オキシトシンとは何か。

オキシトシンの生態

経済は「競争」では繁栄しない

痛みを和らげるオキシトシンは性行為をしても出てくる:自慰

オキシトシンは化学伝達物 質で、数年前から私はこれを研究している。オキシトシンは女性の生殖ホルモンとしてよく知られて いて、結婚式での誓いやシャンパンよりも、ひと昔前ならその9か月後に起こることの多かった出来 事―つまり、分娩――と結びつけられるのが普通だ。分娩のときに子宮筋の収縮を制御するのがオ キシトシンで、その合成薬ピトシンを陣痛促進のために医師が妊婦に注入するので、出産時にこの物 質に出会う女性がかなりいる。授乳中、母親が赤ん坊に一心に注ぐ穏やかな注意をもたらすのもオキ シトシンだ。その一方で、結婚初夜にもたっぷり見られる(ことを願いたい)。セックスや愛撫はも とより、ハグのあいだにさえ男女がともに感じる至福の温もりを生み出すのを助けるからだ。 (『経済は「競争」では繁栄しない』ポール・J・ザック p.13)

実験再開のために会場の中を戻っていくとき、ある学生のコンピューター画面に際どい画像が映っているのに気づいた。本物のポルノではないが、かなり猥褻なビデオを映す音楽サイトだった。実験 室外からの影響を受けているのが心配だったので、その学生が採血に行ったときにコードナンバーを 書きとめておき、あとで調べてみると、案の定、彼のオキシトシン・レベルはやたらに高かった。なにしろ生殖ホルモンなのだから。あの手の「外部刺激」を受けていた以上、彼のデータは除外せざる をえなかった。 (『経済は「競争」では繁栄しない』ポール・J・ザック p.42)

私は我慢の限度までオキシトシンを摂取しては、妻のオフィスで腰を落ち着け、静かに電子メール で仕事をしながら経過を見守った。30分おきぐらいに妻がやってきて、私の背中をさすって意識があ ることを確かめ、「どう、具合は?」と声をかけてくれた。するとそのたびにいつも、私の体のとあ る部分が立って挨拶するのだった。 「整理用メモ――今後の注入実験では、男性の被験者には、無害だがばつの悪い思いをしかねない副 作用の警告をすること」 (『経済は「競争」では繁栄しない』ポール・J・ザック p.79)

オキシトシンは「すばやい」「出産」の意味。出し続けなければぱっと出てぱっと消える。

そこからさらに二つのことが見てとれた。 まず、向社会的行動はセックスアピールであるということ。事実、贈り物(気前よさのディスプレ ィ)は、あらゆる人間社会と多くの動物社会における求愛行動の第一だ。自分本位で利己的な配偶者 を望む者などいるだろうか?

第二に、人間は配偶者候補を感心させようと必死に嘘をつくということ。とはいえ、人間は嘘つき を見破るのが恐ろしくうまい。詐欺師がカモと束の間出会うのとは違い、自分は信頼できるという主 張を長期にわたって信用してもらうためには、ほんとうに信頼できる人間でいなくてはならない。だ から自然がロシアの古い格言「信用し、確かめよ」と相性がいいのは理にかなっている。

オキシトシンは、そのような微妙なバランスをとるのを可能にする、反応のすばやい分子だ。適切 な刺激が与えられれば相手を信頼して絆を形成するが、その刺激が消えてしまえば、慎重な状態にさ っさと戻る(『経済は「競争」では繁栄しない』ポール・J・ザック p.60)

オキシトシンは「闘争(食う)」「逃走」以外の関係を生物に生み出した。

先ほど取りあげた太古の海を見てみよう。あらゆる動物が水の中で暮らしていたころ、おもなスト レスホルモンは闘争・逃走反応を促す化学物質だった。「バソトシン」と呼ばれるこのホルモンは、 9個のアミノ酸でできている。ある日、9個のアミノ酸のうち2個がまったく偶然に入れ替わった魚 が生まれた。アミノ酸2個分の違いがあるこの新しいタンパク質(今では「イソトシン」と呼ばれて いる)は、ストレス、つまり闘争・逃走反応と正反対の効果をもたらした。この新しい分子は一時的 に不安を減らしたのだ。そのおかげで魚たちは緊張が解け、ほかの魚との出会いをあまり恐れなくな り、交尾がしやすくなり、よい結果につながった。

これこそ、この突然変異のタンパク質が長く残り、急速に広まり、やがて魚の体内の化学作用の標 準的な特徴となっていった理由だ。イソトシンのおかげで、近づくか離れるかという昔ながらの決ま

りきった行動様式の幅が広がり、互いに接近するという行動も含まれるようになった。また、イソト シンは、闘争・逃走反応以外の非常に重要な選択肢をもう一つ加えた。いわゆる「いちゃつき」、す なわち生殖行動だ。 「何億年もかけてさらに何百万回もの突然変異が繰り返されるなか、イソトシンとバソトシンは進化 しつづけ、自然は偶然に頼る方法で、生命をより高等な姿に変え、ついにはあなたや私が誕生した。 この間にイソトシンの一種がオキシトシンに変わった。バソトシンは「アルギニンバソプレシン」と なり、オキシトシンとともに作用することで主要な小型ロケットエンジンの1ペアとして今もその役 割を果たし、私たちの生殖行動(と道徳的な行動)を導いている。 (『経済は「競争」では繁栄しない』ポール・J・ザック p.66)

オキシトシンは、共生する

ところでオキシトシンは、痛みや恐れを和らげる脳のシステムも活性化する。哺乳類の交尾はかな り荒っぽい場合があるので、痛みに対する動物の感度、とくにメスの感度を下げるオキシトシンの効 力は、「甘い生活」に役立っている。だからこそオキシトシンを作る遺伝子が、自然選択というレー ス―生殖を行うまで生きられる子孫をどれだけ作るかで競われる一大コンテストーで勝利を収め ることになったのだ。

交尾ではリスクを引き受けることも必要になるので、オキシトシンは未知の相手への恐れも含めた 心理的ストレスに対する感度を下げるという、さらなる利点を提供してくれる。実験室でオキシトシ ンを注入された動物は、注入されていない同種の動物よりかなり慎重さに欠け、好奇心が強くなる。 プレーリーハタネズミのオスか、何らかの哺乳類のメスを何匹か集めてオキシトシンで刺激すると、 彼らはたちまち探りあい、交ざりあい、盛んなコミュニケーションを見せる。攻撃性が薄れる一方、 仲間への親密さが増し、食べ物の分配といった協力行動が多くなる。

一雌一雄の種では、交尾のあいだに分泌されるオキシトシンによって一生の絆が生まれる。もっと もオス側にしてみれば、一生一雄関係には自分にとってかけがえのないメスのそばにいたがること以 上の意味がある。そうした関係を保つというのは、自分のメスに惹かれるほかのオスがいればいつでも撃退するということだ。だから一雌一雄の哺乳類のオスが交尾するときには、脳はオキシトシンと いう「抱擁」分子だけでなく、それと同類の「バソプレシン」という、魚類のストレスホルモンに由 来する化学物質も分泌する。そして闘争・逃走反応の持つ保護と防御の側面が、つがいのメスはもち ろん子どもも対象にした防衛行動を伴う、「親密さ」の一部になったのだ。

というわけで、交尾のときだろうと、巣穴で仲間と出会うときだろうと、パパが膝の上で息子の体 を弾ませているときだろうと、みんなを向社会的になるように仕向けているのは、オキシトシンとそ のパートナーのさまざまな化学物質なのだ。 「人間の場合、情動や社会的な行動と結びついている脳の領域(すなわち扁桃体、視床下部、膝下野、 嗅球)には、オキシトシン受容体がびっしり並んでいる。とはいえ、オキシトシンの影響は体全体に 及び、とくにこのホルモンが心臓や迷走神経の受容体に結びつくと、それにより心臓や消化管が刺激 され、不安が和らぎ、血圧が下がり、頬にはセックスに伴うようなほんのりした赤みがさす。 

だが、さらに大きな化学物質の連鎖反応も起こっている。ポジティブな社会的刺激によってオキシ トシンの分泌が促されると、今度はこのモラル分子によって、快感を生じさせるほかの二つの神経伝 達物質「ドーパミン」と「セロトニン」の分泌が誘発される。セロトニンには、不安を減らして気分 をよくする効果がある。ドーパミンは目標志向行動や衝動、強化学習にかかわっている。ドーパミン によって、生物は報酬が得られることを求めるように動機づけられ、そういう行動を続けることが快 感になるのだ。(『経済は「競争」では繁栄しない』ポール・J・ザック p.73)

マッサージでもオキシトシンは出る。

幸い、得られたデータは、オキシトシンの分泌が信頼によって促されたときに見られたものと見事 に合致した。マッサージを受けた人のオキシトシン・レベルは、平均で9パーセント上昇した。だが、

ほんとうの大当たりはプレイヤーBだった。マッサージをしてもらったあと、プレイヤーAから送金 を受け、それを信頼の絆と受け止めた人たちだ。このグループ(マッサージ +信頼)では、返礼しよ うとする意欲がなんと243パーセントも上昇したのだ! 一体と体の温かいふれあい(それが歓迎され、適切なものであるとき)は、社会的絆と結びつくと、 気前のいい、向社会的な行動を促すという点で重要なきっかけになることが判明した。(『経済は「競争」では繁栄しない』ポール・J・ザック p.88)

会話するだけでも、出る????

人間は家族や親しい友人と出会ったり別れたりするときにハグするし、気遣う相手が動揺している ときには背中を撫でてやるものだ。だが、落ち着きを保って協力するための社会的行動として類人猿 のグルーミングにいちばんよく似ているのは、会話だろう。原始的な社会を研究する人類学者は、こ

うした社会の人々が漫然と話を交わしながらどれほど長い時間を過ごし、その話は誰が誰と寝ている かについてであることがどれほど多いかに驚く。文化を保つために伝えていかなければならない神話 や伝説ももちろんあるが、隣人たちについてのこまごまとした好色な話が好まれるようだ。

もっとも、このようなたわいもないおしゃべりは、ただのたわいもないおしゃべりにとどまらない。 会話、とくに社会的な内容が豊富な会話は、信頼を育み、言葉によるマッサージや聴覚的なグルーミ ングの効果をあげ、オキシトシンを分泌させる。また、集団の生活にかかわる重大な情報を提供する。 どんな提携関係が新たに成立しかけているのか?誰なら信頼できて行動を共にしても大丈夫で、誰 が相手に悲痛な思いをさせる(そして、子どもを放棄する)人間なのか? 今日、どの自動車整備士 が素晴らしい腕を持っているか、どの店がいりもしない新品のスターターを売りつけるかといった疑 問に、同じ原理が当てはまる。

ゴシップの習慣は人間にしっかり根づいているので、メディアの時代である今、私たちは、くだら ないテレビのリアリティ 番組の登場人物にまつわる些細な事柄や、ハリウッドでの最新のカムバック や離婚についてのニュ スを伝える一大産業を築きあげた。そして、この種の情報を共有する(そ て、それは自分自身の個人的秘密を明かすことにしばしばつながる)のにいちばんふさわしい場所は どこか? それは、信頼と身体的接触(とグルーミング)がオキシトシンの豊富な環境を生み出す場 所、すなわち、美容院や理髪店、ロッカールーム、ヨガ教室などだ。 (『経済は「競争」では繁栄しない』ポール・J・ザック p.116)

真似をしても、オキシトシンはでる??

カウンセラーは、クライアントの姿勢を真似ると、そのときのカウンセリングをクライアントが高 く評価することが多いのを知っている。身体的な人真似がたくさん見られるクラスは、学生自身も互 いの親密さを高く評価するという観察結果がある。真似された人は、たとえ意識的にそれに気づいて いなくても、真似をした人に対して好意的な印象をあとで報告したという実験もある。というわけで、 上司や地元の名士、恋心をかき立てられる人といて、親しくなりたいという気持ちがあるときには、 行動の真似が増える。

他者を真似する傾向が余計な共感を生み出すこともある。ある実験で、ペアを組んだ人を意識的に 真似しないように指示された被験者は、ずっとうまく嘘つきを見つけられた。 (『経済は「競争」では繁栄しない』ポール・J・ザック p.113)

オキシトシンが行動を変える

オキシトシンを使う生き方。オキシトシンを使わない生き方。

プレーリーハタネズミと近縁種のアメリカハタネズミは違いを研究するには打ってつけの対象だ。 ただし、どちらも似たような地下の巣穴に棲み、似たような食べ物(ほとんどは草)を食べ、似たよ うな捕食者がいて、遺伝的に共通の祖先を持つ。実際、この2種のメスはほとんど同じ行動をする。 行動が正反対なのはオスだ。

プレーリーハタネズミ(学名 ミクロッス・オクロガステル)のオスは信頼できる。社会集団の中 で平和に暮らし、同じメスと仲よく添い遂げ、子どもの世話にかなりの時間を費やす。 一方、アメリカハタネズミ(学名 ミクロツス・ペンシルバニクス)のオスは単独行動を好むプレイボーイで、ご近所とは仲が悪く、メスと見れば誘惑し、可能ならすぐに次の相手に乗り換え、子どものことなどおかまいなしだ。

コート・ペダーセンという精神医学者はすでに、オキシトシンの分泌が実験動物の母性行動を引き 出すことを明らかにしていた。科学者が研究によく使うシロネズミ種の、交尾経験のないメスは、同 種の子どもに出会うと攻撃するか無視する。体内でオキシトシンの適切な分泌がなければ、母性本能 などというものも生まれないからだ。ところが、警戒心の強いこうしたメスにまずエストロゲンとい う発情ホルモンを与えておいてからオキシトシンの注射を打つと、たまたま近くにいる子どもでもせ っせと世話をしはじめる。母性本能が猛然と働き出すのだ。母性の権化となったシロネズミは、子ど もに乳を飲ませ、体を舐めたりグルーミングをしたりし、ほんとうの母親からさえ守ろうとする。

こうしたシロネズミが母親になり、自然な経過をたどって適切な化学物質が生じはじめると、延々 と子育てをする。オキシトシンが働くと、苦痛を感じることも気が散ることも減り、研究者が騒音や 光で苛立たせようとしても、母親の務めを果たしつづける。だがそういう母親にオキシトシンの作用 を阻害する薬を与えると、自分の子どもでもまったく顧みずに死なせてしまう。悲しいことに、これ と同じ現象が人間にも見られる。コカインを吸う母親や、ひどい虐待を受けているため、ストレスホ ルモンによってオキシト シンの働きが妨げられている女性の場合がそうだ。 ・スー・カーターの研究はオキシトシンと生殖行動との関連を取りあげ、それを社会的な行動全般に まで広げたので、そうとう物議を醸した。彼女は、脳の「報酬」領域に並ぶオキシトシン受容体の数 で、プレーリーハタネズミのオスが一生群れで暮らし、一雌一雄制を守る理由や、近縁種のアメリカハタネズミのオスが群れを嫌い、メスに不誠実な理由を説明できることを明らかにした。

脳の報酬領域は、個体が快いものに遭遇すると活性化する。それが食べ物や交尾、コカインであっ ても、また(人間の場合は)ラジオのトーク番組で、誰かがたまたま自分と同じ思いをとうとうと語 るのを耳にすることであっても活性化は起こる。プレーリーハタネズミのオスは、なじみのメスと暮 らすことでオキシトシンの分泌が促される。それが報酬領域で効果を発揮し、快感を生じさせるほか の化学物質も分泌されてその行動が強化され、オスは身を落ち着けるようになる。彼らが自分の子ど もに会っても、これと同じ、快感を生じさせる化学物質の連鎖反応が起こる。つまり脳が報酬を与え、 家庭的な性質と父親らしい性質の両方を余すところなく強化するということだ。  ソファーで妻子と身を寄せあう人間のよきパパのように、プレーリーハタネズミのオスも自分の妻 子と過ごすことでおおいに快感を得る。そして近所の金物屋でもVFW(海外戦争復員兵協会)ホー ルでも誰とでも仲よくできる男性のように、このプレーリーハタネズミのオスが出かけてほかの巣穴 に入るときはいつも、脅威を覚えるのではなく仲間に会えるという心地よい幸福感を得る。そのため、 プレーリーハタネズミのコミュニティには非常に和やかな雰囲気が生まれ、人間の言葉で言えば「市 民道徳」が満ちあふれる。 

これとは対照的に、アメリカハタネズミにはオキシトシン受容体が不足していて、こうした社会的 刺激のどれに誘発される快感シグナルであれ、うまく捉えられない。そのせいでアメリカハタネズミ は、派手なトランザム車に乗り、過去に捨てた女の子は山ほどいてもほんとうの友人はいないプレイ ボーイか、独り暮らしで、自分の家の芝生に足を踏み入れる者がいれば誰であろうと容赦なく撃つぞと脅す近所の変わり者のようになる。 (『経済は「競争」では繁栄しない』ポール・J・ザック p.70)

オキシトシンは、相手を信頼する。寛大になる。

チューリッヒで私たちは100人の被験者に、脳に直接オキシトシンを届けられる高濃度点鼻スプ レーでシントシノンを吸入させた。それと同数の人に、不活性の溶液(偽薬)を吸入させて、比較の ための対照群とした。シントシノンとプラシーボはどちらもこれといった感覚を引き起こさないので、 自分がどちらを吸入したかは誰も知らなかった。

次に、全員に信頼ゲームをさせた。幸い、心臓発作も不本意な勃起絡みの不祥事も起こらなかった。 はっきりしたプラス面としては、オキシトシンを吸入した被験者群は、プラシーボを吸入した対照群 よりも、7パーセント多くのお金をパートナーに与えたことが挙げられる。

さらに劇的だったのは、オキシトシンを吸入していたプレイヤーAの半数が、急に人をとても信頼 しやすくなったので、プレイヤーBに全額を送金したことだ。これは、プラシーボを吸入した人のう ち相手を信頼して全額を送金した人の2倍以上だった。 (『経済は「競争」では繁栄しない』ポール・J・ザック p.81)

類人猿も人間も、オキシトシン。

類人猿のあいだでは、落ち着きを保って協力するための主要な儀式はお互いの毛繕いだが、これは ダニを捕るだけの行為ではない。指で柔毛を梳くことでオキシトシンが分泌され、神経が静まり、心 拍数が減り、血圧が正常範囲内で下がる。類人猿はこのように互いにマッサージして1日の約0パー セントを過ごす。全員を落ち着いた状態に保ち、協力させることが、生存にとって決定的に重要だからだ。

グルーミングは恩恵を施すもっとも手軽な方法でもあり、類人猿でさえ、社会的な脳が十分発達し ているため、誰が恩恵を受けるばかりで誰が返礼をするのか、きちんと記憶している。午前中にグル ーミングをたくさんしあった個体は、午後、食べ物を分けあう可能性が高いことが研究からわかっている。 

チンパンジーの(そして私たちの)類縁種であるボノボ(彼らは群れをヒッピーのコミューンのよ うに運営する)が、落ち着きを保って協力するために発達させた、もっと過激な習慣は、悪い雰囲気 になったときにセックスを使ってそれを和ませるというものだ。メスは典型的な挨拶としてオーラル セックスをする。一方、オスは木の枝からぶらさがりながら、剣を交えるようにペニスをこすりあう。 そして、ボノボの子どもたちは夢中になって真似をする。サル真似ならぬボノボ真似だ。そのおかげ で、群れの全員がオキシトシンに浸りきる。つまりこれは、ボノボの社会がこれ以上考えられないほ ど平和で協力的であることを意味する。唯一の問題は、ボノボが過去700万年間にほとんど何 歩も遂げなかった点だ。

とはいえ、もっと攻撃的で競争心旺盛なチンパンジーたちにしても同じことだ。熱帯多雨林から抜 け出したのは彼らの類縁種、つまり私たちで、人間は健全な競争と高度な協力のあいだのスイートス ポットを見つけ、攻撃的なテストステロンと穏健なオキシトシンのせめぎあいのバランスをうまく れるようになったのだ。オキシトシンはドーパミンとセロトニンの分泌を促し、私がHOMEと呼ん でいる動機づけの経路を生み出した。あまり強引になりすぎるな。あまり腹を立てるな。もらうばか りではなく与えよ。こうして「善循環」が徳を獲得する。 (『経済は「競争」では繁栄しない』ポール・J・ザック p.116)

オキシトシンは「共感」を促す。

私が指導していた大学院生の一人、ホルヘ・バラッザが、テネシー州メンフィスのセント・ジュー ド小児研究病院が制作した5分間の募金ビデオを使ってこうした疑問を調べる方法を提案してくれた。 その第1段階として、このビデオをそれぞれ100秒の、まったく違う内容のクリップに編集した。

Aバージョンでは、父親と幼い息子が動物園で楽しいときを過ごしている様子が見られる。よちよ ち歩きの息子と父親が手をつなぎ、キリンを眺め、笑ったり話したりする。その子の頭には毛が生え ていないのに気づく人もいるかもしれないが、それを除けば、空はあくまで晴れわたり、じつに幸せ そうな子ども時代のひとコマという感じだ。

それとは対照的に、Bバージョンは深刻だ。私はもう何度となく見たが、講義で使うたびに今でも 涙が湧いてくる。このクリップは、アルファベットの積み木が並んだ『BEN’S STORY(ベンの物 語)』というタイトルで始まる。サウンドトラックからは、子ども部屋から聞こえてくる音楽が流れ カメラは積み木を離れて、髪の毛のないかわいい幼子の肖像を映し出す。それから、父親が南部訛り の優しい声で語るのが聞こえる。「息子は脳腫瘍で……」

見る人はその後100秒にわたって、父親の苦しみを次々に味わうことになる。病院の廊下や治療 室が映り、化学療法や生存率の話が語られ、幼いベンが4度の脳手術のあと、体のバランスをとる練 習をするセラピーを受けている様子も紹介される。もっとも心を揺さぶられるのは、父親がカメラを真っ向から見詰め、息子が癌で死んでいくとわかっている自分の胸中を吐露する場面だ。甘美な音楽 が流れるなか、父親は息子との絆について語り、涙をこらえ、そして言う。「わかってもらえないで しょうね。あとどれほどわずかな時間しか残されていないかを知っているというのが、どんな気持ち か」

この感極まる場面が引き起こすだろう感情を調べるために、145人の被験者を募り、採血して基 準値を確認してから二つのグループに分けた。一方のグループには情動的にニュートラルなAバージ ョンを見てもらった。もう一方のグループには、涙を誘うように編集したBバージョンを見せた。そ の直後に、全員ふたたび採血した。

ニュートラルなバージョンを見た被験者は、なんと、オキシトシン・レベルが20パーセント下がっ た。シナリオライター志望者へ注意。父親と息子が何の人間ドラマもないままに動物園にいるところ を1分半見ていたら、まあ……退屈しかねない。それで、どうやら最初のグループの人は興味を失っ たようだ。だが、病気について胸の痛むような詳細が描かれたクリップを見た人たちは、オキシトシ ンのレベルが基準値から47パーセントも上がった。目を疑うばかりだ。あの5歳児が溺れ死にするの ではないかと思ったプールでの体験の前後に血液を採取できていたら、と願いたくなるほどだった。

明らかに、私たちはオキシトシンの分泌を促す、劇的な刺激を見つけたのだ。

(略)

映画の中でクリント・イーストウッド演じる登場人物が、愛着を抱いた赤の他人に対して信じられ ないほど気前のいいことをするのを目にしたときに私が心を動かされたのとちょうど同じように、私 たちの脳は、困った人が画面に映し出されるのを目にしたときにも、困った人を現に目前にしたとき と同じ反応を示す。だから私たちは名画や名曲、素晴らしい芸術作品に感動するのだ。こうした人間 の創意の産物は、オキシトシンを分泌させて、私たちを全人類 同胞と結びつける。これこそ、私たち が社会的生き物としてもっとも望んでいることなのだ。 (『経済は「競争」では繁栄しない』ポール・J・ザック p.94)

共感が厄介なのは、その効果がすべてずっと微妙な点にある。また、ほかの要因がいくつか重なる 必要がある。

乳房の組織でオキシトシンが分泌されるとどうなるかはすでに述べた。母乳の排出が促されるとと もに、特有の温かく愛情にあふれた経験が始まる。この根本的で物質的な反応さえもが、接触やワイ ヤーやケーブルなしで、距離を置いて起こりうる。母親が赤ん坊を目にしたり、その匂いを嗅いだ するたびに、あるいは、泣き声を耳にしただけでも、オキシトシンが分泌されて母乳の排出を促し、 物の見方が温かく母性愛に満ちたものに変わりうる。とはいえ、この情動的な反応はオキシトシンが 確立した一種の「細胞記憶」(「あれが私の赤ちゃんの匂いだ」)に基づいている。オキシトシンを生 み出す能力を持たずに子を産んだ動物は、永続的な社会的健忘症に陥る。

人間の共感は、そのような細胞レベルの連想を必要とする。私たちは信頼、苦悩、あるいは思いや りの光景や音声がきっかけとなって記憶が蘇り、ごく初期の他者との関係に立ち帰ることがある。そ うした記憶がオキシトシンの分泌を促し、それが最終的には細胞と化学物質と脳構造のレベルで、私 たちが共感として識別する感覚を生み出す。 (『経済は「競争」では繁栄しない』ポール・J・ザック p.100)

目の前で起きていることは、自分がされたことのように感じる共感能力

シカゴ大学の神経科学者ジーン・ディセティは、痛みの知覚を調べる数々の研究を行い、共感の一 側面の解明に貢献した。彼は被験者に写真を2枚ずつ見せながら、機能的磁気共鳴画像法(fMR I)で脳をスキャンした。写真の一方には何かありきたりの場面、もう一方には苦痛を示唆する場面 が写っている。たとえば、手にした剪定鋏で枝を切っている写真と、やはり手と剪定鋏が写っている が、今度は、手が鋏の刃に挟まれている写真や、開くドアとそのそばにむき出しの足が写っている写 真と、開くドアが足の甲に食い込みそうになっている写真といった具合だ。ありきたりの場面の写真 から痛々しい写真に切り替えるたびに、被験者の脳の特定の領域が活性化した。それは、自分自身が 感じる痛みに対する情動的な反応の調整を司るのと同じ領域だった。つまり、脳の反応という点からは、写真で目にした痛みはどれも、自分に起こっている痛みだったのだ。 (『経済は「競争」では繁栄しない』ポール・J・ザック p.102)

見るだけでニューロンは発火する:イマジネーション?と共感

イタリアのパルマ大学のジャコモ・リゾラッティは、サルの脳に電極を差し込み、さらに詳しく調 べた。サルが何か(たいていはピーナッツ)を取ろうと手を伸ばすたびに、運動前野のニューロンが 発火した。だが、サルの見ている前で研究者の一人がピーナッツに手を伸ばしたところ、サルの同じ ニューロンが発火した。まるでサルが自分でピーナッツをつまみあげたかのようだった。研究者がピ ーナッツを口に入れると、サルがピーナッツを自分の口に入れたときにかならず発火するのと同じニ ューロンが発火した。これらの「ミラー」ニューロンは、行為の決定的な部分(研究者の手が実際に ピーナッツをつまみあげるところ)が視野から隠されているときにさえいつも発火した。ピーナッツ の殻を割る音を聞かせただけでも、この反応が起こった。サルの脳は最小限の情報からでも残りを想 像できたのだ。 (『経済は「競争」では繁栄しない』ポール・J・ザック p.104)

共感能力は、生存に必須。赤ちゃんがまず一番最初に学ぶスキル。

これはチンパンジーと人間の両方に当てはまるのだが、新生児は生まれてからわずか数時間後には、 他者の顔に目の焦点を合わせて表情を真似しはじめる。あなたが口を開けると、新生児も口を開ける。 あなたが舌を突き出すと、新生児も同じことをする。彼らはこうした社会的ジェスチャーを試し、そ れをマスターして自分の神経の配線に組み込もうとしているのだ。その配線がきちんとできあがると、 もっとも根本的な絆を強固なものにし、そのおかげもあって私たちは幼年期を生き延び、その後の人 生でも情動的な要求や快感にうまく対処できるようになる。

自閉症の場合を除けば、人間の脳にとって人間の顔はこの世でいちばん重要なものであり、ほかの 何よりも強く私たちの注意を惹く。私たちは生まれた瞬間から他人の顔の虜となり、一生それに魅惑 されつづける。食料品店で赤ん坊を連れている母親がいれば、見ず知らずの人たちでさえ、思わず引 き込まれて声をかけ、あやしたりする。赤ん坊の顔はそれほどかわいいのだ。これはけっして偶然で はなく、自然選択が最高の魅力を与えるべく、大きく丸い日とふっくらした頬を形づくった。すべて、 生存の可能性を最大化するためだ。自然のおかげで私たちが極端なまでに感じる赤ん坊のかわいらし さを「ネオテニー」といい、ロボット工学のエンジニアは自作のロボットを親しみやすいものにした いときには、このネオテニーをデザインに取り入れる。

人間の赤ん坊は生後6週間で、大人がやった仕草を覚えて翌日真似られるようになる。これは、母 親や父親や祖母のように、ほんとうに大切な人を赤ん坊が識別する助けになる。つまり、「いないい ないばあ」はただの遊びではなかったのだ。それは社会生活に向けた練習にほかならず、ヒト科の動 物にとって生活といえば、社会生活以外にはありえない。 –

生後2、3か月すると、チンパンジーの赤ん坊も人間の赤ん坊も顔に対する異様なまでの熱が冷め る。必要としていたごく基本的な神経接続を終え、今度は社会的学習の番になったからで、この学習 が、もっと幅広い絆につながる。人間の赤ん坊は、誰を信頼するか(母親、父親、祖母、お気に入り の子守)や、誰に警戒を解かずにいるか(先ほどの身近な保護者による暗黙の認可がない人ならほぼ 全員)をあっという間に決める。だが、時が流れるうちに、社会的分別によってそのような限られた 範囲を乗り越える必要がある。 (『経済は「競争」では繁栄しない』ポール・J・ザック p.112)

 

オキシトシンがない世界。恨みつらみ。内憂を外敵で晴らすテストステロン。

攻撃的になる。だから「いない」敵を「つくる」。

オキシトシンと共感が減ると、他人はよそ者や敵となり、さらに劣等者や悪魔に変わる。厳密な生理的作用は知らないまま、統治機関や軍隊が何千年も前に気づいたように、テストステロンに力を発 揮させ、共感を減らし、罰したいという欲求を募らせるには、自らの集団の存続に対する外部の脅威 をでっちあげればいいのだ。次に、私たちの敵意をもうひと煽り。オキシトシンの効果の残りを一掃 するには、仕上げに敵に「怪物」という烙印を押せばいい。

古代ギリシアとペルシアの人々は、相手を野蛮人と呼んで罵りあった。現代のプロパガンダは、 「黄禍」「悪の枢軸」「悪の帝国」「フン」「クラウト」(訳注:「フン」と「クラウト」はドイツ人やドイツ兵 に対する蔑称)「ジャップ」「アカ」「コミ」(訳注:「コミ」は共産主義者の蔑称)を創り出し、敵対してい る人も自分と同じ人間であるという考えや、人間以下の存在だから、あるいは悪魔に取りつかれて るからではなく、真っ当な理由があって今とっているような行動をとっているという考えを切り捨てた。 ノーベル経済学賞受賞者のヴァーノン・スミスは、「パートナー」ではなく「対抗者」という言葉 を使うだけで信頼のレベルを半減させられることを示した。ある人を「パートナー」と説明したとき には、信頼する割合は68パーセントだった。同じ状況で「対抗者」という言葉を使うと、信頼する割 合は33パーセントに落ちた。

共感しない身体は権威に服従(隷従)する

合理的な抽象概念に頼り、共感を排除すれば、権威に対する完全に不合理な服従につながることも ある。1960年代の初めに心理学者のスタンリー・ミルグラムが行った有名な実験では、被験者は 別の人に軽い電気ショックを与えるように言われた。相手は視界の外に座っていたが、その声は聞こえた。実験用白衣を着た科学者(「権威を体現する人」)は、電気ショックを与えている人に、もう少

し多く電流を流すように求めつづける。被験者たちは驚くほど従順で、苦痛の悲鳴が聞こえはじめて からでさえ、その求めに応じつづけた(苦痛も、悲鳴も、電気ショックも、すべて本物ではなかった が、被験者たちは本物だと言われていた)。被験者の3分の2は、致命的かもしれないと言われ きでさえ、その高いボルト数の電気ショックを与えた。なにしろ、権威を体現する人がそうするよう に言っているのだから、自分たちには道徳的責任はないのだ(少なくとも、被験者はそう考えた)。

「スタンフォード監獄実験」という、別の有名な実験もある。心理学者のフィリップ・ジンバルドー は被験者たちを、終日運営する模擬監獄の看守役と囚人役にランダムに割り振った。6日後には、監 獄の雰囲気があまりに本物らしく、醜悪になったため、実験を打ち切らざるをえなかった。看守たち はサディスティックになって囚人たちを痛めつけた。無気力になって虐待を受け入れる囚人もいたし、 ほかの囚人を罰するように言われると、喜んで従う囚人もいた。ジンバルドー自身も「刑務所長」役 を演じるうちに正常な判断力を失い、心理学者としての役割を忘れて、虐待が手に負えなくなるのを 許してしまった。

 

内集団と外集団の区別のせいで、共感が抑えられ、非常によくない事態になる場合があるのは、一 つには、私たちが群衆に従うとドーパミンのシステムが作動して、集団浅慮や服従が快くなるからだ (逆に私たちは、集団や関係から締め出されたときには、いつも苦痛を覚える。じつは、脳は社会的 な苦痛を、まるで身体的な苦痛であるかのように処理する)。この快感/苦痛、押し/引きの組みあ わせは、集団のアイデンティティを強化する。たとえ集団がリンチを行う群衆と化したときにも。 テストステロンは、ドミノのような当たり障りのないゲームでの競争においても、内集団と外集団を区別するシグナルを発信する。カリブで行われたある研究では、自分の村の相手よりも近隣の村出 身の相手と勝負するときのほうが、テストステロン・レベルがずっと高かった。ランダムに組分けす る(「こっちのみなさんは赤、そっちのみなさんは青」)だけで、内集団対外集団の競争が引き起こさ れることが、心理学の実験からわかっている。

高いテストステロン・レベル、権威への服従、集団の圧力、人間性を喪失させる抽象概念といった 要因が合わさると、1930年代・40年代のナチスの狂気や、19世紀のコンゴにおけるベルギー人の 蛮行などにつながる。ベルギー人たちは、ゴムのプランテーションの収穫が少ないと、罰として労 者の子どもたちの手足を切り落とした。最近ではバルカン諸国やルワンダ、スーダン、さらにはアメ リカとメキシコの国境沿いで対立する麻薬カルテルのあいだで起こっている争いにおいてさえ、集団 処刑やレイプ、手足の切断が見られた。仲間でなければ、殺して当然だ、それも残酷なかたちであれ ばあるほどいい、という理屈だった。

私たちは近しい人たちにもっとも強い共感を抱くが、命を脅かされると、脳は「こちら対あちら」 というごく単純な計算をする。この人は私の集団に属するのか、それとも別の集団のメンバーなの か? 恐れがもたらすストレスは、オキシトシンを抑え込み、共感の輪を狭めるとともに、私たちの 注意を、生き延びるためにはどうする必要があるかという、道徳とはまったく無関係の計算に集中さ せる。 (『経済は「競争」では繁栄しない』ポール・J・ザック p.149)

 

 

 

 

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