不登校とは?

不登校とは?理由・原因・背景とその先の「どうする?」

芸術と教育、福祉に境目がない世界の学校で学んだこと

受験受験、受験と言われて誰かと比べられながら生きている多くの人が、日本にはいます。私自身がそうでした。芸術家としてどうやって暮らしたらいいのか、頭でっかちになってしまったところを、インドネシアの友達に誘われて旅を始めたのがきっかけで「私も芸術家として生きていいんだ」と勇気を出すことができました。それが芸術家の家、otonone-オトノネ-です。

インドネシアで芸術家たちと出会いながら、芸術が学校の中に取り入れられている様子、日本とは違った学校の様子を撮影してきました。

こんな学校を作れたらいいな、受験勉強ばかりの高校じゃ、つまんないなと、otonone-オトノネ-は考えています。

 

スラウェシ島の幼稚園


芸術家アスカルAskarの学校の授業


ジャワ島、ジョグジャカルタJogjyaの盲学校


芸術家アブディAbdiの学校の授業


ジャワ島、ジョグジャカルタJogjyaのオルタネティブスクール

不登校とは?理由・原因・背景とその先の「どうする?」

おとのねさんがよく関わるのは「優等生の息切れ」と言われている状態の高校生です。

無理して入って、無理して過ごして、無理して疲れた、という状態になったら、休みたくなります。

 

具体的な事例は、[不登校 神対応]と調べるとたくさん出てきます。

例えば

「学校に行きたくない」と泣き叫ぶわが子に母親がとった"神対応"とは? 本当にありがたかった母の判断 | 文春オンライン
「学校に行きたくない」という子にどう対応すればいいのか。『不登校新聞』編集長の石井志昂さんは「不登校は一番苦しい時期を脱したサイン。理由がはっきりとわからなくても、休ませてあげるのが最善だ」という――…

 

また、[不登校新聞][不登校 ブログ]と調べると、色々な物語、生き方を知ることができます。

子どもにとって「よい甘えさせ方」と叱り方のポイント / 不登校新聞
『不登校新聞』とは 日本で唯一の不登校専門紙です。不登校新聞の特徴は、不登校・ひきこもり本人の声が充実していることです。これまで1000人以上の、不登校・ひきこもりの当事者・経 験者が登場しました。 また、不登校、いじめ、ひきこもりに関するニュース、学校外の居場所...

 

思春期というステージで何が若者の助けになるのかを知っておくと、もっと優しくなれるかもしれません。

長々と色々書きましたが、思春期の成長の過程で「不登校」という現象が出てきたら、次のようにすると良いと思います。

  • とりあえず休む
  • 家と学校以外の活動領域を広げる(親の社会性が影響する?)

以上です!

おとのねさんは、「不登校」は学校の外で学ぶという機会だと思っています。

ネット漬けになっているなら、ネットを使って広げるのもいいと思います。

高校資格はどうするねん!という場合には、

  • 高卒認定試験を取る。
  • 通信制高校に入る。

くらいでしょうか。

不登校は「心」の「表現」。

不登校は家庭環境・社会環境・学校環境への防衛機構だと思っています。
詳しく書かれている情報を見つけたのでリンクを貼っておきます。https://susumu-akashi.com/2016/08/ptsd_dd/

ここに書かれている大切な部分を引用します。

身を守るための反応は二種類ではなく、最低でも四種類あったのだ。
それぞれ、ちがったタイプの危機的状況に合わせた生理的反応のパッケージである。まず、危機が遠くにある、少なくとも目の前には迫っていない状況では、身をすくませるというのが本能だ。危険がこちらへ近づいてくるなら、逃げようという衝動が起きる。逃走が不可能なときの反応は、反撃。
そして、戦っても勝ち目のないときは、動物は恐怖のあまり動けなくなる。
実際にはそんなスムーズに移行が進むわけではないが、「戦うか逃げるか」よりも正確な言い方を試みるなら、「戦うか、すくむか、逃げるか、死んだふりをするか」(fight,freeze,flight,or fright)、つまり「4F」ということになるだろう。(p85)

この中でいう、「身をすくませる」「死んだふりをする」状態が、いわゆる防衛機構の陰性反応です。だから逆に、陽性の反応を示す人もいます。(といっても、見分けがつかない場合がほとんどですが)どちらの反応を示すか、ということは遺伝でほとんど決まっています。

陰性反応

  • 学業不振・勉強嫌い
  • ひきこもり・不登校・無気力(無力感)
  • 自閉症・緘黙・チックなどの心身症

陽性反応

  • 非行・薬物・飲酒
  • ファッション・豪遊・ブランド買いあさり
  • 他者に対して暴力を働く

 

大人でも当てはまりそうですね(その通りです)。

学校で気が滅入ってしまい、心が疲れてしまい、どうしたらいいかわからない状況です。私はこれをはっきりと「監獄の中にいる囚人」状態だと言ってしまおうとおもいます。何をしてもダメ、支配され、やりたいことも禁止され、忙しく日課に追われている多くの子どもたちは精神を麻痺させ、固まらせています。よくあることですが「もう、この人とは無理」という状態です。無理やり嫌な人(社会環境)と付き合うのは大変なことです

不登校は「非暴力不服従」の表現

不登校の子は、これまでの既得権の取り合いとは別の生き方、新しい時代、自民公明党の目指している高度格差社会ではなく、個性的な、平和な時代をつくる人たちになる可能性が高いとおもっています。だから不登校を選んだお子さんには、「競争」から一歩引いたところで自分の「個性」を磨く生き方をしていって欲しいと思います。学校に行かない分、変な教わり方、学び方、破壊的な人間とか変わらない分、もっともっと人らしくなれる可能性を秘めていると、おとのねさんはおもっています。

それから、大切な考え方ですが、不登校は子どもたちの非暴力・不服従の訴えです。子どもたちが自分の魂の権利を行使していることです。お母さんは、この小さなガンジーの声にならない声を聞き取って、そのあとどうししたらいいでしょうか?子どもの不登校は家の問題ではありません。社会全体の、政治的な問題です。学校の外を出ても、暴力は続きます。お子さんはなんとかサバイバルをしても、暴力を受けた人、心が歪んだ人があなたのお子さんを傷つけるかもしれません。実際、今の日本がそうなっていることに、お子さんは気がついています。お子さんのオトノネに、耳を傾けてみませんか?

 

7つのタイプ

どれも「自然な発達」へと向かう子どもたちの「命」のサインです。その原因を7つのタイプに分けて考えている方がいたので紹介します。「成長の次の段階」を目指しているのでしょうか、それとも「成長なんかしたくない」という気持ちなのでしょうか。お子さんの「命」や「心」に向き合えますか?

ちなみに、この分類は「適当」ではなく「テキトウ」です。どれかのタイプにお子さんを当てはめることは絶対にしないでください。

  1. 分離不安タイプ
  2. 良い子息切れタイプ
  3. 甘え依存タイプ
  4. 無気力タイプ
  5. 人間関係タイプ
  6. 神経症等を伴うタイプ
  7. 発達障害を伴うタイプ

分離不安タイプは幼児期に十分な「お守り」ができずにお母さんと一緒にいたい、幼児退行するケース。

良い子息切れタイプは親の目線(大人の願い)を気にして自分の「心」や「命」を大切にできなかったケース(良い意味で思春期)、今まで我慢してきた怒りを親へぶつけることが多い。

甘え依存タイプは「自立心」が弱いケース(乳幼児期に自立を促されなかった)甘やかされてわがまま、嫌なものに取り組む「心のバネ」がない。

無気力タイプは選択的に学校に行かないケース(怠惰。甘え依存タイプと同じ?)。

人間関係タイプは社会的スキル、対話のスキル、人間関係の作り方、「心」の守り方を学ぶ必要があるケース(破壊的な人間関係から「心」を守る「お守り」がないケース)。

神経症を伴うタイプは身体的な症状が出ているケース(原因は他のケースと重複)。

発達障害を伴うケースは自分の特性を理解できず、大人にも理解されずに孤立したケース。

「心」の問題は「体」の問題でもあります。体重が減っていませんか。周期的な生理現象はでていますか。疲れが抜けずにずっと眠っていませんか。体のサインは、最後のサインです。

不登校は甘えか

ここで「解説」することは大したことではありません。お子さんの「心」とは無関係です。ですが、お母さんがお子さんの「心」を理解するヒントになればとおもいます。

幼児期の「甘え」は「心」の拠り所になる、安心の源をお母さんに求めているというものです。子供は成長しながら、「外のワクワクする世界」に導かれて、少しずつお母さんのもとを離れて行きます。ですが大変な目にあったり、辛かったり、疲れたりしたらお母さんのところで「心」や「体」を休めます。

お子さんは家庭で「充電」ができていますか?

お子さんの外の世界(学校)は、魅力的ですか?

不登校は「甘え」かもしれません。

しかし、それはコドモの発達の段階で、必要だから現れてきたのです。

母子分離不安という言葉がありますが、ただ心に「お守り」がない状態、もしくは外の世界に魅力がない状態をいいます(現状維持をしたい心は大人にもありますね?

不登校はわがままか

中学生、高校生になると「めんどいから」学校に行かない、というケースもあるでしょう。外で遊んで、学校にはいかない、という子もいると思います。

学校とは、つまらない場所です。

その子にとっては、つまらない場所だったのです。

自分の「命」を大切にできない、と判断しているのかもしれません。

中学生・高校生はもうオトナです(オトノネでは9歳以上はオトナです)

お子さんの生き方を尊重できますか?「ひと」としてお子さんがこのようにして育ってきた、ということをどうやって受け入れられるでしょうか?

オトナが、コドモから自立しなくてはいけないのかもしれません。

不登校というお子さんの選択を、尊重できますか?

不登校と思春期

ある意味で、「不登校は思春期のはじまり」と考えてもいいのではないかと僕は思い始めました。 今までさせなかった気持ち、心を表現できる、表現せざるを得ない、心のしくみが変わっていくという意味で、不登校になったら思春期が始まった、と考えられるように思います。

思春期・反抗期とは、子供が「心」を発達させるなかで今まで作り上げてきたものとは別の「心」のしくみを取り入れようとしている時期のことを言います。「成長」をしようとしている時、だということです。

不登校は、今まで我慢してやれていなかったことができた、「学校に行かない」という選択ができた、自分の「心」や「命」と向き合う段階に来た、ということを表している現象です

不登校と休み明け

休み明けが不登校のきっかけになるのはなぜでしょうか。

単純です。

「心」が学校で日常的にふりかかっている暴力に対応して疲れて来て、どっと疲れて、荷を下ろしたときに「スイッチ」が切れるということです。

長期休みで「このまま仕事がなければいいのに」と思ったことはありませんか。オトナもコドモも同じです。

今まで大切にできていなかった自分の心・命・体を守るプロセスに入ったということです。

ひきこもるとは?不登校の機能。

ひきこもりの代表は、シャーマン。
シャーマンになる前に、幻覚をみたり、瞑想状態になったり、夢をみるために、この世から断絶します。
日常の世界から離れることで、飲み物、食べ物、習慣、人との関わりを「みそぐ」ことで、生まれ変わる儀式です。

シャーマンの儀式では、霊的なものに出会うプロセスの一つに「引きこもり」があります。

子どもの場合は、「自分にとって大切なもの」を確認する時間、大人たちに伝える時間なのだと僕はおもっています。

学校に行かない、学校から「ひき」、別の世界に「こもる」ことも、ある意味で、次のステップへの大切な一歩だと僕はおもっています。

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ひきこもるためには、誰かに守られている必要があります。
もしくは、自分で自分の身を守る「時間」を作ることが必要です。
日々、日常のなかに「瞑想」を取り入れるなどはそのパターン。

プチ☆ひきこもり

心を大事にする、大切な振る舞いだと、僕はおもっています。

ひきこもりと不登校。学校のストレスから心を休めて創造的になるための、休息?

残酷すぎる成功法則

楽しみやリラックスすることが、成功と関わっている点はほかにもある。たとえば昨今、どこの企業もイノベーションの必要に迫られ、創造性を必要としているが、職場で長時間残業すれば新しい発想が浮かぶわけではない。むしろ逆だ。数多くの研究で、ストレスや残業を減らし、リラックスしてこそ創造性が発揮されることが証明されている。 事実、あなたが最も創造性に富む時間帯は、じつは職場に着く前に訪 れている。大半の人はシャワーを浴びているときに妙案が浮かぶとい う。ペンシルバニア大学のスコット・バリー・カウフマンは、七二%の 人はシャワーでアイデアがひらめいた経験があり、職場でアイデアが浮 かぶ経験よりはるかに頻度が高いことを発見した。なぜシャワー中? 単純にリラックスできるからだ。そういえば、アルキメデスが「ユリー カ!(われ発見せり!)」と叫んだのは仕事場ではなく、のんびりと温かい風呂につかっていたときだ。

今日多く見られるつねにハイペースな職場は、創造的思考に適した環 境と対極にある。ハーバード大学のテレサ・アマビールは研究の結果、 過度な時間的プレッシャーの下では、創造的な解決策を思いつく可能性が四五%減少することを発見した。あらゆるストレスは、創造性のかわ りに、「プレッシャーによる二日酔い」とアマビールが名づけたマイナ ス効果を生みだすという。しかも、人びとがストレスから解放された後 も、何日か創造性が低下する現象だ。

本当の意味で創造的になるには、過度の緊張状態から脱して、心を自由にさまよわせる必要がある。空想にふけることは、じつは問題解決と類似していると、研究者たちは考えている。この行為は、あなたが難題を解いているときに活性化する脳の領域と同じ場所を使う。空想にふけ りやすい人びとが、問題解決に向いていることが研究結果でも示されて きた。(『残酷すぎる成功法則』エリック・パーカー)

ひきこもり、眠る。命も心も体も回復させる。

脳の力は、回復するのに思った以上に時間がかかる。二〇〇八年にス トックホルムで行われた研究では、五時間睡眠を数日続けた人びとの脳 は、通常睡眠に戻して一週間経った後でも、まだ一〇〇%正常な状態に回復していなかった。

調査によると、睡眠は、意思決定や倫理、健康状態のみならず、イン ターネットでどれぐらい時間を無駄遣いするかにも影響を及ぼす。ま た、若さと美容を保つのに良い睡眠が必要なことも証明されている。さ らにある調査で、人びとが睡眠不足になる前と後の写真を被験者に見せたところ、睡眠不足の写真では、魅力度の観点からの評価が顕著に低下 することがわかった。

はいはい、たしかにあなたは大丈夫かもしれない。いや、それでもや はり大丈夫とは言い切れない。運転できると叫んでいる酔っ払いと同じ かもしれないから。本人は睡眠不足に気づいていないことが多々あり、 そこが油断できないところだ。疲れを感じていないとしても、休息が充 分取れていて、最適な状態で働けているとはかぎらない。 

失礼だが睡眠不足かどうかという自分の判断も、疑ってかかったほう がいい。『ニューヨーク・タイムズ』紙に掲載されたペンシルバニア大 学の睡眠研究者、デービッド・ディンジスの研究によると、四時間睡眠 が二週間続いた被験者は、疲れているがとくに問題ないと回答してい た。そこで一連の試験を実施すると、彼らの脳機能はゼリーに近かった。六時間睡眠が二週間続いた被験者の脳は、事実上酩酊状態だった。 平均的アメリカ人は何時間眠っているのだろう? ギャロップ調査によ ると、六・八時間だという。

なかには、毎晩、短時間の睡眠で平気だという人もいるが、あなたは ほぼ確実にその部類ではないだろう。なぜなら、「ショートスリーパー短時間睡眠者」は人 口のわずか一~三%だからだ(この症状を訴えて医師にかかる人はいな いので、その実態を把握するのは至難の業だ)。 (『残酷すぎる成功法則』エリック・パーカー)

こもっている時の精神状態は例えばこんな感じかもしれない

一二歳で奇病に襲われて以来、マーティンは寝たきりで、脳死状態だ と考えられていた。ところが数年後、自分の意思で動かせない体のなか で、彼は意識を取り戻した。それから一一年という途方もない年月、閉 じ込められた世界で生きるのが彼の人生だった。

母親から死ねばいいと願われることは、この上なく惨めだ。だが少な くとも、関心を向けられている。外界はだいぶ前から、マーティンを生 命のない物体と見なしていたので、関心を持たれるだけマシだった。周 囲は彼を物のように扱い、動かし、整え、清潔にしたが、ふれあう対象

ではなかった。せいぜい面倒な荷物といったところだった。 相手を人間でないと思ったとたん、人の態度はがらりと変わる。鼻く そをほじって、マーティンの目の前で食べたりする。ナルシストと言わ れるわけもないとばかりに、鏡に自分を映して何度も何度もチェックす る。はたまた〝生きた〟人間の前ではこらえる大きなおならも放出す る。

ずっと変わらなかったのは、マーティンが感じていた圧倒的な無力感 だった。人生のすべてが他人に決められる。食べるか食べないか。左右 のどちら側を下にして寝るか。病院の介護士たちは、彼に冷淡だった。 何度となくあからさまな虐待を受けた。だが彼は何一つ抵抗できず、声すら上げられなかった。

夜中に独りベッドで、怖ろしい考えに囚われたことはないだろう か? その連続がマーティンの人生だった。思考こそ、彼の持てるすべてだった。

「おまえは無力だ」──それは歌のように、頭にこびりついて離れなかっ た。

「おまえはたった独りだ」──彼には何一つ希望がなかった。

ただ生存しているだけの状態を脱し、正気を失わないために、いつしかマーティンは禅師のようになっていた。彼は、思考から自分自身を切 り離した。何の訓練も受けずに、マインドフルネスの境地を身につけたのだ。数時間、数日、ときには数週間さえ、瞬く間に過ぎ去った。実生 活や思考から自己を切り離していたからだ。だが「空」の状態は「涅槃」の境地にはほど遠く、ただの闇だった。苦しみがないかわりに、希望 もなかった。彼は、ときどき一つの考えが自分に忍び込むのを許した。 それは、母親から言われたのと同じで「死ねばいいのに」という考え だった。

それでも、ときに社会が割り込んできた。グイッと彼をつかんで現実に引き戻す。決まって現れた宿敵は誰だったか?

それは「バーニー」だ。紫色の恐竜の格好をした子ども向け番組の キャラクターは、テレビで容赦なく陽気に歌い、そのあまりに楽しそう な様子に、マーティンはいっそう自分の惨めさを思い知らされた。チャ ンネルを変えたり、テレビを叩き壊したりできない彼は、バーニーの歌を何度も何度も聞かされるのだった。

マーティンは社会から逃れられなかったので、別の自衛策を講じた。 今度は想像の世界に逃げ込んだのだ。物理的法則や現実に縛られず、彼の指示をことごとく無視する頑固な体もそっちのけに、ありとあらゆる素晴らしいことを夢想した。自分が人生に望むかぎりのことを空想に描いた。それはいい暇つぶしになった。

やがて二つの変化が起きた。二〇代半ばにして、体をいくらか動かせるようになり、手で物をつかめるようになった。それから、マーティンの目の動きを追っていた介護士が、もしかしたら彼は意識があるのでは ないかと気づいた。彼女が医師に検査をするように言ってくれたおかげで、マーティンに意識が戻っていたことが明らかになった。 その後は展開が早かった。マーティンは、操作レバー(ジョイス ティック)とコンピュータを使ってコミュニケーションを取れるようになった。車椅子での移動もできるようになり、心の底から安心した。しかしポッドキャスト番組の『インヴィジビリア』にも公開されたように、彼は満足しなかった。たくさんの夢を思い描いた後だったから。今度はその夢を叶えるために動きだした。

二年後、マーティンは仕事に就いた。だが、まだ満足はしない。元来機械に強かった彼は、フリーランスのウェブデザイナーになった。そし て自分の会社を興した。

それから大学へも行った。自分の経験を綴った自伝『ゴースト・ボー イ』(PHP研究所)も出版し、好評を博した。車の免許も取った。 そして二〇〇九年、三三歳の彼はもう独りではなくなった。妹の友だ ちでスカイプで出会ったジョアンナと結婚したのだ。一〇年間、彼は顔すら動かせなかったが、今の彼はずっと笑顔なので顔の筋肉が痛いという。BBCのインタビューを受けたときにはこう語っている。

成功とは不思議で、続々と新たな成功を生む。何か一つを達成する と、それが、もっと頑張れと私の背中を押す。そして自分にとって実現 可能なことの幅をどんどん広げてくれる。これができたのなら、ほかに 何ができるだろう? ってね。 

マーティンはまだ車椅子を使っているし、コンピュータを使わないと話せない。だが、彼は教育を受け、成功者となり、幸せな結婚生活を送っている。つまり、良い人生を築き上げている。その幸せを手に入れるまで、誰よりも長く壮絶な道のりを耐えたことを思うと、ただただ圧倒させられる。

マーティン・ピストリウスが直面したほどの試練に遭う者は稀だが、 誰しもときには窮地にはまり、身動きが取れなくなるものだ。まるで 〝閉じ込められた〟ように。私たちは精神的に逃避したり、そのまま 放っておいたりする。だが、タイム・ワーナー社のスティーブン・ジェ イ・ロスが言ったように、夢を描き、それからその夢のために何かをしてこそ成功を成し遂げられる。実際、それが唯一私たちにできることだ。(『残酷すぎる成功法則』エリック・パーカー)

不登校は悪くない!?親はどう対応したらいいのか

不登校はコドモのメッセージ

不登校はよくないことだ、学校で人間関係を学ばないと・・・とか、仕事があるから学校に行ってもらわないと困る、というオトナの都合、オトナの事情はあるでしょう。しかしそれはあくまでオトナの都合であって、コドモがそれに合わせてくれるかどうかはわかりません。

大人の都合には合わせられません、という「主張・表現」が不登校です

不登校それ自体は悪くありません。

そして不登校は、コドモのSOSのメッセージです。

受け止めてほしいとおもいます。

コドモが一番頼りにしているのは、お母さんだと、僕は思っています。

不登校の子は、これまでの既得権の取り合いとは別の生き方、新しい時代、自民公明党の目指している高度格差社会ではなく、個性的な、平和な時代をつくる人たちになる可能性が高いとおもっています。だから不登校を選んだお子さんには、「競争」から一歩引いたところで自分の「個性」を磨く生き方をしていって欲しいと思います。学校に行かない分、変な教わり方、学び方、破壊的な人間とか変わらない分、もっともっと人らしくなれる可能性を秘めていると、おとのねさんはおもっています。

それから、大切な考え方ですが、不登校は子どもたちの非暴力・不服従の訴えです。子どもたちが自分の魂の権利を行使していることです。お母さんは、この小さなガンジーの声にならない声を聞き取って、そのあとどうししたらいいでしょうか?子どもの不登校は家の問題ではありません。社会全体の、政治的な問題です。学校の外を出ても、暴力は続きます。お子さんはなんとかサバイバルをしても、暴力を受けた人、心が歪んだ人があなたのお子さんを傷つけるかもしれません。実際、今の日本がそうなっていることに、お子さんは気がついています。お子さんのオトノネに、耳を傾けてみませんか?

ある意味で、「不登校は思春期のはじまり」と考えてもいいのではないかと僕は思い始めました。 今までさせなかった気持ち、心を表現できる、表現せざるを得ない、心のしくみが変わっていくという意味で、不登校になったら思春期が始まった、と考えられるように思います。

2つの統計から見る不登校の現状ときっかけ・原因【2019年8月更新】

暴力の連鎖を止めるには?

子どもに精神安定剤を飲ませていませんか。
子どもに書き写すだけの宿題をさせていませんか。
お父さんお母さんも、知らず知らずの間に、狂った学校の仕組みを支えているかもしれません。
どうしようもなく、学校の暴力に屈せざるを得ない雰囲気が、日本という場所には満ち満ちています。

そんな中で、子どもたちの心は・・・どうなっているのでしょうか?

 

 

不登校は治らない

不登校はメッセージなので、治すものではありません。

関わりあいを、人という環境を変えて心を育てる事始めだとおもっています。

 

「心」がストレスに耐えらえれない

無理がたたった

子どもに書き写すだけの宿題をさせていませんか。

習い事だらけの忙しい生活を続けてきませんでしたか。

人間関係を「だましだまし」で続けてきて、息が詰まっていませんか。

「世の中は、こんなものだ」と諦めて、「命」が弱っていませんか。

お子さんが何気なく投げかける一言に、忙しいからと適当に返事をしていませんでしたか?(オトナの世界ではよくあることです)

コドモの世界はストレスで満ち溢れています。

そしてコドモたちはよく耐えています(もちろんオトナもです)。

そして、もう「無理」だというメッセージが、不登校です

成長とは、ある意味でこのストレスに対してどう反応するかという「心」のしくみをつくることです。

不登校と兄弟姉妹・家庭環境の関係は?

コドモは想像をはるかに超えて、オトナに、特にお母さんに気を使っています。お母さんが大変なときは「我慢」をします。

こういうケースがありました。

小学校で「いざこざ」が絶えない時期があった。

中学校で不登校になった。

「いざこざ」でお子さんの「心」は消耗していたはずです。けどその時家庭環境が慌ただしく、お子さんは我慢をしていたようです。辛かった、辛い、助けて欲しかった、けど助けを求める人がいなかった、忙しそうで、辛そうだったから我慢をした。だから、今、不登校をして「メッセージ」を送った。

そうしたコドモの物語を知って、感じてみると、不登校が自然なことに思えませんか

人間関係・友人関係が壊れている

いじめ、という言葉があります。

いじめ、というのは日常的な暴力を指します。

いじめ、は当たり前の日常です。

いじめ、だとおもっていないだけです。

いじめ、にお母さんも加担している場合だってあります。

お母さんとお子さんの関係が不健全である場合もあります。

もちろん、友達はいるけど、不健全な関係であることもあります。

暴力にあふれた世界で響く叫び声が、不登校です

学校や親の期待に応え続けていた

小さい頃から親の期待に応え続けてきた子供がいます。

小さい時から習い事で忙しかった。

習い事をこなすことでお母さんに認められていた。

テストで点数をとってくれないと褒められなかった、認めてくれなかった。

そういったコドモの「心」の物語があります

オトナはそれにすらなかなか気がつかないのですが。

自分の「命」と一致しない、自分がない、そういう状態は不自然です。その状態に耐え続けて狂った人が増えて行きます。「他人を攻撃する」「立場を振りかざす」といった狂ったオトナに出会ったことはありませんか。

自分がいない、自己嫌悪の状態、自分が認められない、「命」をどう大切にしたらいいのかがわからない状態はとてつもないストレスです(不安を助長します)。オトナが自分自身のそうした不安をコドモにぶつけてるのは暴力です。

不登校は、自分をどう大切にしていいのかを、学ぼうとしている状態、自分の「命」を守るしくみをつくろうとしている姿だとおもってください

オトノネで、お子さんのオトノネに耳をすませてみませんか。

大切な「命」をどう守るか

「命」とは生まれ持っているコドモの輝きです。「心」とは、「命」をまもる働きのことです。

この世界は暴力であふれています。

学校では宿題・課題、一体なにをしているのかわからない。

生きている意味がわからない。

オトナたちは真面目に問いに答えてくれない。

孤独だ。

自分の本音もわからない。

 

「命」をお互いに尊重して、強め合うような関係性が、とても少ないのがこの世界の現状です。薄っぺらな「友人関係」に疲れてしまった。

親は平気だったことかもしれませんが、子供はちがいます。

同一視してしまう癖がありますが、親子は生まれ育った時代も違えば遺伝子も違います。性格ももちろん違います。感じている世界が違います。だから「命」の守り方、「心」の作り方も違うのです。お子さんはお子さんで、今、自分を作り上げようとしています。応援してあげてほしいとおもいます。

不登校と体調不良

体調不良は「体」のメッセージです。「定期テスト対策」のように、とにかく薬を飲んででも学校に行く、とふんばり続けて、「心」や「命」が無視されていませんか。頭痛・腹痛・吐き気・疲れ・起立性調節障害・心身症、どれも無視してはいけない大切な「体」からのメッセージです。

「もう無理だって、ちょっと、大切にしてよね!」という「命」のメッセージを受け取って欲しいと思います。それでも「がんばりたい」「抜け出したい」という気持ちを応援することもできます。

けれどもそれで「心」が強くなるでしょうか。

「命」を大切にすることを学ぶきっかけとして、体調不良というメッセージを受け取って欲しいと思います。

無気力になった

疲れていたら無気力になるのは自然なことではないでしょうか。「心のエネルギー」は消費します。消耗します。使い果たしたのです。

とても自然なことですよ。

不登校の過ごし方

どうしよう、どうすればいい、どうしたらいい、、、、と不安になったり心配になるかもしれません。肝心なのは「休んでいるだけ」でもよいということです。「変えたい」「このままでは」という「オトナの願い」がコドモにとってストレスになる場合も多々あります

ネットや近場で居場所を探す

コドモにとってもオトナにとっても「孤独」はとても辛いものです。

  1. フリースクール
  2. 親の会
  3. コミュニティー(フェイスブックなど)
  4. 家庭教師など

ただし、「コドモだけ」の場所をつくって、肝心のお母さんが孤独では元も子もありません。

学校を変える

環境を変えると反応も変わります。親から離れる、今まで「心」が消耗して来た環境から離れる、ということも悪くはありません。ただ、変えた先で「心」が強くなることを手伝ってくれる、「ひと」として関わってくれる人と出会えるかどうかです。

  1. 山村留学・島留学
  2. 全寮制の中学校・高校に入る
  3. 通信制高校に入る
  4. 小規模特認校を選ぶ

学校のカタチのひとつに「小規模特認校」があります。高岡市にはありません(高岡市は逆に統合してマンモス化しています)。富山市、金沢市まで通うのも手です。学校に行きたいなら!学区を超えて通学できます。人数が少ないというのは、本当に、大人にとっても子どもにとってもイイことだと僕には思えます。(追記ですが、理解に苦しむ富山ルールで、学校の所在地の「市外」からの通学はできない、という情報があります。制度が変わる可能性があるので、役所に問い合わせていただきたいとおもいます)

別室登校・保健室登校

学校に行く、ということにこだわるのはなぜかを聞きたいのですが・・・

保健室は昔と違って、全校生徒が駆け込む場所です。

学校は暴力であふれています。

だから保健室の居心地を悪くしたり、利用制限をかけている学校すらあります。

「とりあえず登校」で果たしてよいのでしょうか

「定期テスト対策」と同じになっていませんか。

もちろん、ケースによって異なります。

学校は「利用するもの」だと思っています。

行事だけ参加する、部活動だけ参加する、大切なことは「コドモの願い」です。学校は「そんなの認められない」というかもしれません。その時は、オトナがきちんと学校と向き合って、その姿をコドモに見せることです。

引っ越す

ありです。

子どもは一人で育てるわけではないです。

 

「どこにいっても同じ」かもしれません。

が、環境が決定的に影響する場合もあります。

「でも仕事が・・・」というオトナの都合もありますが、子供の不登校をきっかけに人生を変えるのも楽しいかもしれませんよ。

 

 

学校の「暴力」から小学生・中学生のお子さんを守る

知っていてほしい法律

学校に起きてきぼりにされている小学生のお母さんからたびたび相談があります。塾に行って学校の外で学ぶこと以上に、ただ書き写すだけの、お子さんを勉強嫌いにさせてしまう宿題を止めることが大切なことだとオトノネは考えています。教育基本法で認められている「家庭教育」を主張することで学校の無意味な宿題からお子さんの心を守ることをまずはおすすめしています(っ^ω^c)PDFをダウンロードして読んでみてください。解説もつけました。

教育基本法(PDF4枚)をダウンロード

学校の教師の人間性の低さが子どもたちの人間性を、豊かさを奪っているとオトノネでは考えています。 アニメ、音楽、子どもたちが発信し、共感する文化をみれば大人でも感じることができるでしょうか。 動画のコメントに注目です。 このたかやんという人のコメント欄は共感を求めている人のコミュニティーになっているようです。

学校での日常的な暴力(スクール・バイオレンス)

 

お子さんを守るためには、、お母さんが大事なものを大切にすること、子どもの大切な心を守ること。僕はそうおもっています。オトノネがその一部になればいいとおもっています。学校という暴力からお子さんの心を守ることが大切です。

「文部科学省」はそもそも「子ども」のを考えていません。学校の先生やカウンセラーの人がもし「学校に戻る」ことを目標にするとか、曖昧に「とにかく今はやすむ」といって子供の心をネグレクトする人たちのいうことを聞いてはいけません(もちろん、たまにはいいことをいいますが笑)

人は、一人では生きていけない。人は、人から学ぶ。どんな人であっても。ただ、自分の心を守れていなければ、破壊されるのだろうけれど。「学校」である必要はないが、「人」は必要だ。「学校」は子供が成長する一つのツール、でしかない。という認識は大切です(友達に会うために学校があるという馬鹿げた状況になっているのが、日本です)。学校が果たして、使い物になるのかどうかは、ひとりひとり違います(高ストレス環境にされされていたら、壊れます。ひとりひとりちがう)。

2つの統計から見る不登校の現状ときっかけ・原因【2019年8月更新】

不登校に関する法律

otonone-オトノネ-はいろいろ考えています。お子さんには小学校・中学校に通う義務はありません。学校に行かなくてもいいんです。心が擦り切れて、自分ではどうしようもない、つらい、誰かに助けてもらっても、学校に行きたくない、いけないときは、無理をせずに休んでもかまわないと、オトノネは考えています。

もしかしたらお子さんはHSC(敏感な子)かもしれません(富山市のPeace Pieceの情報を探してみてください)。というか、不登校の子はみんなHSCになってしまう、のか僕にはまだわかりませんが。僕はHSCという抽象語は不登校の子どもたちのアイデンティティーを守る一つの盾だとおもっています。

学校で辛い思いをするのは、創造的な、意欲ある、自発的なお子さん、大人の言葉や態度に敏感な子が多いように思います。それでも「そんなものか」といって通い続ける子どももいます。学校は(お子さんによっては)ツライ場所です。子どもたちが学ぶチカラを伸ばすことがしにくい場所です(お子さんによっては)。お子さんたちは(お子さんによっては)、「あそこでは、自分は学べない」と判断しているのです。学校に行かないのは、おかしいですか?間違っていることですか?学校に行かないというのは子どもの真っ当な主張です。その子の主体性、自発性を受け止めて、お父さんお母さんは、どう応えてあげますか?「出席日数が足りなくなるから学校に来てください」は嘘です。学校という暴力からお子さんの心を守ることが大切です。

法令・憲法・条約違反の学校教育

歴史的に、文部科学省は「軍隊+核兵器」を専門にしてきました。

子供達はオトナの綺麗事に呆れています。

子どもの権利条約(1994年4月22日批准)

第29条:締約国は、児童の教育が次のことを指向すべきことに同意する。
児童の人格、才能並びに精神的及び身体的な能力をその可能な最大限度まで発達させること。
すべての人民の間の、種族的、国民的及び宗教的集団の間の並びに原住民である者の間の理解、平和、寛容、両性の平等及び友好の精神に従い、自由な社会における責任ある生活のために児童に準備させること。 第39条:締約国は、あらゆる形態の放置、搾取若しくは虐待、拷問若しくは他のあらゆる形態の残虐な、非人道的な若しくは品位を傷つける取扱い若しくは刑罰又は武力紛争による被害者である児童の身体的及び心理的な回復及び社会復帰を促進するためのすべての適当な措置をとる。このような回復及び復帰は、児童の健康、自尊心及び尊厳を育成する環境において行われる。第42条:締約国は、適当かつ積極的な方法でこの条約の原則及び規定を成人及び児童のいずれにも広く知らせることを約束する。

日本国憲法(1946年(昭和21年)11月3日公布)

第十三条:すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

第二十三条:学問の自由は、これを保障する。

第二十六条:すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。

教育基本法(平成十八年改定)

我々日本国民は、たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家を更に発展させるとともに、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献することを願うものである。我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。 ここに、我々は、日本国憲法の精神にのっとり、我が国の未来を切り拓 く教育の基本を確立し、その振興を図るため、この法律を制定する。

学校の実態とは、「多くの場合」、こういうものです。

大人のやましい沈黙。計画的沈黙。

守るだけで、勝手に強くなっていく

世の中や学校は改善しなくても、お子さんの人生は改善します。それが、お子さんの学びであり、成長です。生きるとは、重力とどう付き合うか?という問いへの答えでもあります。

植物は、動物は、どうやって、重力と付き合っているでしょうか?人間は、学校という、社会という圧力とどのように付き合ったらいいでしょうか?

強くなっても、折れるときは折れてしまうのは当たり前です。今、お子さんは台風に遭遇して「もうむりや!今までなんとかしなって生きてきたけどもうあかん!」といって折れた、と思ってください(木は折れたらもどらないけど)。そういう現実から、子育てを見直しながら、お母さん自身の人生も見つめ直せる場所にしたいとおもっています。大人の不安、大人の願いを子どもの願いから分けて考えるところから始めて欲しいと思います。

ただ暴力から守るだけです

 

不登校になったら、「心」を強くして「命」を守る生活をはじめよう

寝る・休む

疲れていたら「命」も弱まって、「心」も働きません。ごちゃごちゃになっている頭を整理する、過剰に反応して滅入っていた神経を休ませる、という意味で昼夜逆転や昼夜もなく眠る、ということは自然な「命」の営みです。

 

「窓」を開く

元気になったら大抵、本人が自分から外に出て行きます(探しに行く「心」のしくみができている子のみ)。ゲームが「窓」になるかもしれません。安心して、自分が一歩を踏み出せる方向へ、自分にとっての一歩を踏み出す時が来ます。

この「窓」は人それぞれです。今まで弱められていた「命」や、鬱積していた「心」のタガが外れて全く新しい、今までにはないことに興味関心を持つかもしれません。

オトナが「よかれ」と思っていろいろな情報を与えることも悪いことではありませんが、「子供の願い」を尊重していきたいものです。

さりげなく一言、「馬に会いに行く?」といって牧場に行くのも良いでしょう。コドモは賢いもので、オトナの言葉のハウツーをよく心得ています(主に学校で教わります)。

ペットと食べ物と土とストレス

人間というものはやはり動物です。ぬいぐるみ一つで落ち着けるものです。犬や猫を飼う、飼わずとも、動物に触れるということは暴力であふれた人間の世界から身を離して身を守る方法の一つです。

安富歩さんは「学校を壊して牧場をつくろう」と言っています。

「命」の本来のあり方に「触れる」ということは、とても大切だとおもいます。

「土」にふれる、ということもよいでしょう。

「よい食べ物」を食べる、ということでもよいでしょう。

遊ぶ

プレイセラピー、という言葉がありますが、遊ぶことで癒されるというのは本当です。その遊び方がゲームであったとしても、本質は変わりません。

遊び方が、生き方そのものです

(だからゲームは・・・というのは「オトナの願い」です)

 

不登校とは、学校を変えるとは、県外に逃げるとか海外に行くとは、「戦うか逃げるか」という選択なのか。

学校に行くかいかないか、というのは、塾に行くかいかないかと同じくらいのレベルだとおもう。
塾にいかないなら、家でやるといい。
家でできないなら、それは別の場所を探さなくてはいけないが。

肝心なのは、子どもが学校の環境で困難を感じているということであって、どんな声かけをするか。
どんな風に、その子の学びの機会を補償できるか。

強みを、強められるか。

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女性は男性よりもおたがいに強い友情を育て、一族の世話をする。心理学者のシェリー・てイラーは、すべての哺乳類において、脅威に対する「闘争もしくは逃走」反応は、実際にはオスだけに特有の反応だとさえ述べている。女性の場合、脅威に対する反応は「世話と友情」という方が適切であろう。(『パーソナリティーを科学する』ダニエル・ネトル p.194)

遺伝的にも、人格的にも不利な場所でも、環境の中で最適化をすることを選択する心がある。
遺伝的にも、人格的にも、不利な場所から抜け出しもっと有利な環境を目指す心もある。

それはひとりひとり違っている。
富山県はそもそも、選ぶための選択肢がないために、多くの人が「耐え忍ぶ」習慣をもっている。
動き出そうにも動き出せなくなるほど嫌味、悪口、脅しをかけられる感じ。

自称を含めた進学高校と同じだ。
学校全体にこういう傾向がある。

遺伝子が慣習として、文化として受け継がれ続けている。

女性にとっての脅威とは?
部落の女性の間のゴシップ、妬みやら恨みといったものだろうか。

わからない。
わからないのでとにかく逃げるということについて記事を書いてみる。

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環境が人間を作る。
もう遺伝子はもらっている。
残りは環境だ。

環境に合わせて、人間は「つくられる」。

環境の中で、環境との関わりで、子どもは学んでいく。
その環境の中で、よりよく「自分が」生き残る方法を学ぶ。

スラム街に生まれた子供は、それなりの生き方を覚える。
富山で生まれた子は富山で暮らすために最適化される。

でも、個性というものもある。
不登校、不適応は、「今の私はこの場所では最適化されません」というメッセージだ。
個性ある個人、尊重されるべき人間の叫びだ。

では、「最適化されません」と子供からメッセージをもらったら、どうするか?

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不登校の原因は、富山という文化、日本という文化だけではない。
その文化で育ち暮らす大人がつくりだす環境がすべて子どもに影響する。

おとのねさんがブログで書きまくっているように、日本という組織は子育てにやさしくない。
正しく言えば、子ども環境は「昔から比べて」別の有様になっている。
引きこもりは、それまで生きて来た子どもが出した「適応」「最適化」の答えだ。

子供が出した答えに、大人がどう応えるか。

不登校は「よく答えをだしたね」といって、褒めてもいいことだ。
と僕は思う。


学びというチカラをつける、その子の進化の道をたどる個別化の道の一つが、逃げる、ということである。

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逃げる。

強くなること。
自分を信じること。
逃げたい心に向き合うこと。
「大丈夫だよ。君は強くなる」と励ませること。

ぐちゃぐちゃになっている頭を、リセットすること。

逃げたっていいんだよ。

もう少し文字を大きくしてみよう。

逃げてもいいんだよ。

逃げたっていいんだよ。

逃げてもいいんだけどねぇ。。。。

それができないのが「学習性無気力」だが。

ちなみにこんな記事もあります。
学校の偏差値教育(相対評価)と家庭教育(絶対評価)でセルフハンディキャップ・無気力・無力感よさよなら

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こういう話もある。
小学校でいじめにあった。
不登校になった。
中学校でもいじめにあった。
不登校になった。
高校でもいじめになった。
不登校になった。

そこで「環境を変えても、人はかわらない」ということは正しいように思える。
本当だろうか?

僕も人は環境で変わらないとおもう。
人が変わるというのは、そうとうのライフイベントだ。
そう簡単に変わらない笑

たとえば「他の子が自分の悪口を言っているようにおもう」という現象がある。
(これが不登校の理由の第一位のようにおもう最近)

なるほど。大人になっても、人の悪口は絶えない。
どこに行っても、環境を変えても?

保育の現場すらこうですから。

そう、環境は、選べないらしい。

結局、「環境を変えても、人はかわらない」ということは正しいように思える。
(人は変わらないが、人間関係のしやすさは変わる。おかげで僕は今、学校と保育園で働けています。ありがたいことです。)

同時に「同じ環境の中にいても、結局変わらない」ということも、正しいように思える。

子供が学ぶ環境を選ぶ


学校をサバイバルするための力をいつ、どういうきっかけで得るか。

学べることがないなら、学び方がわからないなら、それを学べる環境をつくる、見つけることだ。

選ぶとは、

別に日本にいても「学びのインフラ」があればよい。
「学びの資源」を手に入れられない人は、海外にいってもいい。

「転校しても変わらない」
「県外に行っても変わらない」

本当だろうか?

いじめられていたとしよう。
悪質ないじめだとしよう。
「環境を変えても人は変わらない」だろうか。

環境が変われば、周りの人が変わる。
いじめは無くならないかもしれないが、いじめに立ち向かっていける力をくれる友達と出会えるかもしれない。
学びの資源との出会いが大切。

もう資源が枯渇して、無理!という人は、逃げたらいい。
そこにいたら、死んでしまわないだろうか。

学習性無気力で。

学ぶことは、強くなること。

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こんな話を最近聞いた。

就学以前、保育所に行っていた子が「行きたくない」といった。
どうしてか、理由を聞かず「いいよ」とお母さんは言った。
そうして保育所を変えた。

大きくなってから、子どもは告白した。
「お昼寝のとき、さみしくて泣いていたら、先生が黙って毛布を頭の上にどさって被せてきたのがこわかったの」

もしそのままその保育園にいたら、その子の心は、死んでしまっていたかもしれない。
逃げることが懸命なことは、多々ある。

逃げることが「負け」のように思う人がいるかもしれない。
逃げることが「楽」のように思う人がいるかもしれない。

その人は、逃げたことがないのだ。

逃げるには、コストがかかる。
逃げることは、ほとんど戦うことと同じだと僕は思う。

新しい保育所を探さなくちゃいけない。
送り迎えに時間がかかるかもしれない。
探すのに手間も時間もかかる。
新しく人間関係をつくることもしなくちゃ。

逃げることに後ろめたさを感じている人もいるかもしれない。

そういう呪いを、富山県の人は、たくさん受けてきた。
日本人が全般的にその傾向がある。

逃げることは、新しい環境に身を置かなくてはならないということ。
用意されたレールの上を歩けなくなるということ。

ただそれだけのことだ。

学校や保育園から逃げることで、自分の命を守る

不登校の子は?
そう、逃げたのだ。
超重要なスキルを使った。
無気力どころではない。
逃げる気満々だ!
道無き道で闘いが始まるのだ!

では次は。
どこに向かうか!!!

逃げるために、学ぼう。
開かれた選択肢の中でもがこう。
直感と向き合おう。
よろこびをみつけよう。

逃げながら、管理されたシステムの外に自分を守るシステムをつくりあげよう。
不登校は、体のサインだ。

大丈夫、君にはそれができるから、君は不登校になった。
それは君の意思ではなく、体からの、心からのメッセージだ。

逃げるために、チカラをつけよう。
逃げ切って、たどり着こう。

自分が背負うしかない人生で自分が責任をもって正しい選択をしていくこと。

彷徨い続けてもいい。
さまよう中で、強くなれるなら、と僕は思う。
強くなるために。

僕も逃げて来た。
日本では得られなかった能力、価値観、チカラを、海外を旅することで得ることができた。
(もちろん、きっかけは日本にあったりするが)

そしてチカラをつけた。
そうして生き残った。

選んで来た。

必要最低限、必要なチカラ。
それは自分を個別化し、積極的な責任を自分で負うことであり、自分がリッチになれることをよろこぶことだ。

忍耐?自分が豊かになれない場所で忍耐力を発揮して、どうなるだろう?
それが、価値観だ。
「やらなきゃいけないことはやらなきゃ・・・」その判断は普遍的な事実ではない。
個人的な能力の限界に応じて、つくられる、ただの行動様式だ。

どうして、富山に、ここにある、過去に縛られる必要があるだろう?
不登校は、そのきっかけになる。

人生は、きっかけで溢れている。
新しく開けた窓からどんな風景がみえるだろうか。


窓の外をみて、わくわくして、飛び出したくなった子どもに、お母さんは、どんな眼差しと、声を、かけるだろうか。

ーーーー

今まで作って来た環境、家、学校、地域、すべてを含めて、壊すこと。
思春期の課題に向き合う子どもたちの挑戦を、大人はどうやって応援できるだろうか?
富山人、日本人であることを超えて、お母さんは、子どもとどう向き合えるだろうか?

「いや、家、建てちゃったし。」

子どもが生きるために、家にお金をかけるか。教育にお金をかけるか。まだ家を建てていないのなら考え直した方がいいかもしれない。

というのが僕の考えだが。
それも文化だから。
自称進学校の《課題が多すぎる》伝統から何を学び取るか

大人も子どもも、伝統・歴史・文化を見つめ直して、新しく作り上げていったら、もっとハッピーになれるとおもうんだけど?

もちろん、僕自身の伝統・歴史・文化も、見つめながら。。。(自己批判)

オトノネも、もう少しきちんと明示してみようかとおもった。
「そのためには?」オトノネはもう少し答えをだしたらいいかなとおもった。

商売とは、商品とは、サービスとは、そういうものだとおもった
さて、何を売ろうかな。どんな夢を、見てもらおうかな。

オトノネは、「道」をつくるつもりはなかった。
けど、「道」があるから、歩く勇気を出せる人も、いるんだろうとおもった。

ーーーーー

日本というシステムから。

逃げられなかった人たちが、特にお父さんたちがいる。(富山の長男は大変だ)
お父さんから逃げられなかったお母さんたちが、いる。

(逃げグセがつく、という言葉を聞いたことがある。こうした呪いが日本のブラック経済を支えている。部活で、学校で、勉強で、企業で、保育園で、こういう言葉を使う人がたくさんいる)

その家に生まれた子どもが、いる。

「自分のようにはなってほしくない」
そうおもったら、手放すのも一つの選択肢。

もうその土壌は、その子が育つには、不足しているものが多すぎると。

たんぽぽが、タネを飛ばすのは、どうしてだろう。と考えてみてもいい。

たったそれだけのことなんだから、外にでてみたらいい。
今その子には、そのチカラがあるのだから。

少し休んだら。
旅にいっておいで。

旅にでながら、君の足が、君を支えてくれることに、君の心が、前に向かっていることに、気が付けるから。
君の顔が、まだ笑えることに、君の笑顔が、誰かをしあわせにすることに、気が付けるから。

——

SICT-SUSに「お話しませんか?」と問い合わせをしたところ、「お話しません」という返事が返ってきました。
倫理的に問題ある発言がでてきたので記事にはかけませんが。

泣きそう。

泣かないけど。

いろんな人がいるから。

いいんだよ。

我慢は美徳ではない。隷従を意味するときもある。

教育環境

その子にとっての最良の環境を目指すことが、どうして不道徳であったり、責められることなのだろう?なぜ「我慢」が美徳なのだろう?パーソナリティ特性の違い(遺伝が半分)が環境に適していないことはよくある。「適応する」能力がないのも個性の一つだ。ではどうやって生きる?

「分をわきまえろ!」という士農工商の時代から、日本は「わきまえる」文化を背負っている。(アニメは、テクノロジーで進化した浄瑠璃のことだ。)それぞれの環境にとって最良の生物がいるとすれば、それぞれの生物にとっても最良の環境がある。

環境が変わる。遷移する。
不登校は不適応であり、環境からの離脱の宣言。
環境を変える。遷移させる。
不登校は適応であり、環境の積極的な選択の宣言。

お母さんにとっては「現代」を学び、子どもを見つめ直す、関わり直すきっかけ。
アフリカ大陸からベーリング海を渡っていった「環境不適応人間」のおかげで、私たち日本人がいるとおもえば、喜ばしいことではないだろうか。

「でも」というお母さんの声が聞こえる。

それは、デモという、批判者の抗議活動のことだ。
その心は大切にして大丈夫です。
行動だけ、変えたらいいんです。
環境だけ、変えたらいいんです。

心は、ふと自然に、突然、気がついたら、変わるものです。
心というものは、変えるものではないと、僕は思っています。
変わっていくものです。

心とは、そういう不思議なものなのです。

ーーーーーーー

✳︎どうして僕は日本にいるのか。
これはただの解釈だけど。
日本に生まれたものとして、日本のことは知っておきたい。
日本で泣くとはどういうことか。
日本で笑うとはどういうことか。
日本人のことを、知りたいとおもったから。

日本人らしくはなれないかもしれないけど。
僕は変わらないかもしれないけど。
学べることはたくさんある。
その中で、強くもなれるとおもっている。

今までずっと日本に「負けて」きたから、少し強くなったか、試しているのかもしれない。

子どもの発達、子どもの心が育つしくみをつくっている学校リスト

 

⓪:子どものために引っ越すのもありかも。麹町中学校!(東京)

①:イギリスの元祖フリースクール「サマーヒル」をモデルにしたきのくに子ども村学園(和歌山・福井・山梨・福岡)

②:国際人、人間教育の沖縄アミークスインターナショナル(沖縄県)

③:課題解決型学習をするドルトン東京学園(東京都)

④:これはヤバイ…必見。新しい時代をつくる軽井沢風越学園(長野県)

コチラから、設立の経緯、構想のインタビュー記事、読んでほしいです。こういう人がいる。

⑥:一足先に未来にいってみようか。N中等部・高等部(大阪・東京)

⑦:あの!イエナプランが公立小学校に導入されます!やるね!平川さん?(広島)

⑧:長野県には何かがあるのか?私立 <しなのイエナプランスクール> 大日向小学校(長野)

⑨:ホリエモンがつくった、これからできていく通信制ゼロ高校(通信)

言葉が育てるもの。言葉が傷つけるもの。

お母さんにはお母さんの考えがあって、言葉を使う。

例えば「こんなルールがあるのっておかしくない?」
と、子どもが言ったとする。
子どもが「違和感」を感じた瞬間だ。
この「違和感」というものは、とても大切なものだとおもう。
世界に対する不思議。人間世界と関わり合っていくきっかけ。
頭が混乱している。どうしたらいいの?

お母さんはどう答える?

ーーーーーーー

ひとつの「いい」関わりとしては

「なんて言われたの?」
「何があったの?」
「どう答えたの?」といって、その状況にもう一度子どもを立戻らせて、想像させて、再現してもらうことだろう。

それから

「どんな風にかんじた?」
「嫌だった?」
「怒りたくなった?」
「悲しかった?」

そのときの子どもの感情を聞く。
聞く。

そうすることで、「ああ、その時自分は、こうだったんだ。とにかく、そうなっていたんだ。私の心は」と、子どもは「ちゃんと」経験をモノにできる。
何があったか。何を感じたか。

子どもの言葉、仕草の調子をみて、「ここは、その子にとって大事そうなところだな」とおもったら、繰り返して言ってあげたり、「もう少し話、してみて」といったり。

日常的な会話のギアがあるとしたら、この時のギアは限りなくゼロに近い感じがするだろう。
呼吸が落ちて、相手の息遣いを感じられるかもしれない。

ーーーーーー

もしかしたらお母さんは、「そういうときは、こうする」といって指示をだしたり、「それは◯◯だよ!」といって価値観を与えてしまうかもしれない。その時、お母さんが言葉を使う響きが、言葉をつかうときの感情が、子どもにも伝わる。

「ああ、これはダメなんだ」
「ああ、これは間違っているんだ」
「ああ、私が悪いんだ」

もしくは

「ああ、私は間違っていなかった」
「ああ、私はこれでいいんだ」

とおもう。

イイこととワルイことが生まれる。
そのうち、「これはイイ」「これはダメ」で思考が停止するかもしれない。

ーーーーーー

子どもは世界を解釈しようとしている。
子どもの目線で。子ども自身の心で。

大切なことを学ぼうとしている。
「こんなとき、どうしたらいいんだろう?」
頭が混乱している。わからない。けど、「違和感」は感じている。

そんなとき、
「そんなルールなんて、意味ないよ!おかしいよ!自由にやりなよ!」といったり、
「ルールは大切よ。守りなさい。ルールを守るから、好きなことができるのよ」ということもできる。

それは「教えていいこと」なのか。
「教えてはいけないこと」なのか。

一口には言えない。
僕にはわからない。

ただ、子どもが生きている環境は、お母さんが生きていた、お母さんが生きてきた環境とは違うだろう。
時代が違う。地域が違う。周りの仲間も違う。

その子が生きているこの時代、この場所で、子どもはどんなふうに生きたらいいのか。
誰もわからない??

だから、一番、間違いがなくて、危険のない、そして、経験してきた感情と出来事をちゃんと整理するような言葉がけは「いい」ことだとおもう。

その子がこれから出会って行く、お母さんが出会ったことのない出来事に、その子が対処していけるように。
自立できるように。

ーーーーーーー

例えば、「ルールは大切よ。守りなさい。ルールを守るから、好きなことができるのよ」と言ったとき。
お母さんだったら、その「作戦」を取れたかもしれないが、子どもはその「作戦」を実行して、心に負担がかかるかもしれない。
その子はその子の心をもっている。
「ルールを守る」ということを身につけ、「自分を守る」ことができなくなるかもしれない。

例えば、「そんなルールなんて、意味ないよ!おかしいよ!」と言ったとき。
「ルールは破ってもいい」と覚えて、ルール(時として理不尽で意味不明)の中に潜んでいる大切な意味を感じられなくなってしまうかもしれない。

お母さんが生き延びてくるときに使ってきた言葉は、お母さんが生き延びるために必要な価値観(言葉)だった。

今その言葉は、その子に必要か。

今その子がもっている可能性を、自然さを、壊してしまわないだろうか。
子どもの心に種を蒔く。蒔かれた種を守り、育てながら、僕らも子どもと一緒に育つ。

そういうことをまだ自然にできないから、オトノネさんはいつもカロリーを消費してしまう。
燃費がワルイ。

ーーーーーー

スクールカウンセラーの話。
子どもが不登校になったとき。
カウンセラーの先生は、「お父さんお母さんの目標地点は、どこですか?(カウンセリングを通じて、どこに向かいたいですか?)」と聞くという。
多くのお母さんは「子どもが学校に行けるように」というらしい。

そこから大切な子どもの心を、大事にするプロセスが、生まれてくるだろうか。

本当にその姿勢で、その子の心を守れるか。
「学校にいけない」子どもの心と、向き合えるのか。

どうなんだろう。

ーーーーーー

子どもが自分に起こった出来事を振り返り、そして、感情を言葉によって再体験し、その場に、お母さんは一緒に居合わせる。
不安定だった、落ち着かなかった、心の中で整理ができなかった「違和感」を捕まえる。味わう。

この時の言葉のやりとりは、日常の会話の速度ではないだろう。
味わうのだ。辛かったかもしれない。けれども味わうといい。
(全然、辛くないというかもしれない。学年が上がると、言いにくくなることがあるかもしれない)

そして、「あなたはどうしたいの?」
「で、今、今、あなたはどうおもう?」と聞いてみるといい。

子どもが自分で答えを出す前に、大人が答えを出すということは、僕には恐ろしいものだと思えることがある。

ーーーーーー

たぶん、そうやってきちんと感情を、出来事を味わい、自分なりのこたえを出したあとで、子どもは、笑いながら「じゃぁ、やってみる!」といって、「新しい経験」を積んで行く。同じ状況になっても、全く違った経験ができる。その繰り返しをしながら、子どもは自分で学べるようになる。

自立していく。

これから先の時代、どうなるかわからない。
僕ら大人たちの知っている世界ではなさそうだ。
そもそも、子どもは親とは別の心をもった人間だ。

お父さんお母さんと同じ「型」に入れられたら、死んでしまう心もある。

ーーーーーーー

大丈夫だ。
思春期というものがある。
余り余ったエネルギーが溢れ出す。
その時に感じる「違和感」と、自分で、一人で向き合えるチカラが育っていない時、子どもは世界と自己を調節できず、親の作った道、親の言葉、親の指示で生きて行くしかなくなるかもしれない。自立できないかもしれない。

もし、人間社会と摩擦が起きないような生き方を「させて」いても、それが子どもの心と摩擦を起こしているかどうか。

心が大事。

ーーーーーーーー

もし、価値観を与える言葉を使うとしたら、こんな言葉がいいのかもしれない。
「世の中、おかしいことだらけだよ。全部気にしてたら、疲れちゃうよ?それはあなたにとって、大切なことなの?」

「違和感」はマイナスのイメージがあるが、こういう語りかけを「イイこと」にも使っていきたい。
しあわせをきちんと味わって、感じて、笑い合う。「どうだった?」「そうだね、楽しかったね」「じゃぁ、次はこうしてみよっか!」

子どもはしあわせを作る「天の才」をもっている。
あそびながらどんどん、しあわせをつくる。
少し、分けてもらったらいい。
簡単なことで、仲間に入れてもらうことだ笑

子どもに聞いてみよう。
「いーれて!」

ダメ?笑

しあわせは育つのではなく、やはり育てるもののようにおもえた。
しあわせを育てる知恵と振る舞いを、僕は「愛」と呼んでいる。

子どもは世界を愛している。
大人たちは?いやぁだって、仕事で忙しいからね笑

ーーーーーーー

何でもかんでも人の心が追いつけない、感じるものも感じられなくなってしまった時代。
大人も子どももブラックな学校や会社で働く時代。

大切なことはなんだろうかと、「ちゃんと」感じてみると、何かが生まれるかもしれない。

欅坂の「アンビバレント」を聴きながら(子どもの「時間」)
「時間」が課題・宿題というバケモノになったら(おとのねさんは、やれ!やれ!と言う人だった)

 

大人のやましい沈黙。子どもの計画的不登校。

オトノネのHP,ブログの記事を書き続けて、いろんな人に出会うことが増えた。
そこで直接お茶のいっぱいをしながら、いろんな話をして、いろんな言葉に、心に出会う機会が増えた。

ありがたいことだ。

それで最近知りあった方(実は元教員)からこんな記事を紹介してもらった。
その方がネットサーフィンをしながら見つけたブログの記事をコピペ。

学校は歴史的に、刑務所と軍隊を混ぜ合わせているということと合間って、興味深かった。
僕自身が、やましくも、先生として学校で沈黙していた気がする。(いや、もう無理やし。学校の病気を一人でなんとかするなんて、無理やし!という学習性無気力

ありがとうございます!

ーーーーー

 日深夜、NHKドキュメンタリーを見た。

この番組は何度も再放送されていて、
僕自身も2度は見ている。

先の戦争で海軍が行った「特攻」に関するもので、
生き残りの元将校たちが「特攻」を検証している。

その中で、「やましい沈黙」という表現があった。

その時の海軍の空気と時節の流れが、
あきらかに間違っているという意見を封じ込めたというものだ。

これは今の時代でもあることだよね。

会社や仲間や家庭でも
「それは間違っている」
「そんなことはすべきじゃない」
なんてとても言えない場合があるもの。

なんとなく「違うなぁ」と思っていても流される。
流されている自分も、
そのことに加担していることを知らない。

気付いた時にはもう遅い。
すっかり自分の手も汚れていた。

なぁ~~んちゃって。
手が汚れることなんて、君たちがするわけないよ。

ただこの「やましい沈黙」には気をつけたい。
言うべきことが言えないような世の中にはしたくない。

現実に今の時代は「やましい沈黙」が溢れている気がする。

君たちをとりまく世界にもないですか?
「やましい沈黙」が。

ーーー

学校で子どもがうまくいっていないとき、お母さんはきちんと話をしてくるといい。
全部。
学校にできることもあるだろう。
できないこともあるだろう。
だって先生は忙しすぎる。
そして学校自体が、統合により大規模になりつつあり、ひとりひとりに対応できなくなる。
(だから学校のしくみそのものを変えるとか、工夫することが大切だとおもうのだが)

僕は心から、学校の先生と話をしてみることができなかった(言ってもなにもかわらないと諦めていた)。
今でも怖い。(雇われている、変なことをいったら次、働けないかもしれないとおもう)

けど昔よりかは、学校の先生の状況や学校のしくみが見えるようになってきたようにおもう。
僕の成長はゆっくりでもいい。

けど子どもは、どんどん成長していく。
無理やり「学校」で頑張らせてしまう以外の道が、もっとたくさんできたらいいなとおもう。
敎育機会確保法

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SNSをみれば、いろんな人の声が聞ける時代になった。
顔を合わせたらできないような話が、インターネットの中では飛び交っている。
喋っている人は喋っている。

これだけみんなが喋っていても、学校の先生は忙しすぎて、耳を傾けられないほど、疲れているのだろう。(もちろん、傾けてくれる先生もいるとは
おもいますが)

心が大事。

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計画的な不登校=デモをして世界の注目を集めさせた子がいる。
表現の自由が、日本にはある。
不自由な自由しか育てられないなら、それはちょつと、何かが足りないと感じはしないだろうか。

グレタ・トゥーンベリさん(スウェーデン)によるCOP24(気候変動枠組条約第24回締約国会議)でのスピーチ(2018年12月12日)

真実を語れない未熟なみなさんが、その負担を子どもに課しているのです

学校も疲れてるしね。疲れてるから語れないんだよ!と考えることもできる。
けどそれで子どもが大人の「未熟さ」の責任を負わなきゃいけない道理はない。

子どもよ賢くあれ。

昔にも、同じようなスピーチがあった。
それでも世界は、またもう一周、回ろうとしている。
少しは違うところを、回っているのかな?

なかなか学校は変わらない。
大人はなかなか動かない。
動かない大人は動かない。
動くか動かないか。
見極めて、賢く、行動してみたら、どうかとおもう。

賢く行動できるように、自分の身を守れるように、いきいきと種を育てられるように、小学校に入るまでを大切にしたい。

不登校は社会問題。燃え尽き症候群と8050問題。いじめ。ひきこもり。

はい。

最近知りました。
家にテレビがないおとのねさんです。

事件があったようですね。

現実ですね。
「うちの子は関係ない!」と思っているお父さんお母さんがいるかもしれません。
けどお子さんが暮らしていく世の中だと思ったら、気持ちも変わるでしょうか。
お子さんに、お子さんが生きていく時代のために、今、時代を生きる知恵をお父さんお母さん自身がつけておくのもいいのではないかとおもいます。

ちなみに今は8050問題と言っていますが、昔はこれが「オウム真理教」だったり「サカキバラ」だったり、名前が変わっているだけで、実態は変わりません。またそのうち忘れられるとおもいますが、あれから何も変わってないなぁとおもうおとのねさんでした。

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簡単に言えば、日本で暮らす人たちは概してみんなひきこもっている。と僕はおもっています。
小学校から高校まではもちろん、高校卒業後、高学歴の人でさえひきこもる(オウム真理教の幹部は超高学歴でしたね)。
それが孤食という言葉に置き換えることもできる。
よくよく思い起こせば、高齢者が自宅で一人で孤独死するということも、ひきこもりだといえる。(みんなひきこもりたくて引きこもっているのではない)

さて、解釈(物語)をはじめましょう・・・・

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今、50才でひきこもり(人間関係がつくれない)をしている人がいるということは、どういうことだろうか?
今50歳の人が20才の時、どんな時代だったか。30年前。

1990年をバブル崩壊としよう。今、2020年だとしよう。ぴったり30年前だ。
20歳まで、バブル時代に育てた価値観をもつ親の影響を受けて育って来た世代だ。

1945年、終戦した年に生まれた人が今、75才。
1956年の経済白書に「もはや戦後ではない」と書かれた時代、三種の神器と呼ばれる家電製品、テレビ・冷蔵庫・洗濯機を夢見て働いていた時代を経て、ボンボンの子が学生時代に車を親の金で買ってもらい乗り回す時代を経てきた。

バブル時代の価値観を「働け。儲けろ。地位を築け。そうしたら幸福が手に入る。」と安直に考えてもいけない気がするが、それでいいとも思えてしまう。

20歳のとき、20年間をバブル時代の価値観で育った人たちが投げ出された世界は、どんな世界だっただろう。
異世界?「8050」の「50」の人がどんな暮らしをしてきたのかわからないが。想像はできる。

親の価値観から自立ができていないのだ。
自分の価値観で自分の生きている世界を見られない。
親から自立していない。

思い描いていた人生が崩れていった時、自分で立て直すことができなかったのだろうか。
親のつくった道を歩くことしかできなかった(そしてその道は失われた)のだろうか。

バブル崩壊から、いろんな社会現象が起きた。
その中で「発達課題」を超えられなかった人がいるということだろうか。

大学時代か、仕事をしている間か、どこかでなにかがおかしくなった。
うん。それでDVとかも増えるのね。

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ここからは学歴の話。

学歴社会の始まりを申すと、明治時代に西洋を習って作られた大学から始まる。
大学で育てられた人がいく道は「官僚」もしくは「先生」、「役人」だ。
技術者ももちろんいただろう。いわゆる公務員。

学歴は「国に雇われる」ために必要だった時代。

そしてバブル時代といえば。逆に民間にいた方が儲かった時代。「なんで公務員になるの?」という時代。

それからバブル崩壊。「公務員っていいよね」となる。

で、いつからかわからないが、おそらく、ここが、ごちゃ混ぜになっている。
おそらくマスコミ、教育産業が台頭しはじめてから?

1955年河合塾、1957年代々木ゼミナール設立。
1956年の経済白書に「もはや戦後ではない」と書かれた時代の幕開けと共に、大手予備校は始まった。

おそらく、新しいテクノロジー、メディアに乗っかって「学歴最高だぜ!」という価値観を広げていたのかもしれないとおもって、河合塾の当時のCMを探して見た。7分11秒あたりからみてみてください。(いつのCMかは、わかりませんでした)

どうですか!
輝いてみえますか!

もう部分的には完全に学歴社会終わっているんだけどねー(実際に今も学歴が大切な採用基準であることは別の記事でも書いた。合理的にね。)
幻想はいつまでも抱き続けられる。

現在、高学歴”だからといって”いい会社に入れるわけでもないし、入れたとしても仕事ができない、人間関係ができなくてやめることになるかもしれない。不確定な時代だということしか、確かなことがない。ようこそ、量子力学の世界へ

富山中部高校にいっても、少なくとも3割の生徒は富山南高校と同じレベルの大学へ行く。学歴社会が高校時代から始まっているとしたら、その結果は、すでに大学受験でみえている。学歴社会ではないことが証明されているといってもいい。

一体「学歴社会」って何なの?
はっきりと説明できるひとがどれだけいるだろうか。

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日本はメディアがよく「幻想」を作り出す。8050問題も「幻想」かもしれない。
景気も「幻想」かもしれない。何しろ、不確定な時代だ。

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マスコミの影響を受け「景気がよい・わるい」で一喜一憂している世代と違い、もう今を生きる子供たちは、景気など知らん顔で暮らしているようにおもうし、実際もう(バブル時代がよかったというなら)好転しようがないほど日本はもう、戦後を離れた。経済の仕組みも変わった。

しかし町ぐるみで、いまだにそれを夢見ている人たちがいる。
同じ夢をみれない、みたくない人も「みんな一緒に!」するのはどうかとおもう。

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1975年から出生数は継続して下がっている。
日本をアメリカに売るためのプログラミング教育と小学英語教育じゃないの????

謎なことがたくさんありすぎて、不安定すぎて、もう頭が混乱する。
日本は、基本、不安な国だ。
そして不安に対する対処法が、引きこもりかもしれない。日本人のあるべき姿なのかもしれない。(だからこそアニメや漫画が発達した?)
そう考えれば、ひきこもりなど、8050問題など、新しいビジネスをつくろうとする人たちの目論見の一つなのだろう。
くらいに軽い気持ちでとらえられないだろうか。「お子さんの登下校、専属の警備員が守ります!」とか

そう考えることもできる。

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そうそう。今日たまたま県議会に行くことがあって、パンフレットの中に謎の表現があることを発見。
「県議会の仕組み」→「常任委員会」→「教育警務委員会」→「教育委員会、公安委員会の書簡に関する事項を調査・審議します」

いやいや、なんでその2つが一緒になってるのよ。
ああそうか。学校のモデルがもともと刑務所と軍隊だからか。軍隊も警察も繋がっているからね。学校ってそういう場所です。歴史的に。

これから通学路に警官が配置される時代になるかもしれないね。
あ、国にはお金がないね。無理だね。やっぱりお金を出して護衛してもらうんですね。
「お子さんの登下校、専属の警備員が守ります!」

歴史、大切。

みんな、歴史を背負っている。
学校の先生は悪くないよ!しょうがないんだよ!

だから助けてくれる別の人が、学校の外にいたらいい。
と、オトノネは考えています。

燃え尽き症候群は自己欺瞞が原因の学習性無気力?社会的不登校の一面

私たちの大多数は、心臓発作や自殺にいたるほど働きすぎたりはしない。いや、違う。私たちはただ、ひどく惨めでも状態を受けいれてしまうのだろう。この問題はふつう、「燃え尽き症候群」と呼ばれる。だが 興味深いのは、心理学者たちが、燃え尽き症候群はただ過剰なストレスによるものではなく、ありきたりな臨床的うつ病だと気がついたことだ。『燃え尽き症候群とうつ病の比較症候学』と題した論文には、「この度の調査結果は、燃え尽き症候群とうつ病が別の疾患であるという仮説を裏づけるものではなかった」と記されている。

誰でもストレスを経験するが、大半の人は休みを取れば回復する。こ の分野で指導的な研究者で心理学者のクリスティーナ・マスラックは、 本当の燃え尽き症候群は、自分に適していない職業に就いたときに起こると言う。 

仕事に夢中な人間は、人間関係を壊し、物理的な極度の疲労から死ぬ可能性はあるが、一般の労働者のように燃え尽き症候群にならないのはそのためだ。研究者のキャリー・チャーニスとデビッド・クランツは、「従業員が自分の職務を単なる仕事ではなく天職ととらえる、男子修道会やモンテッソーリ学校、宗教関係の施設などでは、事実上燃え尽き症候群が見られない」ことを発見した。 

しかし、果たすべき役割が自分に合っていないとき、負担が重すぎるとき、あるいは職務が自分の期待や価値観と一致しないとき、あなたに及ぶ悪影響は、ストレスの問題だけではなくなる。恐いのは、ものの見方が変わってしまうことだ。いくら努力しても自分が進歩しないと感じ、やる気を失い、ついには疑り深くなり、悲観的になる。

つまり、燃え尽き症候群はグリット(やり抜く力)の裏返しである。 海軍特殊部隊シールズやマーティン・セリグマンの実験について紹介したとき、楽観主義が回復力につながることを見てきた。それと対照的に、自分の職に対する悲観的な態度は、燃え尽き症候群につながるのだ。「どうにもならないし、私の手には負えない。いつまでたっても状況が良くならない」と。

困難に耐え抜けばいいじゃないか、と思うかもしれないが、悲観的な心理状態にある人にとって、成功を成し遂げるのは非常に難しい。 職業評価等に関する研究結果を紹介する『ジャーナル・オブ・キャリ ア・アセスメント』誌に掲載されたジュリア・ベームとソニア・リュボ ミルスキーによる研究によれば、楽天主義があなたを前進し続けさせて くれるとすれば、燃え尽き症候群は悲観的な下方スパイラルにあなたを陥らせる。そうなると、何をやっても無駄に思え、職務をまっとうするのが難しくなる。そしてしまいには、気づかぬうちに過労死を望むようになるかもしれない。

こんな状況を打破するにはどうしたらいいか? 給与が大幅に上がれ ば、辛抱するだけの価値があるという意見も多いが、それは間違っている。『仕事の主観的成功と客観的成功の相互関係は経時的にどのように 変化するか』と題した論文によると、給与は仕事の満足度を高めないという。賃金が増えたからと言って、職務が自分に合うようになるわけではない。すなわち、燃え尽き症候群を減らす可能性もない。もしも自分に合わない職業で働きすぎているなら、転職を考えるときかもしれない。

もしあなたが夢中になれる仕事でキャリアを追求しているなら、解決策は意外なものではない。すなわち、あなたはもっと人とのつながりに時間を費やすべきだ。米国医師会が第一線で活躍する医師を対象に、燃 え尽き症候群をどのように回避しているか調査したところ、多かった回 答の一つは「家族や友人と問題を共有すること」だった。

要するに人には限界があり、バランスの取れた豊かな人生を築くには、自分に合ったキャリアに加え、支えになってくれる最愛の人びとが 欠かせない。成功を極めるには、常軌を逸したような仕事ぶりが必要かもしれないが、それではバランスの取れた充実した人生を送れないのだ。

このことは、また別の問題を提起する。もし私たちが成功を望みながらも、友人や家族との絆を大切にしたくて、うつ病や燃え尽き症候群に もなりたくないとすれば、本当はほどほどに仕事するほうが、豊かな人生につながるのだろうか? 遊び心を持ち、人生を楽しみながら成功す ることは可能だろうか? あるいは、それは夢物語だろうか?

小学生・中学生の不登校・ひきこもり Q&A

Q 「どうして行きたくないの?」と聞いても「理由ない」と答えます。

A 自分でもその理由がわからないくらい混乱している状態、もしくは自分の状態を説明する経験や語彙がない、という可能性があります。「理由」が説明できなくとも、「心」はきちんと働いています。もしかしたら、理由をいったら、説得されてまた心が傷つけられることを恐れているのかもしれません

Q 本人は「学校に行きたい」「抜け出したい」と言っています。

A 学校に行く、ということは、不登校というプロセスの結果の一つにしかすぎません。もしかしたら、学校以外のもっとワクワクする場所が見つかるかもしれません。自分の「命」を大切にするということを学んで、学校以外の場所で学び始めるかもしれません。

そうしたお子さんの「心」や「命」の成長を、一緒に手伝っていきませんか。

Q 学校は休むがバイトに行きます。

A  いいんじゃないですか?ダメですか?学校は暴力の塊で「心」が疲れますが、バイト先では自分が成長できる、挑戦できる、とお子さんが判断したのです。

Q 昼夜逆転しています。部屋から出て来ません。

A 休みたいのです。「心」を落ち着かせる、「体」が元気になる、ということは「命」にとって大切な、自然な営みです。周りの刺激を処理しきれない、混乱しているお子さんの心を感じられれば、とくに心配することもないとおもいます。ちなみに僕も昼夜逆転をよくします。

Q ずっと読書をしています。

A いいんじゃないですか?ダメですか?

Q ずっと寝てるのはダメですか?

A いいんじゃないですか?ダメですか?笑眠ることは大切なことです。心も体も回復して、命が元気になりますよ。

Q 疲れました。

オトノネに相談してください。子供も疲れています。

 

学校の教師の人間性の低さが子どもたちの人間性を、豊かさを奪っているとオトノネでは考えています。 アニメ、音楽、子どもたちが発信し、共感する文化をみれば大人でも感じることができるでしょうか。 動画のコメントに注目です。 このたかやんという人のコメント欄は共感を求めている人のコミュニティーになっているようです。

 

Q ずっとゲームしています。ネット依存でしょうか。

A いいんじゃないですか?ダメですか?時代が変わりました。

Q スマホ解約するのはよいことでしょうか。

A お子さんの状態によります。スマホもゲームもお子さんにとっては「環境」の一部です。スマホ解約することは、親と子の関係を表しています。親の気持ちがコドモに伝わっているでしょうか?コドモの気持ちをオトナは理解しているでしょうか?

Q 不登校は適応障害・精神障害ですか?

A ちがいます。不登校は「メッセージ」です。

Q 不登校を繰り返すのはなぜでしょうか?

A 「定期テスト対策」をしているからです。「心」や「命」を感じてください。「休まないと学校に行けない」くらい「心」がヒーヒーいっているのです。守ってあげてください。休ませてあげてください。

Q ご飯を食べないのはよいのですか?

A 死なないので安心してください。ただ、食生活と「心」が強く関係している場合があります。これも遺伝レベルの話で、いろいろなケースがあります。「食べる時期」「食べられない時期」があったり、「命に関わる」場合もあります。

これもお子さんによって違います。相談してください。

Q 不登校は家庭環境が影響しますか?

A もちろんします。ですが学校も影響するし、友達も影響します。ありとあらゆるものが影響しています。「誰かが悪い」のではありません。でも、「私は無関係」ではありません笑

Q 頭がいい、優等生でも不登校になりますか?

A なります。IQとEQは関係ありますが、相関はしていません。

Q 接し方、声かけの仕方、具体的な対応がわかりません。

A オトノネで学んでください。対応の仕方が問題なのでしょうか?「定期テスト対策」「ハウツー」ではなく、「心」の問題です。心が大事です。

Q 不登校になったのは、親が毒親のせいですか?

A 原因の一つとして考えられます。ですが、毒親でも人によっては「心」のしくみがはたらいて不登校にならないケースもあります。家庭環境は子供の環境の一部です。

Q 不登校とHSCは関係がありますか?

A 敏感な子は学校という暴力に耐えられないかもしれません。敏感さから身を守る「心」の仕組みをつくれるかどうかです。

学校で辛い思いをするのは、創造的な、意欲ある、自発的なお子さん、大人の言葉や態度に敏感な子が多いように思います。それでも「そんなものか」といって通い続ける子どももいます。学校は(お子さんによっては)ツライ場所です。子どもたちが学ぶチカラを伸ばすことがしにくい場所です(お子さんによっては)。お子さんたちは(お子さんによっては)、「あそこでは、自分は学べない」と判断しているのです。学校に行かないのは、おかしいですか?間違っていることですか?学校に行かないというのは子どもの真っ当な主張です。その子の主体性、自発性を受け止めて、お父さんお母さんは、どう応えてあげますか?「出席日数が足りなくなるから学校に来てください」は嘘です。学校という暴力からお子さんの心を守ることが大切です。

Q 学校で人間関係を学ぶことは大切ではないですか。

A 人間関係を学ぶことは大切です。

ですが、「もう学べません」ということがコドモのメッセージです。

Q 学歴が不安です。

A 学歴社会について学ぶことは大切です。これからコドモたちが暮らして行く、作って行く社会とはどんな世界なのか。

 

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