森」でこんな活動をしている人がいる。自由に生きている人、自分らしく生きている人、はめを外してやりたいことをやっている人に、僕もなりたいと思っている(みんなどうやって食べているんだろう?)。 山田証さんのfacebook

嫌いじゃないなら、興味があるなら、自分の本命とは別の分野を学ぶのも、社会の中で人と関わりあう、自信を持つ、とびっきりのあなたになるための、戦略の一つだ。

一流の企業、という言葉もある。一流の企業に行く意味はなんだろうか?一流の人に出会える可能性が高くなるだろう。その様子は、最近話題?の前田裕二さんの『人生の勝算』に書いてあったりする。一流の人に出会うと、一流の学びができる。もちろん、あなたが一流の学習者であれば、なのだが。

人生の勝算

難関大に行く価値

なぜ人は難関大を目指すのか。

もちろん答えは人それぞれ。

そこにいかなきゃできない研究がある。なるほど。

とにかくNo1になりたい。なるほど。

行くことになっているから。なるほど。

 

高校生と大学生の大きな違いは、「人に出会える」ことだ。

高校という狭い、苦しい世界を超えて、人と人が出会える時間が、自由な場所。何をしてもいい。だからぎゃくに、大学に合格する能力があっても、人と出会い、関わりあう能力がなかったら、せっかく大学に入ってもじっくり大学生活を味わえないかもしれない。

難関大学に入ったら?努力をし、目標を叶えた人たちが集まっている。一流の努力をしてきた人たちと出会える。きっとみんな自信をもっていて、いろいろな世界に目を向けていたり、おもしろい話ができるだろう。成長してきた人たちが集まる大学、それが難関大学だ。(もちろん、そうでない大学でもいい人はいるが)難関大学に行って、悪いことはない。

なんだかんだいって、難関大に入ったら「一目置かれる」のも事実だ。(それでもって二流三流の人もたくさんいるけれども)

目標がない?じゃぁ、東大か京大にしよう。

いろんな生徒がいる。 「運動がしたいんですよね。別に部活じゃなくてもいいんです」 「進路は考えてるの?」 「いやぁ、それがまだ」 「それならこれこれこういう大学があるよ・・・・」 将来と今が繋がらない生徒が多い。 今、「高校で生活する」ことで1日を終えている。 「高校は、進路に向かって勉強する場所だよ。学校は部活をやらせて君たちの青春エネルギーを悪いことに使わせたくないだけだ。君はそのエネルギーを、進路のためにつかったらいい」 と私は学校の仕組みを言う。 高校を卒業したら、高校はもうお世話をしてくれない。 高校は、卒業後に、追い出される場所だ。 それから先は生徒一人の道。 スポーツをやり続ける人が大学に行って、そのままスポーツを続けて、将来がわからなくなった人に会ったこともある。 彼は宗教に入っていた。 スポーツと、社会の中の自分をつなげられなかった人だ。 日本の宗教は自分と社会とを結べなかった人のためにあると思っていい。 ーーー 高校時代に暗記型の受験勉強だけして大学に入る生徒がたくさんいる。 苦手を克服できず、どう立ち向かっていいかわからない。 そういう生徒が、人生に悩んだ時、立ち向かえるか。 べつに受験勉強でなくてもいい。 学習塾として、otononeは受験勉強を通じて、生徒にたくさんのことを学んでほしいと思っている。 生徒の苦手にちゃんと付き合って、向き合って教えてくれる先生に出会い。学ぶこと、そして結果を喜ぶこと。 それが受験の意味だと思う。

【イイ大学がイイのはナゼか】上場企業の保護者に聞いた。旧帝大でなかったら、東京の私立へ行った方がいい話。

上場企業(いわゆるいい会社)に勤めている保護者の方と話す機会があり、大学の名前が社会に出てから何に影響するのか聞いてみた。 結論は「入社してから大学の名前は関係ないが、入社する時に大学の名前は大いに関係する」ということ。そこに働いているのは「合理性」だ。 つまるところ、いい会社はいい人材を求める。いい人材を探そうとしたら、、、ランクの高い大学から探すのと、ランクの低い大学から探すのと、どちらが合理的、効率的か。人事の人の数も、時間も限られている。だから、「給料の高い会社」はランクの高い大学にだけ求人情報を出す。(今、ネット社会で誰でも応募できるようになっているかもしれないが、選考の段階でランクの高い大学から人を選ぶようにしているのだろう) なるほど合理的だ。 ーーー

ーーー 最近、イイ大学に行くとそれなりにイイことが起きる、とおもうことがあります。 東京のイイ大学は、いろんな人がいる。いろんな人と繋がっている人がいる。イイ会社とも繋がっている。 話にはいろんな流儀がある。 知的な話と、もっとより日常的な話に分けられたとしよう。 知的な話とは、ワクワクする話のこと。日常的な話とは、ダラダラした話、だとしよう。 イイ大学に行ったら、将来、知的な人と出会える可能性が高い。かもしれないと、最近思う。 「話ができる人間」はやっぱり、イイ会社にいたりする。 一概にはいえないのが、世の常だけれど。 人に会える確率のほか、もう一点。 得られるスキルの話。 イイ会社に行ったら、イイスキルが得られる。というか、世の中に打って出るスキル、世の中に打って出る人の考え方を日常的に吸収できる。 もし独立自立するにしても、イイ大学に行ってビジネスバリバリのイイ会社に行って、スキルを学んだり、世の中に慣れてから「じゃぁ自分ではじめよう」と次へ進むのもいいかもなぁとおもう。それくらい「会社」のやっていること、「会社」の精神は、個性がある。 世の中で、いろんな本を読んで(『「20円」で世界をつなぐ仕事』を書いた小暮真久さんやえっと、忘れた)、クリエイティブに生きている人、世の中に「出ている」人は高学歴な気がして今この記事を書き直している。 クリエイティブに生きるために、作戦を練る為に、、、、という目標を掲げてイイ大学、イイ会社にいってもいいし、 高給取りになるためだけにイイ大学、イイ会社を目指してもいい。 ただ、イイ大学、イイ会社に行く以外の、しあわせの道も、人間はちゃんとつくれるようにできているのは、不思議なところ。 ーーー

ーーーー ぼく自身、気になっていて、本当に学歴が役に立つのか、なぜ勉強するのかを何度か記事にしてきた。 ぼくはいつも「一流の学習者であるかどうか」が学歴の指標だという。 それは与えられた問題、鉛筆と紙で答えを出す問題ではなく「自分自身の問題」を解決する能力でもある。 「一流の学習者」ではなく、「一流の労働者」になるやり方もある。それは実は、紙一重というか、テストでは区別しにくいので、東大は困っているのだが。

読み替えスピードテストのスコアはあらゆる点で認知能力テストとおなじくらい正確な予測指標になっていた。スコアの高かったものの年収は、低かったものよりも何千ドルも多かった。彼らの点数が高かった理由は簡単だ。他の生徒より懸命に取り組んだからである。そして労働市場が実際に重きをおくのは、見返りがなくてもテストに真剣に取り組むことができるような、内なるモチベーションをもっていることだ。誰も気がつかないうちに、読み替えスピード・テストは成人後の世界で重大な意味をもつ、認知能力とは関係のない技能を測定していたのである。(『成功する子・失敗する子-何が「その後の人生」を決めるのか』p.118)

つまり成績が高いのは、非認知能力の高さの結果であり、実際に社会に行って役立つのは、学歴を追求して会社に入って役立つのは、非認知能力であるということだ。テストの点数を見る前に、自分の心、自分との対話ができたほうがよさそうだ。 ーーー

ーーーー で、「ランクの高い大学」とは何か。という話だ。地方国立は含まれるのか?私立ならどこからが許容範囲なのか? 旧帝大、東大京大はいいとしよう。慶應早稲田もいいとしよう。その保護者の方の話では「法政・明治あたりまで」だという。では、地方国立はどうか?

蛇足だが、東大が多様な人材を求めているという記事。 東大の入試で理系の数学が昔に比べて劇的に易化した理由 東大が入試に全力を注ぐのにはワケがある

というわけで、難関大学に入れたということは「一流の努力をした」結果だとおもったらいい。難関大学に合格できなかったということは「一流の努力ができていなかった」とおもったらいい。(なんであの子が?というパターンも、もちろんあるけれども)もし難関大学を目指すなら、一流の努力をしよう。それがどんなものか、きちんと教えてくれる先生を選ぼう。 オトノネを応援していただき、ありがとうございます。 ーーーー  

なぜ勉強しなくちゃいけないか(親から離れる口実つくろう)

いろんな答え方があります。 自分なりの答えを見つけなくちゃあなたが受験をする理由がなくてこまるとおもうのですが、参考までに。 ーーーーー 勉強して、大学に行くことは、一人暮らしをする口実になります。 大学に行かなくてもいい人生は歩めます。 いつでも大学に入り直しても構わないでしょう。 高校は予備校です。 高校は中学校第二部です。 大学は、親から離れることで人生を変えたい人のためにあるとおもっています。 親から離れて、一人暮らしをしなければわからない、地域を超えて人と出会わなければわからない世界があります。 もちろん、それは別に大学でなくてもいいものですよ。 念のため。。。。 人によっては、大学に行くことで何かいいことがあるとおもっているでしょう。 「私はあそこの有名大学でた」と喋ったら、どんなやつだろうと興味をもたれるかもしれません。 人に会った時にね。 けど結局、名前と人の魅力は関係ないです。 大学名を先に出さないと関係が作れない人になりたいですか? 自信をつけるために進学高校に行く、有名大学にいくのはいいでしょう。 ではその自信を、何につかうか。 こうした問いをもてない人が、東大医学部を出て自殺をしてしまう現実がある。 ネームバリューがものいう世界があります。 今オトノネをしていますが、多くの人から「学歴も信用のうち」といわれて困って居ます。 そういうお母さんが。子供に学歴を求めるケースが多々あるからです。  

進路は二転三転す

万物は流転する。 受験生にもいろいろなタイプがある。 とにかく偏差値の高い学校に行きたい!という人もいれば、 もう偏差値の高い学校に行くのはこりごりだという人もいる。 勉強をしながら、自分の気持ちも整理していったらいい。 その大学に行ったら、どんな人と会えるか。 という基準は、大切だとおもう。 本当にアカデミズムを極めようとおもうなら、施設の整った、論文指導もしっかりしてくれる大学がいいだろう。 地域に根ざした、地元の人との関わりを深めるなら、地方の大学の方がいいだろう。 バリバリアカデミズムの世界に行くなら、そういう学校もある。 もっと実技、フィールドワークがしないなら、そういう学校もある。 感覚的なセンスが強い子は、芸大系の学校にいったらいい。 理系も文系も好きだという子は、いろんな学部がある総合大学、大学に入ってから文理を選べるような大学に行ったらいい。 難関大にはいる必要はまったくない。 大学に行くことすら、べつにしなくてもいい。 大学に行かずに社長になっている人もいるし、資格をもって仕事をして、それでいろんな人とであって暮らしているひともたくさんいる。 今otononeに来ている子は、進学校に行ってしまったが、自分はもっと違う種類の人間と会いたいと、自分から申し出た。 志望校が二転三転しながら、やはりどれも芸術系にこだわっている。そうやって、自分にとっての大学受験の意味が見出せることはすごいことだとおもう。 あくせく勉強して偏差値の高い大学に行ってからつきあたる課題に、今からもう取り組んでいるのだから。 本当に、ひとりひとり、違うのだ。  

今日の面談。TED《天職が見つからない人がいるのはどうしてでしょう?》

ピーンポーん

ん?誰だろう?

突然の来訪。富山のとある高校の子。

大学受験、大学進学、そんなんじゃないよ、面白いことをやりたいのにという相談をしにきてくれた。全然OK。ただ僕はいつもオトノネにいるわけじゃないよ!たまたまいてよかった。いやぁ、タイミングばっちりだ。

中学校ではわりと楽しく、いやいや、とても楽しくそれこそ「学んで」いたものが、高校生になってから突然つまらなくなった。「退屈」になった、という話だ。受験勉強には価値がない。大学?なんか違う。だから、東大とか受験とか大学とかいう言葉を聞く生活には飽き飽きだ、退屈だ。

退屈。これは何か、違う。

という違和感。

で、僕も彼女から教わった。multipotentialiteという言葉だ。TEDで映像がありますよーというので、あとで見た。なるほど。

天職が見つからない人がいるのはどうしてでしょう?

その子の話の中で、海外に行くのはどうかという話がでてきたから、一緒に例の本、Barking up the wrong treeをその場で読んだ。こういう本は日本ではなかなかでない。向こうには向こうの文化があって、日本とは違う。言語は社会そのものだ。社会は言語そのものだ。そういう部分があるのだと、本を読みながら伝わったらよかったとおもう。

わくわくすることをやってほしい。

自分が笑顔になることをしていたら、他の人も笑顔になる。

自分がおもしろいなとおもってやっていたら、他の人もそれを面白がってくれる。

それが人間の、幸せの一つのあり方だとおもっている。(なんでもシリアスに考えたら鬱になるよ!)

大人は、周りの人は「こう生きるもんだ」という言葉を突きつける。突きつけがちだ。若者のために、しっかりと、「歩き方」を指し示してくれる人がいない。「歩く道」など教えてもらっても、その道は「わたし」とは関係がない。

あああ、困った。違和感、違和感。その違和感と付き合っていくために、いろんな人と出会い、一緒にやって見たり、助けてもらったり、挑戦したり、休んだり、それこそが人間らしい暮らしだとおもうし、経済成長もいい加減終わっている(まだ成長するぜ!という幻想はもう捨てたらいい。富山県が教育県だと言い続けていることくらい、現状とは違う。)

目の前にある今ここで動いている、生まれてくる時代と、古い時代を生きた大人たちの間で子どもは孤独な道を。だれも指し示してはくれない道を歩むことになるんだろう。だからこそ、道中楽しもう。そして仲間を見つけよう。きっと大切な宝物になる。仲間を見つけるために、世界を飛び回ってもいい。大丈夫だ。死ぬまで生き続けるのだから。

 

目標がない?じゃぁ、東大か京大にしよう。

いろんな生徒がいる。 「運動がしたいんですよね。別に部活じゃなくてもいいんです」 「進路は考えてるの?」 「いやぁ、それがまだ」 「それならこれこれこういう大学があるよ・・・・」 将来と今が繋がらない生徒が多い。 今、「高校で生活する」ことで1日を終えている。 「高校は、進路に向かって勉強する場所だよ。学校は部活をやらせて君たちの青春エネルギーを悪いことに使わせたくないだけだ。君はそのエネルギーを、進路のためにつかったらいい」 と私は学校の仕組みを言う。 高校を卒業したら、高校はもうお世話をしてくれない。 高校は、卒業後に、追い出される場所だ。 それから先は生徒一人の道。 スポーツをやり続ける人が大学に行って、そのままスポーツを続けて、将来がわからなくなった人に会ったこともある。 彼は宗教に入っていた。 スポーツと、社会の中の自分をつなげられなかった人だ。 日本の宗教は自分と社会とを結べなかった人のためにあると思っていい。 ーーー 高校時代に暗記型の受験勉強だけして大学に入る生徒がたくさんいる。 苦手を克服できず、どう立ち向かっていいかわからない。 そういう生徒が、人生に悩んだ時、立ち向かえるか。 べつに受験勉強でなくてもいい。 学習塾として、otononeは受験勉強を通じて、生徒にたくさんのことを学んでほしいと思っている。 生徒の苦手にちゃんと付き合って、向き合って教えてくれる先生に出会い。学ぶこと、そして結果を喜ぶこと。 それが受験の意味だと思う。

【イイ大学がイイのはナゼか】上場企業の保護者に聞いた。旧帝大でなかったら、東京の私立へ行った方がいい話。

上場企業(いわゆるいい会社)に勤めている保護者の方と話す機会があり、大学の名前が社会に出てから何に影響するのか聞いてみた。 結論は「入社してから大学の名前は関係ないが、入社する時に大学の名前は大いに関係する」ということ。そこに働いているのは「合理性」だ。 つまるところ、いい会社はいい人材を求める。いい人材を探そうとしたら、、、ランクの高い大学から探すのと、ランクの低い大学から探すのと、どちらが合理的、効率的か。人事の人の数も、時間も限られている。だから、「給料の高い会社」はランクの高い大学にだけ求人情報を出す。(今、ネット社会で誰でも応募できるようになっているかもしれないが、選考の段階でランクの高い大学から人を選ぶようにしているのだろう) なるほど合理的だ。 ーーー

ーーー 最近、イイ大学に行くとそれなりにイイことが起きる、とおもうことがあります。 東京のイイ大学は、いろんな人がいる。いろんな人と繋がっている人がいる。イイ会社とも繋がっている。 話にはいろんな流儀がある。 知的な話と、もっとより日常的な話に分けられたとしよう。 知的な話とは、ワクワクする話のこと。日常的な話とは、ダラダラした話、だとしよう。 イイ大学に行ったら、将来、知的な人と出会える可能性が高い。かもしれないと、最近思う。 「話ができる人間」はやっぱり、イイ会社にいたりする。 一概にはいえないのが、世の常だけれど。 人に会える確率のほか、もう一点。 得られるスキルの話。 イイ会社に行ったら、イイスキルが得られる。というか、世の中に打って出るスキル、世の中に打って出る人の考え方を日常的に吸収できる。 もし独立自立するにしても、イイ大学に行ってビジネスバリバリのイイ会社に行って、スキルを学んだり、世の中に慣れてから「じゃぁ自分ではじめよう」と次へ進むのもいいかもなぁとおもう。それくらい「会社」のやっていること、「会社」の精神は、個性がある。 世の中で、いろんな本を読んで(『「20円」で世界をつなぐ仕事』を書いた小暮真久さんやえっと、忘れた)、クリエイティブに生きている人、世の中に「出ている」人は高学歴な気がして今この記事を書き直している。 クリエイティブに生きるために、作戦を練る為に、、、、という目標を掲げてイイ大学、イイ会社にいってもいいし、 高給取りになるためだけにイイ大学、イイ会社を目指してもいい。 ただ、イイ大学、イイ会社に行く以外の、しあわせの道も、人間はちゃんとつくれるようにできているのは、不思議なところ。 ーーー

ーーーー ぼく自身、気になっていて、本当に学歴が役に立つのか、なぜ勉強するのかを何度か記事にしてきた。 ぼくはいつも「一流の学習者であるかどうか」が学歴の指標だという。 それは与えられた問題、鉛筆と紙で答えを出す問題ではなく「自分自身の問題」を解決する能力でもある。 「一流の学習者」ではなく、「一流の労働者」になるやり方もある。それは実は、紙一重というか、テストでは区別しにくいので、東大は困っているのだが。

読み替えスピードテストのスコアはあらゆる点で認知能力テストとおなじくらい正確な予測指標になっていた。スコアの高かったものの年収は、低かったものよりも何千ドルも多かった。彼らの点数が高かった理由は簡単だ。他の生徒より懸命に取り組んだからである。そして労働市場が実際に重きをおくのは、見返りがなくてもテストに真剣に取り組むことができるような、内なるモチベーションをもっていることだ。誰も気がつかないうちに、読み替えスピード・テストは成人後の世界で重大な意味をもつ、認知能力とは関係のない技能を測定していたのである。(『成功する子・失敗する子-何が「その後の人生」を決めるのか』p.118)

つまり成績が高いのは、非認知能力の高さの結果であり、実際に社会に行って役立つのは、学歴を追求して会社に入って役立つのは、非認知能力であるということだ。テストの点数を見る前に、自分の心、自分との対話ができたほうがよさそうだ。 ーーー

ーーーー で、「ランクの高い大学」とは何か。という話だ。地方国立は含まれるのか?私立ならどこからが許容範囲なのか? 旧帝大、東大京大はいいとしよう。慶應早稲田もいいとしよう。その保護者の方の話では「法政・明治あたりまで」だという。では、地方国立はどうか?

蛇足だが、東大が多様な人材を求めているという記事。 東大の入試で理系の数学が昔に比べて劇的に易化した理由 東大が入試に全力を注ぐのにはワケがある

コメント

タイトルとURLをコピーしました