(自称)進学校の子どもが危ないというデータ?
【放課後ディサービス・自立支援センター】ひこうき雲・はなれ雲訪問 にも書いたけれど。 学歴が幸福で満足な人生を約束するのではない。 間違った「学歴対策」をすることで、大切な関わり合いができないことで、失われる人間らしさがある。 ーーーーーーーー アメリカのリバーデールという富裕層が通う学校で教師から「ヘリコプター・ペアレンツ」という親がいる。(『成功する子・失敗する子-何が「その後の人生」を決めるのか』p.135) つねに上空をうろつき、何かあれば助け出す準備は万全ーしかし、だからといって気持ちの上で子どもの結びつきを築こうとか、一緒に時間を過ごそうとしているわけではない。 そういう親が、裕福な家には多いという。 —- この後に書かれているデータには、富裕層の子どもたちは、貧困層の子どもたちにも劣らぬほど、不健全、不健康な精神状態に陥っていることが書かれていた。 子どもたちの悩みは「成果をあげることへの過大なプレッシャーと、精神、感情の両面における孤立」だった。 という。 ーーーーー この記述を見れば見るほど、自称進学高校の現状そのものじゃないか? このデータはアメリカのものだ。 アメリカの富裕層の親が与える子供へのストレスだ。 で、 親を教師に読み替えると。。。 同じデータが、日本では、富裕層ではなく、(自称含む)進学校の生徒にも言えるのではないか。 日本の場合は、 学校の先生が与える子供へのストレスだ。 親も学校と同じポジションにいたら、子供は・・大丈夫かな。 この困難を、なんなく乗り越えて、先に進もうぜ! そのプロセスで、強くなれる。 【自然な子育て】とは何かー学者たちの出した簡単な答えー
進学高校に行っても頭はよくならない。『「学力」の経済学』中室牧子
『「学力」の経済学』中室牧子 全てが、科学的な証拠に基づいた主張である。 メモ ご褒美はテストの点数ではなく、インプットしたもの、本を読む・宿題をすることに対して与える。 ご褒美が子どもの「勉強するのが楽しい」という気持ちを失わせてはいけない お金も、ご褒美として悪いものではない。 学力が高いという原因が自尊心が高いという結果をもたらしているだけで、その逆ではない。 「あなたはやればできるのよ」とむやみやたらに子どもをほめると、実行の伴わないナルシストを育てるかもしれない。 「頭がいいのね」と能力を褒めるのではなく、「よく頑張ったわね」と努力を褒める。 能力を褒めることは、子どものやる気を蝕む。 親だけでなく、塾の先生が勉強のマネージメントをしてもよい。 学力の高い優秀な友人から影響を受けるのは、そのクラスでもともと学力の高かった子どものみ。
スウェーデンの高校生のデータを用いた研究は、学力の高い同級生の存在が、学力の低い生徒の自信を喪失させ、大学への進学意欲を失わせたことを明らかにしました。この意味では、学力の高い友達と一緒に胃さえすれば、自分の子どもにもプラスの影響があるだろうと考えるのは間違っています。むしろ、レベルの高すぎるグループに子どもを無理に入れることは、逆効果になる可能性すらあるのです。(p.66)
問題児の存在が、学級全体の学力に負の因果効果を与える。 ルームメイトから「成績」に対して受ける因果効果はほとんどない一方で、「行動」に対して受ける因果効果は大変大きい。 習熟度別学級は、ぴあ・エフェクトの効果を高め、特定の学力層の子どもたちだけでなく、全体の学力を押し上げるのに有効な政策である。とくに大きな学力上昇が見られたのは、もともと学力が低い子どもたち。
なぜ、習熟度別学級は子供達の学力をあげるのでしょうか。それは、子ども同士も、自分と同程度の学力の子どもたちと一緒になることで、他者と比較して意欲を失うことなく、互いに助け合うことができるためだと考えられます。(p.70)
ーーーーーー 日本政策金融公庫の調査では、子供がいる家庭は年収の約40%を教育費に使っている。 教育を経済活動として捉えると、将来に向けた「投資」として解釈でき、もっとも収益率が高いのhあ、子供が小学校に入学する前の就学前教育(幼児教育)である。人的資本への投資はとにかく子どもが小さいうちに行うべき。
教育をすると社会全体への好影響がある。(雇用、生活保護、逮捕率などに関係し、行政の支出を省くことがえきる)。ペリー幼稚園プログラムの社会収益率はヘックマンの研究では年率7〜10%、他の研究ではさらに高い13%や17%という数字がでている。社会収益率が7〜10%ということは、4歳の時に投資した100円が、65歳の時に6000円から3万円ほどになって社会に還元されているということです。(p.82)
児童手当は学力を上げるという政策目標について、費用対効果が低いか、効果がない。 1980年代にコロラド大学のグラス教授とスミス教授が、1学級あたりの生徒数と学力の間には負の相関関係があり、とくに1学級あたりの人数は20人以下となるのが望ましいという研究を発表したが、教育政策の費用対効果としては、相対的に低い。つまり学力という点では、もっと別の方法によって、向上させることができる。 クラスの人数が40人を超えるとクラスを2つに分けることを「マイモニデスの法則」という。中世ユダヤ人の哲学者マイモニデスが「クラスあたりの生徒数の上限を40人とするように」と提案したのがもとになっている。 日本の赤字は、月収30万の世帯が毎月53万円を支出し、借金している状態。(この本は2015年6月に出版) 国の文科省への予算は15年前と比べて20%以上現象した。 2020年前にすべての小中学校の生徒一人に一台のタブレット端末を配布するという政策目標が掲げら得ており、手段であるはずのものが政策目的になっている。なんのために配布するのかが示されていない。 四谷大塚全国統一小学生テスト 学力テストの結果だけをみても、政策的に有用な情報はほとんど得られない。 学力は学校だけでは決まらない。 平等に扱うと不公平になる。 学校で平等を重視した教育「手を繋いでゴールしましょう」という方針の運動会などの影響を受けた人は、他人を思いやり、親切にし合おうという気持ちに「欠ける」大人になってしまう。(神戸大学の伊藤准教授らの研究) 全国学力・学習状況調査は統計法で定められた「統計」ではなく、「意見・意識など、事実に該当しない項目を調査する世論調査など」という扱いになっており、研究者がデータを学術研究に用いることができない。多額の税金をかけて行う価値がない。 教員研修は教員の質に影響しない。 貧困アクションラボ
センター試験に生徒を見送る。
見送るというか、メッセージを送った。
「受験生になっておいで。」
まだ受験生らしさが、こう、はっきりしていない感じのあなたに。(そうでもないか?いやいや、みちがえるほど変わったよ)
「勉強嫌いです」といいながら、「私は間違って富山高校に行った。だから大学は自分で決めたい」と言ってきたあなたに。
「受験生になっておいで。」
見送るというか、メッセージを送った。
勉強ってなんだろう。
石川県、富山県の御三家、進学高校が全然進学高校じゃないことをデータで示している最中、「こんなにも、地方と都会は違う。なのになぜ、大学進学をさせようとするのか」わからなくなった。 塾は、親や学校、大人の見栄を生徒に押し付ける場所のように思えて来た。 だから富山で出会った高校生は「みんな勉強嫌いだよ。また塾できるの?(いやそうな顔)」と言っていたんだろう。 東京で学び、大学受験をする雰囲気を経験している私からしたら、石川県も富山県も、受験勉強などしていない。 家畜小屋で太らされているだけだ。 そのなかで泣いている生徒の声も聞こえないほどに、目の前の機械がうるさく餌ばかりを運んでくる。 どうして食べるんだろう。多分中学生の時から食べているからかもしれない。 親が食べさせるのかもしれない。 私は何をしにきたのだろう。 「それは違う」といいにきたのだろうか。 けど高岡は高岡で、金沢は金沢で、富山は富山でやっている。 旅のものが、何をしているのか。 地方の高校生が勉強をする意味があるのか。 学校、親、教育委員会の見栄のために子供が利用されているだけではないのか。 東京のエリートたちは、当たり前のように塾に行き、学び、当たり前のように大学を目指す。 東京は東京で、やっている。 私は無表情で課題をこなす高校生たちを解放しに来たのか。 肝心の本人たちは、べつにそれが当たり前の生活、どうして私がお節介をする必要があるんだろう。 私がotononeという場所をちゃんとみていない気がして、気分が落ち着かなくなった。 HPを作り変えながら、頭を抱えてしまった。 富山県はコメ騒動発祥の地と言われる。 otonone-オトノネ-を応援していただき、ありがとうございます。
県立高校入試に推薦入学しようとしている中学生へのメッセージ
スポーツ推薦、一般推薦、いろいろある。 肝心なことは「推薦入学したらこのコースに入らないといけない」とか 「部活にはこれに入らないといけない」とか 「生徒会活動云々」とか。そういう規制がかかる可能性があるということだ。 もちろんそんな約束はどこにも書いていないはずで、その通りにしなくちゃいけない義務はない。(コース選択などは選べない「しくみ」になっているかもしれない。高校ごとに違う。) けど、やっぱり富山県では先生の言葉の影響力が強い、らしい。 きちんと調べて、先生に聞いてみるといい。 とにかく情報を集めよう。 情報が、大切。 「推薦入試で受かったら、高校に入ってやらなきゃいけないこととか、選べなくことは、あるんですか?」 文系、理系、自分がどっちかわかっていれば、いいのだが。 まだどちらかわからないなら、高校に入ってから自分の進路を決める方がいいようにもおもう。 一般推薦入学できるくらいの学力なら、その高校には学力テストでも入れるだろうから。 だって、富山県は内申点の配点が異常に高いんだもん! 将来のこと、わからないことだらけで不安だろう。 どんな選択をしても、どっちを選んでも、進んでみて、その先でまた、一生懸命悩んで行って欲しい。 オトノネさんにできるお手伝いは、したいとおもう。話を聞くだけでも! オトノネを応援していただき、ありがとうございます。
高岡高校、富山高校、富山中部高校の偏差値・進学実績の影で泣いている高校生がいます 知っておきたい!youtubeで富山県立公立入試の問題の特徴(リアル)を解説!! 富山県立高校入試の内申点が異常に高い件 本当に本当に高岡高校、富山高校、富山中部高校に行きたい人のための、合格の最終手段 内申点がたりないあなたに県立高校受験まだチャンスがある話 富山県立高校入試合格点・ボーダーの目安を論理的に計算。
アウシュビッツで生き残った人の言葉のチカラ
どうしたら楽しく働けるのかを考えてみてください。子供の頃、なんでもない公園の砂場で思いっきり泥だらけになって楽しんでいた頃を思い返してみてください。大人になっても変わりません。無邪気に仕事を泥だらけになりながら楽しんでいる人には人も仕事も給与も信頼も自然と集まります。
— Yusaku Maezawa (MZ) 前澤友作 (@yousuck2020) May 23, 2019
このツイートに書かれたコメントが面白い。読んでみてください! それで・・・ 僕はよくアウシュビッツの物語を思い出す。 いつ終わるかもわからない。 いつ死ぬかもわからない。 そんな暮らしをするために必要なのは、自分自身が自分に投げかける言葉だった。 とおもっている。 真剣なごっこ遊びであるとも、ファンタジーともいえる。 アウシュビッツに入るまえに、その言葉を生み出す経験がなければならなかった。 人生の意味を見出していなければならなかった。 他者にとっての自分の価値を知っていなければならなかった。 ーーーー 一方で! 自分に投げかける、生きるチカラを与える言葉が生まれてこない心がある。 困難に直面しても、ファンタジーを見せてくれない心がある。 電気柵に体当たりする人たちのこと。 言葉を自分に投げかけられない人でも、アウシュビッツで生き残る術が一つある。 しあわせを生み出す言葉を使う人になりきることである。 言葉も、振る舞いも、呼吸も真似ることである。(行動を真似ることが大切。特に歩き方、喋り方、深層筋の使い方、ありとあらゆるデテェイル) 同じ夢をみるほどに。 行動を一緒にすること。 同じ空気を吸うこと。 同じ位置に立って、同じ景色を眺めてみること。(キングダムで、信が「将軍の馬」にのったアレ) ただの夢見ではなく、実際にそれを行うこと。 (よくセミナーで一流になりたいなら一流の振る舞いをしなさいというアレ) これが方法の一つではないかと、ふと思えた。 自分にとっての現実を捨てて、みている世界すら、その人と同じになってしまうくらい、真似る。 実はそれは、思春期に至るまでに、子どもがやっていることではないかとおもう。 お母さんやお父さんに対して。 思春期とは、親以外の人をモデルとして自分を作り直す時期だとおもえる。 だから思春期には、恋をするのだろうか。 ただ、その、なりきる対象に「憑依」されるか、「守護霊」をコントロールするごとく、関係をつくれるかは、心次第だ。 心が大事。 ーーーーー 蛇足:プラスの言葉を使うように心がけましょう。というのがある。 プラスのことしか書かない日記をつけることを、僕もいつの間にかやらなくなってしまった。 と、気がつくたびに、「自分を褒めるノートを書いてみたら?」と行ってくれた友達の声を思い出す。 そういう人が、すぐ近くにいてくれる人は、しあわせだ。 ーーーーー ちなみに、「これは違う!おかしい!」と抗議をしても殺されるだけ。 むしろ「これでもういいや。シカタガナイ」と思って生きている人の方が長生きする。 憐れむことも、羨むこともなく、自分の命をマットウしよう。 ーーーーー しあわせな人は、俳優になれない。 真似をする必要がないからだ。 しあわせな人は、俳優だ。 きっと、しあわせな人の真似をしているからだ。
富山ブラックに耐えられるか
自称進学校(富山県に進学高校はありません)の情報は次のリンクからどうぞ。 富山中部 高岡高校 富山高校の偏差値・進学実績の影で泣いている高校生がいます【全国学力テストの真実】 金沢泉丘高校、錦丘高校の偏差値・進学実績の影で泣き叫んでいる高校生がいます 富山県には進学高校がない、という根拠はこちらです。