【積極的自己責任とは何か】責任を負おうとしない大人、「命」が弱い大人【魔界入門】
「責任」という言葉はだいぶ呪いがかかっていて、本来の意味で使われることはほとんどない、という記事はおとのねさんがこれまでにいやというほどかいてきた。 https://otonone.com/wp/category/kotoba/sekinin/page/3/ 今、子どもの発達検査の本を読みながら、大人が子供に対する責任を放棄するとき、発達は阻害され、心はすり減るのだろうとおもった。
大人が例えば「ダメ!」というとき、それは本当に、「ダメ!」なのだろうか? それは何を教えようとしているのだろうか? それを、子供に教える段階なのだろうか? 子供はそれを「教わる」ことができるのだろうか? 「ダメ!」という言葉で育つ「心」があるのか? 「ダメ!」という言葉で殺される「心」である場合がほとんどではないのか? 「ダメ!」という大人は、大人としての責任をとることを免れたくて、子どもに「ダメ!」ということがほとんどではないか。 公園にしてもそう。 責任を取りたくないから、先に禁止する。 責任をとりなよ。 責任ということばをきちんと背負いたくないの? 怖いの? 責任をとりたくないの? (こういう取りたくない「責任」、呪われた「責任」が魔界には溢れている) 大人なら責任、とれないの? 怖いんだよね。。 なぜ怖いかって? それは「積極的自己責任」をとることを大人自身が学んでこなかったからだよ。 と、おとのねさんは、おもうのです。
積極的自己責任とは?
人として、まず自分自身の「命」に対する積極的自己責任をとること。 「命」が強くなれば、自分の「命」の責任をとる元気もでてくる。 そして「命」を強くすることが、子ども時代にするべき全てのことなのではないかとおもう。 (さて、「命」とはなんでしょうか????)
対話ができない政治家。令和時代の戦争とピクニック。
政治家と話をする機会があった。 いわゆる県議員と呼ばれる人たちと話をした。 まずもって、対話ができない。 僕の質問の意味がわからないらしい。 コミュニケーション的には、相手のレベルに合わせて喋れない僕が悪いのかもしれない。 政治のレベルは、そのレベルだとわかった。 というかそのまえに威圧的な権威的なその声の響やめてほしい。 おとのねさん、そういう声、嫌いなの。体が、本当に、無理っていうの。 宗教とかセミナーとかで聞く声ですよそれ。 あなたがしているのはなにですか。 目の前に学生がいるのに、学生の声を聞かないのですか。 あなたはなんのために、だれのために政治家をしているのですか。 言葉が、その人を表す。 喋ることが、その人を表す。 授業として、「政治とはなにか」を講義してくれるはずだったのだが。 演説を聞いただけだった。 それでも世界は回っている。 それで世界は回っている。 それで、子どもたちは、狂って踊っている。 小中学校に冷房入れた?それPTAのお金でしょ?中等教育学校?お金を教育に回したくないだけでしょ? それが、何かの、意義ある政策かどうか。 それこそ、声を聞いたらいいのに。 富山県、石川県は、全国的に、教育にお金をかけていない県です。 公立学校(小中高)の一人の生徒に使われる人件費・教員数を計算して気が付いたこと2(富山・石川は教育県ではない) それで、子どもたちは、狂って踊っている、ようだ。 日本は他の国から遅れて、30年前に教育を変えられなかった。 日本は100年前の教育を今でも続けている。 もう、遅れてしまった。 どうして子どもたちは狂わずにいられるのだろう? 戦地に弁当をもってピクニックをする毎日。 頭の上を砲弾がかすめる。 笑いながら、お友達とお喋り。 ある意味この状況がシュールすぎて僕としては感動するのだが。 これが多くの小中高校生の日常だと、僕は、僕は、少なからず僕は、思っている。 ‹‹\(´ω` )/›› ‹‹\( ´)/›› ‹‹\( ´ω`)/›› オモッテルー 令和時代にもう戦争は終わりにしよう。 だか、悲しいかな、子どもたちは、選ぶことを、教わらなかった。 選ぶことを、学ばなかった。 と思える。 もしくは、「忍耐」を学んだ。 自分の命にたいする責任を自ら負うこと、学ばなかった。 自分が自分でいることの価値を学べなかった。 自分の命に対する「責任」を学ぶことのできる大人がいないのだから、しようがない。 創造的に対話をしてくれる大人に学校で(ほとんど)出会えないのだから、しょうがない。 政治家のみなさん、子どもたちは、あなたの生き様を見て、なにを学びますか? 「世の中、コネと金だよ」ということを教えていませんか。ある意味事実ですが! 教えるべきことはなにですか。 子どもは何を「教わるべき」? ある意味で、学校に行っていない子どもの方が、新しい時代の価値観をもって、新しい時代でしあわせになるチカラをもっているようにもおもえる。 ーーーーーー 子どもの未来をつくる「学校」を新しい時代に向けて変えていこうとしない政治家は、今の日本には、必要ない。 ーーーーーーー 踊り疲れたら、おとのねにおいで。 戦争をさせられる子どもたち(学校という経験・受験という経験)
「積極的自己責任」「汝自身を知る」オトノネの指導法
オトノネにはいろんな人が来る。 滑川から通ってくれている子がいる。 その子からは「アマゾンで肉が売っている」ことを聞いたり、「逃走中」というテレビ番組があることを教わった(英語の勉強をしているとき、副詞は「シンシュツキボツ」だと話した。漢字が書ける?と聞くと、「逃走中」という番組のことを教えてくれた。結局「神出鬼没」は神や鬼のように出てきたりいなくなったりするのだと伝えた。ところで、「逃走中」は大人が鬼ごっこをする番組なのだが、鬼ごっこをする動機が「お金」であった・・・) これは肉の話をして思い出して一緒に記事にしたもの。
その子の感性、物の捉え方があったから、マックが好きな人の興味もひける記事がかけたとおもう。 感動した! 第三者的な、ななめな、学校と家以外で大人と関わる場所としてもレアなオトノネです。 ちなみにその子にとっての高校受験は、「自分の居場所を選ぶ」意味があるそうです。 その本気、(本気の度合いに応じて)絶賛、応援中。
ーーーー そんなかんだで英語の勉強をしていた。 学校のテストがあるから、ちょっと教えてほしいという。 まぁいいよ! この子は書くことよりも口に出す方が英語と馴染むことができる、ということには気づいていて、それを本人にも伝えている。 自分の心や体をどう使ったら、自分らしく学べるのか。 を学ぶのはオトノネのテーマの一つだ。 それは学びの速度だったり、学びへの関心だったり、学び方だったりいろいろ。 で、その子にちょっとした(オトノネ流)テストをした。 その場で既習の英文を覚えてもらって、僕が日本語を言ったら英訳してもらう、というテストだ。 「何分で準備できる?」 「10分で。。」 「10問中何問正解で合格にしようか?」自分で決めてもらう。 「じゃぁ・・・6問で」 1回目の挑戦。 ・・・ 失敗! あるある! ここで学んでほしいことがあったので伝えた。 自分が思っているような結果を出すためには、自分が思っている以上に時間を使わないといけないようだ。 人によって学ぶことは違う。 この子には、これが学びになると僕はおもった。 「時間をかければできる」のに、時間をかけなくてできずに「もうやめた」になってほしくない。 かけた時間の分だけ、その子は(英語は)伸びる子だった。 これは勉強に限らずにいろんなことにも言える。 「汝自身を知れ」という言葉は、学ぶ人にとって本当に大切なことで、自分では気がつきにくいことでもある。(だから学ぶ人は、学び合う人でもある) さぁ、2回目の挑戦!!! 「今度は何分で準備する?」 「10分で!」頑張り屋さんだ 「何問で合格にする?」 「5問で!!!」笑 その結果は・・・!!!!! 失敗! 小さな失敗を繰り返してほしい。 そうして自分の姿が見えて来る。 小さい子どもが「あ、これ無理だな」と判断して3メートル先のおもちゃを取りに行かないのはその能力があるからだ。今、この年齢だからこそ、工夫することを学べるというもの。 ところどころで、おとのねさんが英語と遊ぶ、英語を味わうためのレシピを伝える。 「副詞は神出鬼没」 「前置詞は名詞の前に置かれる詞(ことば)」 などなど。 自分にとってためにならないこと、失敗かどうかもわからない「宿題」をやり続けている子がたくさんいる。もちろん、どうやってその作業を効率的にこなすかということを考えられるが、そんなものは英語を学んでいることにならない。 英語は音声、まとまりのある音楽だ。 この子は音として捉える力が強い(聴覚はある意味で才能だ)から、こういうアプローチが良いと思って伝える。 「since last yearと5回言ってみて」 副詞句の前までは一息で答えるとか、そういう身体の使用を通じて英語を身につけるのがいいだろう(実践的だし) そんなかんだで3回目・・・ ・・・・・ 失敗!笑 というわけで宿題になりました。 オトノネでは宿題は完全自主性です。 「やった分だけ力になるよ」 あとは、自分次第です。
できることできないことしたいことやれないことしようとすること
できることはたくさんある。 ただそれをするべきなのか?自問してしまうことがある。 「してしまって、いいのか?」 「するべきなのか?」と自問している時点で感じている違和感は大切なシグナルだ。 「本当にそうすることは、私にとって誠実なのか?」 「今、本当にそうして、いいのか」 その場で答えが出るわけではない。 「こんなことをしていていいのか?」 時間が過ぎたあとでないと、気がつけないこともある。 今、その時は、精一杯やってみるのがいい。その結果を全て背負うといい。 ただ世の中は、「できること」をたくさんさせるような雰囲気だ。 できなければ、できるようになれと。できるようになったら、認めてやると。 違和感があるとしたら、今、していることが、今、それをしているあなたが、一体誰の声を聞いてそうしているのか、感じるといい。 自分の中にも、いろいろな声を出しているあなたがいるはずだ。 周りの人も、いろんなことをいっているかもしれない。 もしかしたら、今すぐ、それを投げ捨てて、過去の自分と別の生き方をする、いい機会なのかもしれない。
「責任」というコトバがいつも気にかかっている。
世の中では「責任」が降ってかかってくるような使い方がされている。 「この状況の責任は誰ソレにある」とか 「私が責任をもつから」とか 責任をとるとは 償いをすることらしい。 人と人が出会わなければ「責任」なんてコトバは生まれなかっただろうか。 人と人が出会うと産まれてくるものがある。そのひとつが「責任」なのだろうか。 どうもそれは堅苦しく思えてしまう。 「責任」とは使命のことだと考えてみよう。 それを他人から与えられるだけの人間は不幸だ。 責任を負わされる人は不幸だ。 責任を突きつけられる人は不幸だ。 責任を自覚し、行いをもって果たし続ける人はしあわせだ。 本当に自分がしなくてはいけない使命を果たすことが責任だ。責任が降ってかかってくるだけの人は不幸だ。 責任に怯える人は不幸せだ。 責任は生き方だ。責任をとることは償う行動ではない。 責任は死ぬまでずっともって生まれる。 火は、火の責任を果たしている。 風は、風の責任を果たしている。 人は、人の責任を果たしているだろうか。 生まれてしまったものの使命。 これを責任の原義としたい。 どこかそのコトバは、摂理に身を委ねるような響きをもっている。 自分の本性を理解すること。本性を守ること。 自己欺瞞に気をつけること。歪められた社会の中で、歪められた人間のなかで、大切なものを守ること。 自分に対する責任。これが一番大切なはずだ。 多くの人は、自覚なく、この責任を果たしている。 多くの人はまた、自覚なく、この責任を果たしていない。 どちらもただ普通に生きているように見えてしまうから、不思議だ。 中国かどこかの物語で、こんな話があった。 ある日、ギリギリの生活をしていた父と娘がいた。2人は曲芸をして生きていた。 命をかけて、命を繋ぐ毎日。ある日、父は言った。「私たちはお互いにお互いの気を使って生きていかねばならない」 娘は言った。「違うよ。お父さんはお父さんのこと、私は私のことを本当に懸命にやらなくてはいけない」と。 原典を思い出したいものだ。 学校の責任と義務(責任について・・・いくつめ?) 沖縄の那覇から船で1時間半の渡名喜幼小中学校の「校長先生」の挨拶を転載する。 これだけ時代を直視し、時代を感じさせ、使命感ある言葉を学校の先生が使っているのをみて、私は驚いたとともに、うれしくなった。 私の感じたことが、伝わるかどうかはわからない。 無理に伝えようとしなくてもいいのだろう。 読んでみてほしい。 あなたが通う高校の「校長先生の挨拶」と比べてみたらどうか。 比べる必要はないのかもしれない。 ただ、私はこの渡名喜幼小中学校の校長の言葉に、チカラを感じたのだった。 「責任」という言葉が上っ面のたわごとでわなく、使命として感じられたのは、私だけだろうか。
はじめに 小学校は明治23年創立で今年度127周年、中学校は昭和24年創立で今年度67周年を迎える島唯一の学校である。更に、併設されている幼稚園は3年保育であり、ここ渡名喜の子ども達は、12カ年この幼小中学校で過ごしている。その子どもたちは中学を卒業すると、親元を離れ自活をする ケースがある。高校・島外という新しい環境や人間関係の中で、正しく適応・対応しつつ、自己 を発揮し、切磋琢磨しながら自ら成長しなければならない。そのため、卒業生や島外へ出る子ど もたちに「どんな状況にあっても夢や希望を持ち続け、強く生きてほしい」という保護者や島の 人の願いがある。その現状と期待を受け、我々は、子ども達に「試練を乗り越える力」、つまり 「生きる力」を幼小中学校12年間で身に付けさせるという責任と義務がある。 渡名喜村は、狭隘な土地を忍耐強く耕し山頂近くまで広げた段々畑があった。勇気を持って荒 海を乗り越え、優秀な船乗りを多く輩出した。厳しい自然環境の中で力を合わせて生きてきた。苦しい時代を頑張った先人や地域の絆に大きな誇りを持っている。 現在、過疎化により人口が減少している。しかし、島の村並みと自然景観が平成12年に国の重要伝統的建造物群に選定され、人々に渡名喜島の自信と誇りを再確認させてくれた。また、今年で98回目を迎える「水上運動会」や大正時代から続けている「朝おき会」に代用されるように、他校にはない独特の伝統行事が現在も続いている。 幼児児童生徒がいきいきと活動し、島への愛着と誇りを高め、自分自身の頑張りを自信として抱き、将来に夢や希望を持って生きていく児童生徒の育成を目指し、「普遍性」「地域性」「時代性」の観点で教育計画を作成し、「積小為大」の精神で学校経営を進めているところである。
積極的自己責任は自分の「命」に自分が責任をもつこと
自立した人になるために
学校で、家で、お子さんは学べているでしょうか。学ぶとは「失敗」から始まります。「これではうまくいかない」という感覚から、ではどうするかを自分自身と関わりながら、世界と関わりながら、見つけていきます。「失敗しないように」先回りしたり、「失敗しないように」もしくは「失敗したら、そのまま放置」するようにデザインされた教育システムで、お子さんは学べないしくみになっています。なのでオトノネで失敗してもらいます笑これからどうなるのかわからない不安な時代、バブル時代を引きずったり、昔の価値観をそのまま使って子どもを縛り付けるのは、沈没する船に子どもを乗せることかもしれません。それよりも、自分の船をもち、自分で漕ぎ出すチカラを、オトノネで伸ばしてあげませんか。
自己と関わる世界は他人と自分でできています。他者理解は必要です。しかし他人の目線で、他人の評価で、他人の感覚で生きることはしあわせなことでしょうか。母親の代わりを生きている人は幸せでしょうか。父親の代わりを生きている人は幸せでしょうか。誰かがつくった計画を実行するだけの仕事をこなしてしあわせでしょうか。私はそうおもいません。身体は個別具体的に自己をつくりあげます。身体が違えば感覚、思考は変わるはずです。そうした自己の姿があるからこそ、世の中は「いろんな人がいておもしろい」のです。だからオトノネは生徒の「自己」を大切にして、生徒自身が「自己」を大切にする練習をします。言われるがままに「世界」をつくるのではなく、泰然自若として「世界」をつくることです。その姿勢は創造的であり、積極的自己責任をとることになります。
小さな実験を繰り替えす
生きていく中で、大きな実験、大きな決断はなかなかないものです。結婚?転職?就職?はたまた、進学先などなど。大きな選択をする前に、小さな選択を実験的にやっていくことが大切です。その中で「自分はこういう人間なんだ」ということを知るのです。経営学者のドラッカーは「マネジメント」は「自己を知ること」だといいました。何もせずに自分を知ることはできません。自分がどんなビートをもっていて、どんなリズムを、テンポをもっているのか知ること。どんなメロディーが好きなのか。試しながら、「自己」をつくっていくプロセスが大切です。
よくある「責任」との違い
何か失敗をしたときに「自己責任だ」とか言われます。これは呪いの言葉です。主体性も何もなく、ただただ呪いを受けるようなものです。そうではなく、積極的に「これは自分で選んで、やったのだ。試してみたのだ。その結果に対して、自分は責任を持って、フィードバックを返す」という姿勢が、積極的自己責任であり、自立のための大切な態度です。ただ、大きすぎる「結果」がでてしまうと、それを背負うには大変なエネルギーが必要になります(例えば倒産とか?)。だから困難を分割して、小さな失敗を繰り返しながら学んでいき、大きな選択(責任)に備えるのです。
人生は誰のもの?
子どもの人生は子どものものです。親と子の境界線をきちんと引いて、「この子は大丈夫だ」といえるような関わり方、つまり積極的自己責任が終えるように関わることです。オトノネでは毎回、その練習をします。「自分で決める」が原則です。「それで、やってみる?」と問いかけるのが、おとのねさんです。もちろん、いろんなアドバイスはしますよ笑対等な人間として、人格を持った人として、おとのねさんはお子さんを尊重します。でなければ「自分で決められない」「自分で決めるのが怖い」人生を送ることになってしまいます。コレ、ホントです。だって、練習していないんですから。
マインドフルネスと自分の命
ルネス瞑想法」は、半分眠ったような状態ではなく、自分の目をしっかりと開けて、 自分自身の人生という道を世界と意識的にかかわりながら歩んでいくための機会を与えてくれます。あなたの人生がどのようなものになるかは、これからどんなふうに生活していくかによって決まってきます。あなたの進むべき道を指示してくれる人は誰もいません。「あとからついてこい」と言ってくれる人もいません。その道は、あくまでも一つですが、人それぞれさまざまな形で現れてくるものなのです。 「信念をもって進むことができる道が見つかるまでは、ストレスや痛みや悩みの風、喜びと愛の風 といった刻々と変わる風の向きに合わせて船をこいでいくしかないと思います。そうしていれば、 いつか、おのずと自分の道が開けるはずです。 「真剣に、そしてコツコツととり組んでいれば、失敗するということはありません。瞑想は、リラ クセーション・テクニックとは違うのです。リラクセーション・テクニックなら、終わったときにリラックスできていなければ失敗ということになります。しかし、瞑想トレーニングで大切なことは、不安感があっても、緊張感があっても、また成功とか失敗といった思いこみがあったとしても、そのすべてを、すすんで、今という瞬間の事実!! として受けとめ、観察するという姿勢なのです。この姿勢でとり組む限り、失敗はありえないのです。 「ストレスについても同じことがいえます。ストレスに直面しても、注意集中力があれば、対処法をまちがえるということはありません。ストレスがあるという事実を認識することが、状況を変え、新しい道を選択する強力なストレス対処法になるのです。
ある道が開けたとしても、本当に信念をもって進んでいくことができない場合もあります。もっと良い道があるはずなのに、それが見えてこないという場合です。こういう場合でも失敗とはいえません。わからないという瞬間、耐えなければならない瞬間として、それなりに実りのある瞬間なのです。混乱や絶望の瞬間でさえも実りのある瞬間だといえます。現在の瞬間の中で生きようとするなら、その瞬間と共に存在していなければなりません。瞑想は、成功か失敗かということを超えて、人生の中でのあらゆる体験をすべて受け入れる生き方へと導いてくれるのです。 (『マインドフルネスストレス低減法』J.カバトッジン p.379)
積極的自己責任とは何か2
よくこの言葉にぶちあたる。 別に考える必要もないが、亡霊のようにつきまとってくる。 さて先日、3日前くらいに、音楽フェスに出たいといって、お願いしたところ、オッケイをもらって参加した。子供と一緒に楽器の演奏をした。同時に、もう一つのお祭りに参加できるかどうか、電話で聞いていた。まだ少し先のお祭りだ。「みんなで決めるから、もう今から参加はできない。みんなで決める祭だから」と。今日、駅前でグンデルをひいていると、管理会社がやってきて、許可証を市からもらってきたらここでライブをしていいという。 責任をとる 責任をおう 責任をはたす いろんな言い方ができるだろう。 私には、責任をとるという言葉が一般的な責任の使い方だとおもう。「とる」べき責任が生じないようにあらかじめ「はたす」責任がある。また、「とる」べき責任が生じないように、だれも「おわない」責任もある。責任をとらなくてもいいように、誰も責任をとらなくてもいいシステムを作っている組織もある。それも一つの知恵、いざこざ、嫌なことをなくすための方法だ。ただ例えば親が「子供のために」といって、親としての責任をとろうとしている場合。子供は責任を「おう」という大切なことを学べなくなるかもしれない。そうしたら、なんでも誰かのせいにしたり、行動の重みを感じられなくなるかもしれない。もしかしたら、日本は「責任」をとらない文化かもしれない。「わたしたち」という言葉によって、弱められた言葉がある。
ここで江戸時代の歌舞伎小屋を考える。 町人がエタヒニンの歌舞伎小屋を面白がってみていた。幕府は風紀が乱れるといって、「風紀をまもる」責任をはたすべく禁止する。だが町人は、風紀が乱れようとも、責任をおっているように見えるのは私だけか。
そもそも責任ということばが、否定的な響がして困る、と前のブログで述べた。もっと自分の行動にたいして、生まれて来るものに対して、守るべき自分に対して、きちんと応じること。私は積極的な意味で、創造的な意味で責任という言葉の響きを支えたい。と言った。愛という言葉にも狂気と歓喜が含まれるように。 責任を取るといえば、どこか「問題を解決する」ような匂いがするし、そういう意味で使われる。けどもっと大切なのは、ただもうひたすら負わなくてはいけない責任だ。もう負っていることも忘れてしまうほど、ひたすら負い続けるしかない責任。だれも「責任をとれ」ともいわないが、ただもうしょっていくしかないことがある。あるのだ。それをつきつめれば、私が提案する肯定的な、創造的な意味で責任という言葉を使える。つきつめれば。 責任という言葉を使うときは、怨霊を呼び寄せないように、十分注意した方がいいとおもう。でないと、「責任」という言葉は、人を呪い殺すだろし、誰もその言葉を使って、幸せにはならないから。 さて、インドネシアの記録はいつ書き始められるのだろうか。
ほっとけ、俺の人生だ(私の人生よ)!自分で選び取る人生『残酷すぎる成功法則』成功とは何か
自分の人生を自分で「選ぶ」
まず、あなた個人にとっての成功を定義することだ。周囲を基準に、 自分が成功しているかどうかを判断するのは、もう現実的ではない。他者との比較で、相対的に成功をおさめようとするのは危険だ。
あなたの努力や投資のレベルが他者によって決定されるので、つねに 誰かに追いつこうとして全速力で走り続けなければならない。「ナンバーワンになりたい」と漠然と言っていても、誰もが不眠不休で働くグローバルな競争の中ではまったく歯が立たない。また、私たち現代人 は、選択肢と柔軟性を望み、それを獲得した。もはや外部から限界を課せられないので、際限なく仕事を選択することも可能になり、歯止めがなくなった。世界はあなたに、どこまでも走り続けろと言うだろう。
そこで心して聞いてほしいが、意思決定はあなた 、 、 、がしなければならな い。世界はもう限界を設定してはくれない。全部自分で決めるのだ。ま ずは自分の心に尋ねることだ。
「私は人生に何を望んでいるのか?」
そうでなければ、あなたは、〝ほかの誰か〟があなたに望むものを得 るだけになる。こんなことは言いたくないが、今日の世界ではカテゴリーごとに他者が頂点を極めているので、「欲しいものをすべて手に入れる」ことは不可能だ。また、かつては仕事に関して、「もうそこまで」と周囲の世界が言ってくれたが、今では、ほかの人生目標とのバラ ンスを自分で取らなければならない。
さもなければ、前述の人生最期の一番の後悔を抱えることになりかねない──すなわち、他者に定められた人生ではなく、自分が本当に望む人 生を生きる勇気を持つべきだったと。
企業家のケン・ハクータは言う。「成功とは、あなたがビジネスでたえず直面するものだ。あなたはつねに、何かを基準に自分の成功を解釈するだろう。そしてその何かとは、あなた独自の目標や目的であるべきだ」。
スッワースモア大学教授のバリー・シュワルツは、「つままされる人 (ピッカー)」ではなく、「選ぶ人(チューザー)」になるべきだと提唱する。「つままされる人」は選択可能なオプションの中からつまみ取るので、目の前の選択肢によって誤った二分法に導かれる場合がある。 しかしそんなとき「選ぶ人」は、どの選択肢も満足がいくものでないと判断し、もし本当に正しい選択肢を望むなら、自らそれを生みだすほかはない、と結論をくだす思慮深さを持つ。
人生にどんなものが揃っていたら、あなたは充分に満たされたと感じるだろう? もっと、と望む必要がなくなるには? 数かぎりない選択 肢が絶え間なく声をはり上げているこの世界で、あなたを椅子の背に反り返らせ、「ありがとう。でももう充分です」と静かに言わせるのは、 どんな要素を組み合わせたものだろう?(『残酷すぎる成功法則』エリック・パーカー)
受け身ではなく、自分自身が自分をコントロールする:ストレスのマネジメント
心理学者のロバート・エプステインが、三〇か国の三〇〇〇人を対象に調査したところ、ストレスを減少させる最も効果的な方法は、計画を立てることだとわかった。前もってどんな障害があるのか予想し、克服法を考えておくと、状況をコントロールできていると感じる。これこそが、ものごとを成し遂げるための秘訣だ。
機能MRIを用いた調査でも、「コントロール感」は、私たちのやる 気を高めることが証明されている。自分で状況を変えられると思うと、 熱心に取り組む傾向が強まる。ハンドルをしっかり握れていれば、ものごとはそれほど恐ろしくない。
しかも面白いのは、都合がいいことに、実際に状況をコントロールできていなくても、こうした変化が起こることだ。つまり、肝心なのはコントロールできていると「感じる」こと。下山途中に脚を骨折した ジョー・シンプソンは状況を制御できなかったが、ゲームに見立てることで、コントロールができるように感じられたのだ。
コントロール感の重要性は、神経科学の領域に行きつく。ごく簡単に言えば、ストレスを感じるとき、あなたは理路整然と考えられない(頭がまともに働かない)。ストレス下では、理性的思考をつかさどる前頭前皮質がお手上げの状態にあるのだ。かわりに手綱を握るのは、本能をつかさどる辺縁系の爬虫類脳だ。
イエール大学医学大学院のエミー・アーンステンによれば、「ちょっとした制御不能なストレスでさえ、前頭葉前部の認知能力を急激に低下させる」という。
「前頭葉前部の機能不全が起きるのは、私たちがコントロール感を失ったときだけだ。私たちが状況を制御できているか否かを決定するのは、ほかでもない前頭前皮質なのだ。コントロール感がたとえ幻想でも、私たちの認知機能は正常に保たれる」
さらに、コントロール感の欠如は心臓にも応える。『ヘルス・サイコロジー』誌に掲載された研究によると、ものごとをコントロールできていないと感じるとき、心臓発作の発症リスクが高まる。なかでも大幅に危険度が増すのは、日ごろは心臓病のリスクを抱えていない人びとだという。
日常的なコントロールの重要性についてよく理解するために、企業家のケースを見てみよう。二〇〇〇人近くの小企業事業主を対象にした調査では、彼らの五〇%以上が週に四〇時間以上働いていることがわかった。仕事内容も決して楽ではない。四一%は、経営者になってストレスが減ったと答えたが、三二%はストレスが増えたと回答した。ところが、じつに七九%もの人が小企業の経営者になったことに満足し、七〇%は自身のライフスタイルに喜びを感じていた。前に述べた調査での、雇用者が仕事に満足している割合に大差をつけている。労働時間もストレスも変わらないが、事業主ははるかに満足度が高い。
いったいなぜか? 事業を始めた理由として、彼らは「誰にも雇われ たくなかったから」「自分で決定を下したかったから」「自分の好きなようにやりたかったから」と回答している。要するに、自分でコントロールすることが望みだった。だから労働時間やストレスに変化がなく ても、幸福感が高まったのだ。(『残酷すぎる成功法則』エリック・パーカー)
小学校に行っていない小学生(?)とそのお母さんの言葉
今日、出会った子とお母さんの言葉。「なんであんな楽しくないところにみんないくのかなぁっておもう」と子ども。お母さん「あなたがそうしたいから学校に行っていないだけで、他の人は関係ないんだよ」という、ような、話(正確には別の言葉だったとおもう)。その子は小学校に行っていない。
自分がそうしたいから、そうする。学校というのはそういう場所で、自分で選んでいるだけで、学校が悪いとかそんな雰囲気はこれっぽっちもださない、これっぽっちも学校が悪いとか、感じさせない自然さに目が開けるおもいがした。その子もとても立派で、オトナの立ち振る舞いをして、大人のような言葉、考えをもっている子だった。
はっ、とした。自分の世界を生きればいいのかな。僕は学校を攻撃しようとしていないか。もっと自分の世界をつくることに言葉を尽くしたほうがいいんだな、そっちのほうがハッピーだし、キレイだな、とおもえた。僕には、どこか、学校という場所から子どもを救い出したいという意識がある。傷を負ってやってくる子どもたちが安心して「これでもいいんだ」とおもえるようになったらいいなとおもっている。
が、その子の雰囲気を感じて、困っている人を助けるという意識が、傲慢、何かの勘違いにおもえた。もっと暮らしの一部として、人がハッピーになるような関わり合いができるオトノネになりたいと、その子の立ち振る舞いと、お母さんの言葉を感じて、思えた。きた人が、しあわせを感じられるようなオトノネになりたい。うん。そう思うだろ。
オトノネは、オトノネの心に向き合います。
いつも子どもからたくさんのことを気付かされています。
自由を使える人になろう。
職業選択の自由がある。 学問の自由がある。 自由を使ったらいい。 自由は、あるものではなく、使うものだ。 自由の使い方を学校で教わらないから仕方がない。 オトノネで、学ぼう。 そう、小学校1年生から!
東京のプレイパーク訪問
池袋からちょっと先、西武線に梅ヶ丘という駅がある。そこの羽根木公園でガムランの演奏会があるので見に行った。 一週間前だが、ちょうど雨で延期になっていたときのこと。私はプレーパークというものを知らなかった。 とにかくコドモが生き生きとしている。 遊んでいる。遊べる場所だった。 この場所ができたきっかけは、地元のお母さんたちが「あそびばをのこしたい」ということで行政ともかけもって、地元の大工さんにも協力してもらって、遊具をつくったり、料理やら工作ができるように、そして何よりも「◯◯禁止」ということがないあそびばを守ってきたという。今はNPO法人として活動している。それでもそこにいるお母さんたちは知り合いで、仲よく喋っているような姿もみられる。鍋がおいてあって、火をタイて焼きそばを作る親子もいる。屋根の上を飛び回っているコドモがいる。屋根の上、大丈夫か?と思えるが、大丈夫なのだ。オトナが心配になるほどコドモはやわではないし、挑戦すること、恐れること、自分の力の限界を知ること、泥まみれになって一生懸命になることを学ぶんだろう。 昔、昔、私は「子ども環境学会」なるものに関わっていたことがある。さまざまな事例紹介のなかにこういった施設はなかった。いつからできたんだろう?学会の中で発表されるもの、本の中だけで得られる知識なんて薄っぺらかったなぁ、暮らしの中から、生きながら、人と関わりながら、つくられていくもの、関係といったものに今まで疎かったと私は思う。友だちと会って、話して、遊んで、喧嘩もして、走り回る。ここも東京だ。東京にも暮らしがあるんだと思えた。今まで知らなかったことで、驚いた。知らないことがたくさんある。暮らしていくうちに、わかってくるものかもしれない。 とても大切な看板があった。 自己責任だ。 もちろん怪我をした後、何かあったらオトナがフォローすることもある。 最近考えている。コドモの喧嘩、オトナがみた時に「ん?それはちがうぞ!教えてやらねば」という態度で仲裁に入ったり、オトナの速度で、オトナのやり方でコドモ同士の関係に割り込むこと。オトナの「伝えるべきこと」は何なのか。プレイパークにインドネシアの人が来ていた。結婚して子どもが3人いるという。「いつも喧嘩してさぁ」「そんなときあなたはどうするの?」「やれやれ〜っていうよ!」
僕が韓国でオトナ同士がフル喧嘩したときも、ソンセンニムから「どっちが勝った!?」と冗談半分に聞かれた。んー。 コドモの喧嘩、コドモのモメゴトは放っておく。 そうすると、彼らに何が起きるだろうか?彼らはものすごく考えるだろう。 「これが正しい」とオトナが喋って、納得させる、行動を規制するよりも。 「◯◯ちゃんはこうだったんだよね」とコドモのまだ不十分な言葉を翻訳する必要がある時期もある、と本には書いてあるが。 オトナは黙って、みている。コドモの動きをみて、気持ちをみて、コトバを聞く。 ボクはまだ悩んでいる。僕が見学をしに行った保育所でのできごと。僕はコドモに交ざっていたのだが。 男の子が女の子の読んでいた本を取って目の前で読み始めた。 うーん。「それはいけない!」とはいわなかった。もしかしたら、「絵本読んで!」と女の子たちにせがまれていた僕に嫉妬したのか!? それで本を奪って邪魔をしたのか!?もしこれで「人の読んでいる本をとったらいけないよ!」といっても、彼らの気持ちを知ったことにはならない。彼らが何かを学び取ることにはならないだろう。もし本当に、例えばの話、嫉妬という感情があったとして(他の子のもっている「そのもの」をほしがるのはよくあることだ)、その気持ちを、どうしたらいいんだろう?たぶんオトナも、コドモも、それを探している。たぶん、見つからない。見つからないのだ!だから笑ったり泣いたり、ご飯を食べたり、散歩をして、嫉妬の気持ちと、嫌な気持ちと、一緒になって笑おうとするんだろう。 本当にオトナが強く「ダメだ」とか「いけない」と伝えることがあるだろうか? 信頼のないところに、感情のないところに、何が生まれるだろうか。
悲劇の舞台の上で踊る子どもたち
「学」という言葉が今の僕のテーマになっている。 人はなぜ学べないのか。 なぜ学ぼうとしないのか。 何が学びを阻害しているのか。 学べぬ人は、一生学べぬのか。 悪意と、どう関わればい良いのか。 悪意に満ちたこの世の中で。 「学び」が抑圧され、無視され、奪われ、殺されていくこの日本で。 「学び」が閉じ込められ、轡をはめられ、縛られている、この日本で。 ただただ、みんな、呑み込まれるのを、待っているのだ。 (飲み込まれるまで、踊るしかないのだろうか?せめて、この悲劇の中で与えられた、小さな小さな自分の場面だけは、自分を生きようと。) なぜ大川小学校だけが大惨事となったのか 大川小学校を襲った津波の悲劇・石巻 多くの児童らが犠牲に…大川小・遺族と卒業生が語る「失われた命の意味」 隠蔽、欺瞞、立場、ドロドロ。闇。別に悲観することでもない、これが事実。悪意。ショッカー。魔王。 そして会社によくあるパターン。 忙しく働いて、お金を稼いで、子供の魂を守れるかどうか。 習い事にいかせて、テスト勉強をさせて、子供の魂を守れるのか。 これは、学校だけの話ではない。 家庭でも同じだ。 会社でも同じだ。
こういう暴力シーンは子どもにみせちゃいけないのか、現実の世界としてみせたらいいのか、悩むところ。こういう暴力的な言葉を学んで欲しくない。#東大話法 https://t.co/2fXorVdpNl
— otononeオトノネさん (@otononesan) February 19, 2020
「なぜ、18年間、逃げなかったのか」 「なぜ、過労死するまでやめられなかったのか」 「学校に行きたくない」という声 児童虐待・家庭内暴力・モラハラ・アル中の悲劇。あまりにも複層的な物語 「なぜ50分間逃げなかったのか」は明らかにならず 遺族が憤る大川小検証委・中間報告の内容 「山へ逃げよう」の大川小児童証言は“精査中”!? 教員の会話は「検証委とりまとめ案」に盛り込まれず 『津波の霊たち 3・11 死と生の物語』大川小学校の悲劇。あまりにも複層的な物語 大川小訴訟 「なぜ我が子が死ななくてはいけなかったのか」 その一点を求めて
いつまでたっても、小学生?
こんな世の中で、体ごと死んでいる子もいる。 心が、殺される子もいる。 僕はそんな子どもたちの心を守って、一緒に遊びたいとおもう。 ==== ==== とある本にこんなことが書いてあった。 ちなみにこの著者は、小学校で国語を専門にしている先生。 今はもう小学校で仕事はしていないようだけど・・・
教師は手綱を放してはならない。 子供が自主的に目当てを持ち、学習の計画を立て、実践し、その当否を検討確認し、学び方を身につけていく…。そんな子ども任せの授業論は、机上の空論に過ぎません。自主性尊重という名目に隠れた、放任型の手抜き授業です。私の授業では子どもが発言をするのではなく、発言させられるーつまり、発言しないわけにはいかない場に子供を追い込んでしまうのです。たとえば、「この意見は正しいと思うか、違うと思うか」いずれかを選ばざるを得ない状況をつくる。そうしてすべての子どもに自分なりの答えを選択さえ、あらためて「なぜそう思ったのか」を考えさせる、これが私のやり方です。
学ばねば、やってみなければ、わからないことがある。それを教えるのだと。 (この文章は「自主性尊重という名目に隠れた、放任型の手抜き授業です。」という、放任型の手抜き授業をする教師への言葉ともとれる) なるほど。 その点、この本の著者である小学校教育では、たしかに手綱を離さない授業が、必要になるのかもしれない。 手綱というのは、知性を司る人間の、知性を働かせるための操縦法をいうのだと僕は思った。 管理、という意味ではない。 小学校が終わり、中学校に入ると子どもの世界が広がる。 人間を、大きな社会の中で捉えられるようになる。 そうすると、授業の教材がかわる。 教材が変わると、また大人の「手助け」が必要になる。 そうして、手綱は、ずっと、弛まない・・・のだろうか? 例えば、小六であれば、小学校の総決算として、小学6年生として自律的に授業を進められるのではないか。 どうだろう。 ずっと先生が、手綱を引かなくてはいけないのだろうか。 ーーーー
ー ーーーー 生徒自身がメタスキルを使って、自分の興味関心・自分の道を深めていくプロセスは、いつ始まるのだろうか? 大人になってから急に「自分1人」になって、誰の助けも借りられずにサポステにいく高学歴の子どもが多い(もちろんサポステはその情報を出しませんが)。 人生そのものが、長い長い学びのプロセスだと言えば、別に学校なんて小さな出来事だということもできるんだけれど。 個別化はいつはじまるのだろうか??? おそらくそれは、学校教育ではない。 現代日本の学校教育に、個別化は望めない。
ーーー
別の国では○○プランとかいって、生徒の主体性・自主性を重んじた「プロジェクト」という学び方を採用している。 イエナプラン・ドルトンプラン・もしくはモンテッソーリとか。。。 ーーー
子どものときにメタスキル を、言葉のチカラをつけずに、大人になった子どもが、どんな生き方をするんだろう。 子ども「わかりません」 先生「じゃぁ他の人」 で進んでいく授業で、子どもは何を学ぶのだろう。 それこそ無気力を学ぶのではないか、心配している。
学校で、家で、小さい時に満たされなかった心を、大人になってから、DVやらモラハラ、パワハラ、もしくはドロドロのポジションの奪い合いの競争の中で満たしていく。それが現実ではないのか。 宿題をしてこない、課題を出さない、で叱責する自称進学高校の先生たち。 小学生か。 親を味方につけたり、罰を与えて、なんとか宿題、課題を出させようとする先生たち。 園児か。 周囲の考え方に合わせたり、機転を利かせる優等生がいる。 一方で、いつもギリギリの場所で、自分をみつめ、自分の感情を大切にしながら他者と関わろうとする子どももいる。(いわゆる「問題児」と学校で呼ばれる子) こうしたいろんなタイプの子が集まってつくりあげる社会をつくるための「しくみ」を学ぶことが、大切なのだとおもうのだが。 学校では前者が善とされ、後者は排除されるか、隠されてしまう。
なんて貧しい国なんだろう。 オトノネは、個別化を大切にしています。 オトノネは、個別化していく子どもたちが、お互いに学び合うことを、大切にしています。
アウシュビッツは自由・平等・平和の象徴か。
私は自由も平和も平等もこの世界にはないと思っている。 それらの言葉を掲げることが西欧文化と折り合いをつけるために都合が良かっただけで、日本は明治以降にとってつけた漢字でハイカラをしているだけのようにも思える。ハイカラという言葉も、死語になっただろうか。 私たちは自由か。自由とはなんなのか。そんなことを話してもおもしろくなさそうだ。 「自分を自由にしているか、相手を自由にしているか」の方がおもしろい話ができそうだ。 政治経済、現代社会で憲法や法律をならう。なぜ法律が必要か。世の中に出ると、他人は人を酷使してくる、都合のいいようにする、傷つけてくる。そうした攻撃から、自分を守るためだ。 私たちの国は平和ではない。犯罪の報道、事故の報道ばかりする国がどこにあるだろう?人の不安を掻き立て、いろいろな製品を売りたいのだ。不安は人を動かす。 私たちは平等でない。 平等という名の下に、自由を失う。平等という名の下に、平和を失う。そういう状況に出会ったことはないだろうか。 もう日本人は、抽象語、二字熟語をほとんど、使用できていない。 私にとって学校は、不自由であり、不平等であり、平和ではなかった。 そもそも自由・平等・平和ということばが曖昧なのに、どうしてこれ以上話をすることができるだろうか? 私ならとりあえず、平等であるとは言い悪いで評価判断しないこと。自由とは自分に積極的責任をもつこと。平和とは、自分の心と体のバランスに気をつけること、と言い換えておこうか。 どうすれば、オトナが、言葉を教えずに、コドモは言葉を覚えることができるだろう。学校は引きこもりだ。文部科学省というモンスターペアレンツに怯える、ブラック企業だ。その中で笑顔で作業しているコドモたちは、どこかアウシュビッツを生き抜く人々のように、たくましく思える。彼らは、彼女らは、自由であり、平和であり、平等であろうとしているのだから。
思春期と中学校と高校の違いと子どもの可能性と個別化と。
人はどこまで遺伝子に左右されるか この記事にコメントをいただき、考えが深まった。 僕なりに。(コメントを書いてくれた人のオモイとは違うかもしれないけれど) 教育の領分。 というより、中等教育までと高等教育の違いがはっきりした気がします。 僕はいま僕を寝かせてあげたいのだけれど書きます。
ーーーーー 可能性という言葉がある。 「その子の可能性を伸ばしてあげたい」という言葉がある。 その子の可能性をどこまで大人が知っているのか。 本当に、わかっているのか。 可能性がわからない神秘が人間にはある。 人との出会いで変わる人生がある。 中等教育、中学校、もっと正確にいえば思春期の前まではこの神秘の世界の中に子どもはいる。 大人ですら神秘をもっている。(物語は動き続ける) 「こう生きるべきだ」 「こんな人生がすばらしい」 という大人(親や学校?)の価値観があって、子どもは影響を受け(人間と出会い)成長する。 というか背中をみながら影響を受ける。自分をそっち(どこ?)のほうこうへ伸ばしていく。
ーーーーー 例えば、今の日本の現状をみて「いやもう安心安全な日本ではない。海外に行ったほうがいい」 と考えて、その考えに賛同する「子どもたち」がそっちに向けて学ぶのが高校、高等教育、もっと正確にいえば思春期を超えた後の学びなのではないか。 テストが「できる」「できない」で高校を選ぶ、「できる」「できいない」でしか高校を選んだら、中学校の延長か。 中学校と高校は全く違う段階になるのではないか。子どもの心は、思春期を超えて、発達していく。分化していく。そのなかでギャンググループ、チャム、ピアといった集団をつくるのも、その心の現れだ。 学ぶ場所を、学ぶことを、学ぶ大人を、学ぶ環境を自分で選択するのが テストで“決められる”以前に、自分で“決められる”ような段階になるのが、中等教育の目標なのではないか。
ーーーー 中学校で部活をするのもいいが、部活のおかげでいろんな人との出会いがなくなるのもまた事実。 習い事で「能力を高める」のもいいが、それが子どもの可能性を、神秘と向き合う過程を無視することになっているかもしれない。 社会人になってから、いろいろな人との巡り合わせのなかで僕の人生は変わって行った。 そんな巡り合わせの中で、オトノネに縁のある人たちと、僕は出会っていくのだろうとおもう。
ーーーーー 自分の神秘をどう使っていくか。 おちこぼれなどない。 中学校・小学校で、学校の成績で、きみの価値が低くなることなどこれっぽっちもない。 関連した記事も是非お読みください^^ ワーキングメモリ容量の個人差があまりにも大きすぎる件。 人はどこまで遺伝に左右されるか。 「内向的な人が秘めている力」 遅れは取り戻せるのか?発達の可逆性について。 子供のポテンシャルエネルギーを感じる 思春期と中学校と高校の違いと子どもの可能性と個別化と。
【生きる場所】硫黄と酸素と個別化と多様性
スーパーサラリーマン山田さんのおはなし。 (僕の妄想で言葉を使っているので、山田さん自身の考え方とはだいぶ異なった部分がありますあしからず)
ーーーー 「みんな、しゃべらない」ということで、組織が崩壊している(組織が「生きて」いない。死んでいる。ぐったりと横たわった屍を晒している状態)。 PTAや自治会、山田さんのフィールドで、山田さんが困っていることは、「喋らない」文化であるという。 子どもが沈黙する、日本の言語環境。空気読む(言葉が育たない)文化?? 大人のやましい沈黙。子どもの計画的不登校。 これは生まれてこのかた、「喋っても無駄、何をしても変わらない」という諦め(無気力)と「何か言ったら後で後ろから槍を刺される」という恐怖が心に根付いているからだと、僕はおもうのだが。 言葉を口にして、自己開示、自己表現をして、「いいことなんてない」という文化、伝統を山田さんは変えたいと思っている。 言葉を殺すことは、「生きにくさ」をうむ。人との創造的な関わりを削るからだ。
ーーーーー 今現在、大人同士がコミュニケーションができない。 自治会やPTAでの「立場」「役」が固定されて、それを守らなければいけないという文化がある。 学校でも子供は「どうせ」とか「これをいっても」というのと同じだ。 人間の「素敵な部分」をだせない。 「人に生まれてよかったな」とおもえない。 僕であれば、そんなおもしろくもなんともない文化をもつ組織とは「関わらない」選択肢をとるかもしれない。 「いくら言っても無駄だった」「どんな関わり方をしても、ダメだった」という状況はよくある。 コミュニケーションのための『経済学の船出-創発の海へ-』安冨歩【伝わらないのは自分のせいか?】 けどスーパーサラリーマン山田さんは、関わり続ける。 僕が、オトノネを通じて人と関わろうとしているのと、同じにおもえる。 自分が「苦労する」に値する場所だから、頑張れる。 といったらいいんだろうか。 なにがしかの神秘が、人を動かしているんだろうけれど。
ーーーーーー 山田さんには山田さんのフィールドがある。 僕には僕のフィールドがある。 お互い違い状況、違う感性、違う人間だから、違っていて当たり前で、僕であれば「しんどくていられない」ような場所でも、山田さんは活動的になれる。 (生物でも、酸素で代謝しているやつもいれば、そいつからすれば「毒」である硫黄で代謝しているやつがいるのと同じ) 他の人は「スポーツ」というフィールドをもっていたり。 だから、おもしろい。 一人一人、関わり方も変わる。 サポートする関わり方もあれば、がっつり運営する人もいる。(多くの人がお客さん、ただの消費者だとつらいのだが) だから、おもしろい。
ーーーーー おもしろいものをおもしろい、 たのしいものをたのしいと感じることが、「命」や「コミュニケーション」の第一歩なんだとおもった。 赤ちゃんの姿を思い浮かべれば、ごくごく、当たり前の、「自然」だとおもうのだけれど。 どうでしょうか。 心が大事。 そうおもうと、富山県は、言葉を封じる、虐待の文化をもっている(いやまぁ日本という国がだけど)。 僕たちは、ずっと、長い間、日本という「自然」から虐げられてきたのかもしれない。 批判とは何か。その3(日本の遺伝子・伝統との闘い) 自称進学校の《課題が多すぎる》伝統から何を学び取るか トップが変えちゃえば意外とあっさり変わるものらしい。
上場企業の保護者に聞いた。旧帝大でなかったら、私立へ行った方がいい話。
上場企業(いわゆるいい会社)に勤めている保護者の方と話す機会があり、大学の名前が社会に出てから何に影響するのか聞いてみた。 結論は「入社してから大学の名前は関係ないが、入社する時に大学の名前は大いに関係する」ということ。そこに働いているのは「合理性」だ。 つまるところ、いい会社はいい人材を求める。いい人材を探そうとしたら、、、ランクの高い大学から探すのと、ランクの低い大学から探すのと、どちらが合理的、効率的か。人事の人の数も、時間も限られている。だから、「給料の高い会社」はランクの高い大学にだけ求人情報を出す。(今、ネット社会で誰でも応募できるようになっているかもしれないが、選考の段階でランクの高い大学から人を選ぶようにしているのだろう) なるほど合理的だ。 で、「ランクの高い大学」とは何か。という話だ。地方国立は含まれるのか?私立ならどこからが許容範囲なのか? 旧帝大、東大京大はいいとしよう。慶應早稲田もいいとしよう。ネームバリューは合理化に役立つしくみらしい。で、そのボーダーは、その保護者の方の話では「法政・明治まで」だという。では、地方国立はどうか? 例えば、富山県の人が富山県の高校をでて富山県の大学に行って全国展開する「いい会社」に入るのと、富山県の高校をでて、都会の大学に行って会社に入るのとで、どちらの人がより多様な価値観、多様な人との出会いを経験してきたか。 上場企業の場合、転勤、が多々あるという。例えば銀行などでは秩序を守る(不正をさせない)ために転勤をさせるのだが、上場企業の場合は、家賃補助や引っ越し大などを差し引いたとしても、転勤をさせるだけの利益があるという。同じ場所にずっといると、ルーチンにはまってしまって、成長しなくなるからだ、という。 そういうわけで、旧帝大以外の地方国立大学を卒業しても、眼中に入れてもらえないという。(あくまでとある上場企業に勤めている会社の人事部の話である) このようなわけで、富山県の企業に就職するつもりがないなら、県外に一歩でれば、高校の名前は何の役にもたちません。「富山中部高校?ふーん、富山の真ん中にある学校ね」「金沢泉丘高校?金沢にあるのね」くらいです。 地方大学を出ることと、日大レベルの私立大学を出ることは、企業にとっては大した差ではないのだろう。(地方から都会の大学へ行くのと、ずっと地方で育ち地方の大学をでるのとではもちろん、差はあるでしょう。富山の企業なら、富山の大学を出た人を優遇するかもしれない。逆に、都会の企業を目指すなら、富山県にいるのは不利になるということ もちろん、その会社が地方に拠点がある場合、この限りではない。理系であれば、研究室から推薦という枠もある。 もし「いい会社」に入ることや、大学を卒業してから「多様な選択肢」から選びたいのであれば、「ランンクの高い大学」を目指すことはよい、ということらしい。意欲があっても、能力があっても、見てもらえない、見向きもされないというのは、なんとも悔しいことだろう。 医学部や看護学部でも、富山県と石川県のどちらの学校に入るかで、就職先が全く、違ってくるという話を聞いている。富山県の学校の先生になるのであれば、コネが必要なので、富山県の大学を出るほうが有利だ(富山大学以外だと採用されない?)という話も聞いたことがある。 オトナのつくった世界の仕組みに入って行くその入り口の一つが、大学選びだとしたら、自分が入っていこうとする世界を高校生のときから見据えておくと気持ちがいいだろう。 高校生が将来を見据えて「これをしたい」という思いを持って大学に入ることはめったにないのも本当だろう。だから思い切って勉強をして、ランクの高い大学を目指すのもいい。(とはいっても、多様な会社、多様な生き方、多様な出会いがある時代、しあわせのカタチも多様であるから、気負う必要はないともおもう) 受験勉強、正解のある簡単な試練を乗り越えるだけで社会が認めてくれるのなら、受験というものはなんと単純なしくみなのだろうかとおもう。 ーーーー
医療が発達して学校教育で排除される子どもが生まれる。教育はテクノロジーの責任を取っているか。
医療が発達して、「弱い」人が増えた。 障害児認定されずとも、ふにゃふにゃして、力のない子が増えた。といわれたら、どうおもう?(特別支援学級など昔は、昔々は今ほどなかったといわれたら納得してもらえるだろうか) 医療が発達して、昔だったら生まれてこなかった人が生まれるようになった。 医療が発達して、昔だったら弱くてすぐに死んでしまっていた子が延命されるようになった。(晩婚化によって母体の生命力が・・・という話もできる) それは、喜ばしいことかもしれない。 医療が発達して、人間はシアワセになっただろうか。 人はいつもテクノロジーの使い方で悩まされているようにおもう。 道具をつくり、道具に悩む生物。人間。
ーーーーーーーー ギターという楽器がある。これ一つと人間が一人で、どれだけの無限に近い音楽が生まれるだろうか。 ピッケルという登山道具がある。これ一つと人間が一人で、山登りの困難に立ち向かうことが可能になるのか。 道具を使う人間が豊かにならずして、道具だけが豊かに成長していく。 人間は成長しないもので、仕方がない。 といってしまうこともできる。 私は人を「道具を使う生物」であるとおもう。「道具に仕える生物」だとはおもっていない。 医療をどうつかおう?命とどう向き合おう?お金も一緒だ。 お金に操られていないか?お金をきちんと使えているか?お金に仕えていないか? 医療が発達した。「弱い命」が生まれ育つようになった。「弱き者」のための社会でないとしたら、医療は一体、どのような責任をとってくれるというのだろうか?医療は、無責任なのだろうか?(患者を2時間待たせて2分しかみないという笑い話がある)なぜ医療は発達したのだろうか?(悲しみを増やしているのではないか?と考えることもできる。延命治療も同様)
ーーーーーーー 低体重で生まれた子は、当然、認知発達も遅れるだろう。 遅れる可能性が高い。 なのに、「生まれてからの年齢」でベルトコンベアに乗せられて、「発達障害」「学業不振」のレッテルを貼られる子がいる。 今の日本の現状では、生まれが、その子の運命を握っているかもしれない。 ただ、その子に必要な学びの環境が、学校にはない、という理由だけで。
ーーーーーーー かつて、どこの国でも「子どもを殺す」風習があった。もしかしたら、その時のお母さんの悲しみを、お母さんは、生まれた後で、子どもを育てながら、感じているのかもしれない(もしくは社会全体にその悲しみは分散されている。もしくはマスメディアにより、分散させられている。教育現場とか、家庭とか、保育所とかに) 悲しみと喜びの保存則!!
コメント